第4話 イタリアン
居酒屋さんから歩いてもそれほど遠くない場所。駅の方へ向かう途中にある黒い雑居ビルの一階に小さなそのお店はあった。
鮮やかな緑、白、赤。イタリアの国旗が小さくはためくもとにある黒いドア。先を行くタケコさんか金色の取っ手を引っ張ると、ドアの小窓からもれていた黄色い光に一気に全身が包まれた。ドアベルがカラン、と明るく鳴り、「ボナセーラー」と男性の陽気な声が聴こえる。店内はそこそこの賑わいで、トマトソースとバジルやチーズの焼けるいい香りが漂っていた。
「いらっしゃいませ……あっ!」
噂通りのイケメンさんは小野寺くんとはまた違うタイプの濃いめのイケメン。イタリア人とのハーフらしい。タケコさんに気がつくとぱっと笑顔を輝かせて「ようこそ!」と両手を広げた。
「お手紙ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げるタケコさんに、「詳しい話は中で。どうぞこちらへ」と案内してくれた。
タケコさんのいつもの席だという隅のカウンター席につく。お腹は空いてなかったけど、店長さんが初来店の私に「ぜひに」と勧めてくれたマルゲリータを一枚だけ注文することにした。
「ほんと、いい雰囲気のお店ですね」
「でしょ。実は学生時代から行きつけなんだ」
「いつもひとりで?」
「最初は……当時の彼と」
「ま」
「別れたけどね」
「おお……」
「その頃からだよ。悩みとか聞いてもらうようになったの」
「なるほど……」
店内を見回すとたしかにカップル風のお客さんが多かった。スタッフはさっきの店長さんのほかに若い学生アルバイトっぽい男性がひとり。それと厨房に本場イタリア人? なのか、外国人らしい男性シェフの姿も見える。
「おまたせしました」
満面の笑みとともに大きなピザが目の前に現れて思わず「おおー」と拍手した。
「いつもより大きくないですか?」
タケコさんが訊ねると「サービス」とウインクを返された。
「いや、連絡先を知らなくて。最近来店もなかったからあんな形でしかお知らせできなくて、すみません」
店長さん、松尾さんはそう言って眉をハの字にした。「……それで、どうですか」
単刀直入。イケメンにまっすぐに見つめられたタケコさんは慌てて目を逸らして少し頬を赤くしていた。
「まだ……迷ってて」
「ああ」
いい返事を期待していたのか松尾さんはわかりやすくガッカリした。
「知ってると思いますけど、私、パティシエとしてはほんっとに才能なくって。イタリアのデザートにだって特に詳しいわけでもないし、今の職場でも周りに迷惑かけてばっかりなのに、ここに来ても迷惑になるんじゃないかって……」
一気にそう話し終えると、タケコさんは口を閉じて黙ってしまった。店内の陽気なBGMがやたらと耳に届いてくる。
「タケコさん」
「……はい」
呼んでその視線が自身に向くのを待ってから、松尾さんはゆっくりと、真剣に語った。
「僕は、あなたにやってもらいたいんです」
これは……プロポーズ、ではないよね?
「仕事にいろいろと悩まれてるのはもちろん知ってます。辞める決意をしても辞めさせてもらえなかったり、自分より優秀な新人くんが現れて悩んだり、泣いている姿も、何度も見てます。それでも頑張っていたあなただから。あなたがいいと思って、僕は声をかけたんです」
「店長さん……」
「僕に力を貸してくれませんか」
運命というのは、こういうことなのかな。後悔したくないから慎重になるけど、チャンスは思い切って掴んでいかないと、結局は一生後悔することになったりするから。
でも、本当に、本当に辞めちゃうんですか? タケコさん……。
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