第70話 弱肉強食④

 私の身に災難が降りかかったのは、その数日後のことだった。


 錬金術師工房の端っこで素材の数を数えてリストに記入していた私は、先輩に声をかけられた。


「フィーネさん。今日の夕方、ローナがあなたにサポートをお願いしたいみたいなの」

「わ、私でしょうか……!?」


 私に声をかけてくれたのは、この工房を取り仕切るローナさんの片腕とも言える存在の方。魔力量や知識に優れていて、ローナさんと同じように皆から憧れられている人だ。


 ドキドキしながら目を瞬く私に、先輩は紙を手渡してくる。


「今日、この魔法道具を生成するみたいなのだけれど……温度や素材の質の管理を任せられるアシスタントが必要なんですって。それでね。ローナは、フィーネ・アナ・コートネイ、あなたをご指名なの」

「!?」


 息を呑んで私たちの会話を見守っていた工房内が、ざわりとどよめいた。


 待って。わ、私にこんな大役を……?


 信じられなくて、渡された紙を見る。そこに書いてある設計図の概略や素材は、特別な魔法道具の試作品に関するものだった。


 工房を取り仕切るローナさんのような錬金術師には、国から特別な仕事がたくさん集まる。それをサポートできることは、見習い錬金術師やかけ出しの錬金術師たちにとって憧れの任務のひとつで。


 だから、ただの薬草園メイドの私がこんなふうに受けてはいけないお仕事だと思う。


「わ……私の本業は薬草園勤めのメイドです。こんなお仕事、務まりません」

「あら。あなたの名前で面白い魔法道具がギルドに登録されたことを知っているわ。私もローナも、設計図を見せてもらって驚いたの。随分面白いし、魔石も素晴らしかったわ。しっかり勉強しているんだなって」

「あの、でもそれは……」


 レイナルド様に手伝ってもらったものなのです、と説明しようとしたけれど、周囲の突き刺さるような視線に言葉が続かない。この工房の空気は完全に凍りついてしまっているのがわかる。


 ……どうしよう。


 先輩は私の焦りを気に留めることなく、空気を読まずにニコニコと続ける。


「そんなに気負わずに頑張ってみて? いい勉強になるわよ。ローナは今外出中だけれど、夕方には戻るわ。それまでにこの紙に書いてある素材を集めてくれるかしら。もちろん、最適な状態でね」

「は……は、はい」


 勢いに押されて思わず承諾してしまった。私は震える手で渡された紙を握りしめる。


「ほら、みんな手が止まってるわよー?」


 工房の凍りついていた空気は、先輩の一言でまた動き始めた。けれど、それは表面的なものだとわかる。恐る恐る周囲に視線を送ると、皆がふいと視線を逸らしていく。


 でも、皆の気持ちも痛いほどにわかるだけに、どうしたらいいのかわからない。


「だから言ったじゃない。でも、こんなんじゃ済まないわよ。アナタ、もっと気をつけたほうがいいわよ」


 立ち尽くす私の耳元で、ミア様が囁いて去っていく。


 この前、カーラ様とシェリー様に問い詰められていた私を助けてくれたミア様。私はミア様が苦手だけれど、今日ばかりは追いかけたい気持ちになってしまった。


「その素材を集めるなら、いつもの隣の倉庫じゃなくて保管庫が良さそうだな」


 声をかけられて顔を上げると、そこにはデイモンさんがいた。デイモンさんは、この前保管庫で作業をしていたときに偶然声をかけてくれた先輩で。


「は……い。確かに、向こうのほうが最適なものを揃えられそうです。わ、私、保管庫まで行ってまいります」

「――気をつけて」


 デイモンさんに見送られて、私は保管庫に向かったのだった。



「……?」


 数分歩いて辿り着いた古い扉の前。何か気配を感じた私は周囲をきょろきょろと見回していた。けれど、誰もいなくて。


 誰かがいるように思えたのは気のせいだったのかな……。


 違和感を片づけた私は、古い扉に手を掛ける。ギイと音がして開いたその先は、私が大好きなもので満ちる空間だ。


 薬草やハーブの香りと、いろいろな石や布、砂や水、あらゆる特別な素材の気配。それが刺々しい空気に疲れた心に沁み渡って、思わず目を閉じてしまう。


 ――けれど。


「あれ、フィーネ?」


 聞き慣れた先客の声。ゆっくりと深呼吸をしていた私は、驚いて目を開けた。


「フィーネも素材を取りに来たの?」


 その先に見える、青みがかった黒髪と空色の瞳。優しく微笑みかけてくれる姿に、さっきまでの空気に死にそうだった私は心からほっとして表情が緩んでしまう。


「……レ、」


 その人の名前を呼ぼうとした瞬間、背後の扉でガシャン、ガチャガチャ、と音がした。


「!?」


 慌てて後ろを振り向くと、古い扉はきっちり閉まっていた。外から鍵をかけられたようで、手をかけても開く様子がない。


「ま、待って……!?」

「どうかした?」


 異変に気がついたが、手にしていた素材の束を棚に戻して扉のところまで来てくれた。すっかり血の気がひいて手が冷たくなってしまった私は、震える声で彼に伝える。


「レ、レイナルド様……。どなたかに、鍵をかけられてしまったようです」

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