第15話 スウィントン魔法伯家の特効薬①

 私の手を掴んだままお兄様から遠ざかったレイナルド殿下は、少し離れたところまで来ると手を放してくれた。


「ごめん。痛くなかった?」

「い、いいいいえ、あの……」

「ハロルド・ウィル・スウィントンだよね、今の」

「はっ……はい」

「彼はやめておいたほうがいい」


 ……えっ?


 レイナルド殿下は何か勘違いをなさっているらしい。弁解を、と思うけれど、何を説明すればいいのかな。


 そもそも、私とお兄様がきょうだいとは伝えられない。私はフィオナではなく『薬草園つき、週に二回だけ工房付きメイドのフィーネ』なのだから。


「あ、あ……の、私は別にそういう」

「とにかくやめたほうがいい。彼のことは知っている。優秀で評判もいいが……もしかするとフィーネが傷つくことになるかもしれない」


 レイナルド殿下は、『フィーネ』とお兄様――『ハロルド・ウィル・スウィントン』がデートをしていると勘違いなさったようだった。


「人は見かけによらない。……酷い裏切りにあって、傷ついて外に出られなくなる人だっている。フィーネは特に……そういうことに慣れていなそうだから」

「……」


 何となくわかった。レイナルド殿下はお兄様とモーガン子爵家のご令嬢との縁談をご存じなのだろう。だから、婚約者がいるのに私に腕を掴ませてデートしているお兄様に怒ったのだ。


 でも、そのことを告げてこないところに気遣いを感じる。きっと、私がデートの相手に婚約者がいることを知ったらショックを受けるから。


 ……優しい人。


 私――『フィオナ』が王立アカデミーで婚約破棄されたときも、一人だけ助けに入ってくださった。振る舞いや言葉遣いはアカデミーとは随分違うけれど、彼の本質は変わらないのだろう。


「返事は」


 まるで子どもを相手にしているような言い方に、驚きも少しの感動も薄れて、身体の中からふわふわした感情が湧き上がる。


「は……はい。い、以後気をつけます」

「……!」

「……あ、あの、何か」


 なぜかレイナルド殿下も驚いたような顔をしているので聞き返してみた。


「……いいや。フィーネが自分でちゃんと笑ったところを初めて見たなと思って」

「!」


 認識阻害ポーションを使うほど緊張していた外出のはずなのに、私はいつの間にか笑っていたらしい。


 思わず頬に手を当てると、彼も表情を崩す。少し距離を置いた場所で見守ってくれていた護衛の方の空気まで和らぐ。




 その日、私はレイナルド殿下が手配してくださった馬車で寮へと戻った。


 お兄様にはすぐに事情を説明する手紙を書いた。すぐに返事があって、何だか含みを持たせるような言い方に、私は首を傾げたのだった。



 ◇


 次の週。早速、私は王宮内の工房に顔を出すことになった。


 本格的にお手伝いをするのはまだ先になる。けれど、先輩方にご挨拶をしておかないといけない。


 ここにはミア様もいる、そう思うと心臓のドキドキが収まらない。息を吸って、吐く。吐く。吐く。吐きすぎて苦しい。


 扉の前でなかなか呼び鈴を鳴らせずにいると、背後から声がした。


「大丈夫?」

「レ……レイナルド殿下、先日は……あ、ありがとうございました」

 

 お辞儀をした後、疑問が浮かぶ。どうして彼はこんなところにいらっしゃるのかな。しかもお仕事は……? 王太子殿下ってお忙しいお方と思っていたのだけれど。


 私の疑問は表情に出ていたらしい。聞いていないのに、レイナルド殿下からは答えが返ってきた。


「なんか気になって」

「き、ききき気になって?」

「そう。配置換えリストにフィーネの名前があったから。大丈夫かなって」

「……」


 彼にとって、私は相当頼りなく見えているみたい。本当にその通りなのだけれど、情けなさに背筋がぴんと伸びた。扉の前でぷるぷる震えている場合じゃない。がんばろう。


 カランコロン。


「はーい。あ、今日来るって言っていた新しいアシスタントの子ね」


 部屋から出てきた錬金術師さんに私は震えを堪えて挨拶をした。


「は、はい……! フィーネ・アナ・コートネイと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「……あら? 貴族の遠縁だから王立アカデミーは出ていないと聞いているけれど。だから補佐としての採用になったって」

「……! す、すすすみま」

「いまね、少しばたばたしているの。端のソファに座って待っていてくれる?」


 ――つい癖で淑女の礼をしてしまった。


 そのことに気がついた私が慌てて弁解するのにはお構いなしに、その錬金術師さんは部屋の端を指差す。テキパキしていて明るく優しそうな方だ。


 部屋の中は騒然としていて、本当に忙しそう。そして、今はミア様がいらっしゃらないのがわかって、少しホッとする。


「座って待っていようか」

「……は、はい」


 なぜかレイナルド殿下も私について工房に入ってきた。ばたばたと作業中の錬金術師さんたちが驚く気配はない。不思議に思ったけれど、いつも顔を出していると思えば納得できた。きっと、レイナルド殿下もこういう場所がお好きなのだ。


 たくさんの素材に囲まれて、魔力の雰囲気がある場所が。


 二人で並んでソファに座ると、錬金術師さんたちのほうから会話が聞こえてきた。


「……いわゆる、特効薬、ですか……」

「はい。先王陛下が狩りで大怪我をして戻られまして。上級ポーションを使ったのですが、治りが思わしくなく」


「より効果の高い『特効薬』を、と。しかし、あのポーションは最近ここに入ってこないのです。元々出所が不明でしたから。ここで作れないポーションがあるとは、情けないことです」


 特効薬、という言葉にどきりとした。


 もしかして、それって私がスウィントン魔法伯家で引きこもって作っていたあのポーションな気がする。

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