八章 人生
丸一年過ぎた。
私は妻の実家へあのまま転がり込み、家業の一員として働く事になった。
家と仕事と妻が一遍に得られたわけだ。
家業は鍛冶屋兼金物屋兼雑貨屋という先代の苦労が
森の作業場で真似事レベルの鍛冶を趣味としていた私にはうってつけの仕事だ。
朝から終わりなき修行の道を歩き、ゆっくり堂々と訪れてくれているはずの夜に不意打ちされ、気付けば商品が出来上がっている日々。
自分の好きが誰かの利益になる構図はなんとも誇らしかった。
「おはようございます、あなたぁ♡
朝ご飯できてますよぉ〜ちゅ♡」
「お掃除終わりましたぁ〜ちゅ♡」
「お昼ご飯ですよぉ〜ちゅ♡」
「お洗濯終わりましたぁ〜ちゅ♡」
「晩ご飯ですよぉ〜ちゅ♡」
「お背中お流ししまぁ〜すぅ♡」
「ん〜ちゅ、おやすみのぉ〜、ん〜ちゅ、ん〜〜〜〜〜ちゅ…あらぁ〜、またおっきしてきちゃいましたねぇ〜♡」
「おはようございます、あなたぁ♡」
妻の働きは初日から完成されていた。
違和感を放置できない私は家庭内でも
私の舌は常に巻かれたままでほとんど解かれる時は無かった。
特にきつく巻き直されたのは私が食器洗いをした時の事だ。
「んあぁ〜。
わたしのお仕事取っちゃダメえぇ〜」
「お前は接客中だったし、負担を減らそうと思ったんだが…」
「ありがとぉねぇ〜。
でぇもぉ〜ダメえぇ〜。
あなたが作りかけの物をわたしが終わらせちゃったらど〜思うぅ?」
「…寂しくなる」
「うんうん、自分の仕事はきっちり全部負担したいもんねぇ〜。
だってそれができる人の事を一人前って呼ぶんだものぉ〜。
手伝うのはぁ〜お前は半人前だから代わってやんよぉ〜って言ってるのと同じでぇ、優しい侮辱なのぉ」
「そうか、すまない」
「ましてやぁ、同じ家に暮らしてるんだから家事は自分事だぁ〜、なんて言ったらベシベシボン!よぉ」
「その時私は何をされるんだ…?
いやその前に、家事は自分事だなんて言う夫が居るのか?」
「言わされるのよぉ」
「そういう事か」
「専業主婦っていう家事しなかったら穀潰しになる立場なのにぃ〜家事を夫からの理不尽なイジメだと思ってる大きい赤ちゃん女がいるのよぉ〜。
そういう奴は夫が家事を『手伝う』って言っただけでブチギレるのぉ〜。
普通に考えたら自分の仕事を他人がやるのは手伝い以外の何物でもないんだけどぉ〜、赤ちゃんは家事なんて保護者である夫がやるはずの仕事だっていう意識でいたりぃ〜そもそも一人前になろうとしてないからねぇ〜」
「話はわかった。
しかしお前は専業主婦ではないはずだが」
「いいのぉ、一人前以上になる気だからぁ。何よりぃ、好きな事して好きな人の助けになれるなんて嬉しい事取られたくないのぉ〜。さぁさぁそういうわけでぇ、皿洗う暇があったらわたしの頭ナデナデしてねぇ〜」
これ以降私は家事に手を出さなくなった。
さすがに妻の腹が大きい間は受け持ったが、今は子を背負った妻が元通り全権を握っている。
それで無理なくこなしてしまうのだから、当然文句のつけようは無かった。
幸福である。
楽しくて必要とされる仕事。
姿も生き様も美しい妻。
日々自信と誇りと感動をくれる我が子。
人間の生き甲斐で満たされている。
だがそれ故に器の欠落が見えてきてしまう。
このままで本当にいいのか?
自立はほぼ成った。
しかしそれだけで本当にいいのか?
問題は何も解決していない。
女王の国は何も変わってはいない。
私は満たされている。
でも明日には通りすがりの気分一つで投獄されてもおかしくないのだ。
そしてその理不尽は、このままいけば将来の我が子にも襲いかかるであろう。
また、理不尽が作る厭世観や女王の推し進める反出生主義は国を細らせ、私と同等の満足を我が子が得る日は恐らく来ないであろう。
私は満たされている。
妻と妻の子の為に生きるという誓いを棚上げにして。
どうすべきか考えた。
自立を超えた親の責務を完遂するにはどうすべきか。
答えは5分で出た。
この答えは解決法とするには余りに力任せだったので、知恵を絞りながら更に数ヶ月考えた。
無駄な足掻きだった。
正式な手続きや穏便な対話で政治的合理的に決着できる問題だったなら、そもそもこの国はこんな風になっていない。
押し通る事を話し合いと言ってのける乱暴な相手に合わせたからこその力任せなのだ。
駆け抜ける猪は言葉で止まったりしない。
森では意識する機会さえ無い基礎中の基礎知識。
皮肉な事に私はそれを人間社会の旅で言語化した。
自作の剣を見つめて精神統一する。
腕試しにと打ってみたら怖いくらい上手く出来てしまった奇跡の剣。
私の人生そのままの一振りだ。
願わくばこれからもこの剣のように加護を戴きたいものである。
覚悟を決め、
「私についてきてくれ」
「命拾いしたわねぇ〜」
「ん?」
「危ないからついてくるなぁ〜、なぁんて言ってたらご飯抜きだったのよぉ」
「ありがとう」
互いの意思を確認した折も折、商店の裏口が開いた。
「そろそろ行こう。
みんなタダ乗り待ちでウズウズしてる」
呼びかける声にかつての諦念は無い。
彼は見るたび若返っていた。
「準備はできていますね?」
「万全だ。
人妻に殴られて喜ぶ趣味は無いんでね…今度ばかりは本気でやるさ」
いよいよだ。
怪物に我が子を喰らわす平等など私は正義と認めない。
言葉を捨て牙で語る畜生には鬼となって応じよう。
この剣で。
旅で剣を知る ハタラカン @hatarakan
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