第19話
蚊の魔物と戦った場所から更に歩き続け、かなりの距離を移動した。
まだ森の端が見えてこない。一体後どのくらいなのだろうか。
気が付けば森は闇に包まれていた。
燻製肉を頬張りながら、今日歩いてきた距離を振り返る。
満足感とちょっとした恐怖感がこみあげてくる。
遠くまで来すぎてちょっと怖いと感じたが、よく考えれば拠点もただの森の中なので今いる場所と大差な。
いつの間にかあそこを家かなんかと勘違いしていたようだ。
大差ないどころか、なんならここの方が開けており、いいかもしれないくらいだ。
しかもドラゴンに破壊されて、今じゃあの場所はほとんど崩壊している。
「拠点とは……」
いや、今と最初じゃ状況が全く違う。
あの時は魔法すら碌に使えなかったから、行動の制限が凄かった。
最初に見つけた場所に思い入れがあるのは当然か。
そう考えると今は本当に生活が楽になった。
食料の確保はできるようになったし、ステータスも伸びて身体能力の向上著しい。
なにより、植物魔法が便利すぎる。
燻製肉を食べ終わった俺は、残った水を飲み干して、頭上を見上げた。
ここらもやはり巨大な大木がひしめき合っている。高さは20メートル、太さは2メートルを超すような大木たちだ。
木の表面がさらさらとしており、薄青色をしたあまり見ない木だった。
前の世界では見たことのないような幻想的な空間だが、今となっては景色を楽しめるだけではない。
植物操作の魔法を使って大木の木の枝を地面までおろした。
俺は枝につかまり、枝をもとの位置に戻していく。
するすると、枝に引っ張られてあっという間に大木の上に乗ることが出来た。
こんな大木を丸ごと操作するのは大変だが、木の枝をこういう風に活用する程度ならMPの消費はほとんどない。
幹の一番上の部分はやはり大木なだけあって人一人が横になるスペースがあった。
少し邪魔な枝の根元たちは、植物操作の魔法で移動させる。
簡単だが、快適な今日の寝床が出来上がった。
木の枝の角度を少し上方面に修正すれば天然の壁が出来上がり、頭上は大木の葉に覆われているので屋根も完備だ。
野ざらしで寝ていたり、ハンモックで寝ていた最初の頃には考えられなかったロマン的な空間が、ここに出来上がったしまった。
樹木の香りと森の緑が混ざり合った匂いがとても爽やかだ。
今日はよく眠れそうだ。
寝床の準備が終った頃、空模様が怪しくなってきた。
ゴロゴロと空が鳴りだし、黄色い光が森を横切る。
そういえば、この世界に来てから本格的な雨は初めてだった。
先ほどまでの静けさが嘘だと思えるくらい、一気に大粒の雨が降り出す。
頭上の木の葉たちを寄せ合う。
それでも若干水は漏れてくるのだが、少し濡れるくらいなら問題ない。
この幻想的な森の中で振る雨は、不思議と心を落ち着かせてくれる。
音がいい。目を閉じると雨粒一つ一つの音が聞き取れる感覚がする。
空からねこバスでも降りてきそうなくらい、良い夜だ。
「あでっ!」
「え……」
空からネコバスが下りてくることはなかったが、大雨の中泥水にダイブする少女が出てきた。
俺がのんびりとくつろいでいる大木の下で声がしたから、何かと見下ろした。
そしたらこのかわいそうな有様だ。
なんとか立ち上がり、顔にかかった泥水を大雨で流していた。
少し泣いているようにも見えた。
なんだか、かなり不憫に思えた。
俺が寛いでいる中で、地べたを這いずり回っている人間もいるというのは、まるでこの世の縮図のようだな。
施しの心を持つ俺だが、簡単には助けてやれない。
なぜならば、今俺は裸だからだ!
少女の目の前に飛び出せば、大雨に振られた挙句、泥水にダイブし、変態に遭遇するというトリプルパンチ。
泣きっ面に蜂で、キノコまで見せられたらトラウマものだ。
だから、俺は隣の大木を植物操作してやり、枝を彼女の前に垂らした。
いきなり木の枝が目の前に降りてきたら、普通の人間は驚く。
もちろん彼女も驚いていた。
その意図もわかっていないだろう。
「つかまりなさい」
ゆったりした高い声で、雨の中でも聞き取れる程度に抑えた声量で告げた。
場所と性別を悟られたくなかったからだ。
言葉を礼儀正しくしたのは、彼女を怯えさせないため。
彼女が恐る恐る枝につかまり、跨る。
俺は枝を上まで上げてやり、彼女を大木の上に乗せてやった。
幹の上はまだ枝が邪魔でごつごつしているから、枝を移動させてなるべく平らにしてやる。
葉を寄せ集めて雨が通らないようにもした。
少し離れた場所で見えづらいのもあって、俺がいる場所ほど快適には作れなかった気がする。それでもこの土砂降りの雨の下よりはいいはずだ。
「あなたは誰?木を操るなんて不思議な魔法ね」
俺は答えない。
変に会話すると場所がばれかねない。
君の木の隣に裸の男がいるよー、なんて衝撃的な事実をばらしかねない。
木の葉と枝で遮っているので俺のことは間違っても見えないだろうけど、一応の用心である。
「もしかして、森の精霊族なの?」
おおっ、裸のおっさんから森の精霊様に出世できてしまった。
でも、もうそういうことでよくね?
俺の優しい行動はほとんど精霊レベルの優しさだ。
名を騙っても罰はあたるまい。
全員が幸せになる嘘があるなら、それはもう嘘ではないのだよ。
「……その通りです。よくぞ気づきましたね」
「やっぱり!昔、お母さまが言ってたの。森には人を助けてくれる精霊さんがいるから、普段から良い子にするようにって」
それはあれだな。
大人の都合で、子供に言うこと聞かそうとしつけの一環としてついた嘘である。
悪いが精霊はいない。
いるのは心優しい裸のオッサンだけだ。
「あまり他言してはなりませんよ。それと聖霊はこの森にしかいないのです」
「うん!絶対に言わない!」
忠告を受け入れるとか偉い。
聖霊に出会ったなんて周りの友達に話してみろ。一瞬で不思議ちゃんレッテルを張られてしまうぞ。
「どうしてお嬢ちゃんは、この森で一人なのかな?」
おっと、お嬢ちゃんとかオッサンっぽい口調になってしまった。
君は、とかでよかったかもしれない。
「街道で盗賊に遭遇したの。そこで爺やに逃げるように言われて、森に逃げたの。……みんなは、無事かわからないわ」
盗賊きたああ。
やはりいたのか盗賊。
街道で盗賊に襲われた少女が、森の中に逃げ込んでここにいるということは……。
どうやら森の出口は近いらしい。
少女の脚でそう長く移動できる訳もないからな。
それにしても、この少女をわざわざ逃がすということは、そうとう厄介な事態だったのだろう。
もしかしたら彼女以外は全滅かもしれない。
だとしたら、どうするんだ?
戻ったところで死体の山だ。
彼女の身の安全を考えれば、戻らない方がいい気さえする。
俺の能力で盗賊に勝てるかどうかなんてわからないぞ。
……いや、勝てる。
今日見せたキノコの胞子を使った魔法、あれはもはや兵器である。
「もしかしたら、我が家が伯爵家と知って敢えて狙ってきたのかも。みんなが心配だけれど、私の力じゃ何にもできなくて!私は5大魔法の使い手じゃないから……」
出た、この世界のなんか複雑そうな部分。
陰謀とか森の外でやってくれ。
あまりそういうのを森に持ち込むな。
それとミリーからも聞いた5大魔法とやら。
そんな世界の偏見で、こんなかわいらしい女の子が変なコンプレックスを抱えてしまっているじゃないか。5大魔法なんて使えなくても大したことじゃないさ。
ここはおっさんが一肌脱いでやろう。もう裸なんだけどね。
盗賊たちに襲われた少女の仲間の身の安全も気になる。
何より彼女を仲間のもとへ送り届けなければならない。
俺の森にはおいておけない。こんな自由な生活を謳歌している最中だというのに、急にお荷物を抱えるのは勘弁だ。
それと、大事なことを彼女に教えてやらねばならない。
5大魔法が一体どれほど偉いのか知らないが、キノコのほうが強いってことを教えてやる。
コンプレックスは力に変えていけ。自分の可能性を探していけ。キノコで世界を変えていけ。
「聞くのです。明日、我が眷属をこの地に呼び寄せます。あなたの力となってくれることでしょう」
「本当に!?聖霊様、ありがとうございます!」
木の葉の向こうからひときわ大きく、元気な声が聞こえてきた。
あまり良い未来は約束してやれないが、俺のできることはしてやろう。これ以上わるくならないように。
そして保険もかけておこう。
「そのものは森を愛する者。多少出で立ちがおかしくとも、警戒することはありません。誰よりもこころの優しい人物です。食料も分けてくれることでしょう。遠慮せず食べて、力をつけなさい」
「はい!」
木の葉の向こうで何やら少女が動いていた。
膝をついて頭を下げているようだった。
どこまでも律儀で、礼儀正しい。本当に貴族のお嬢様って感じだった。
「では、今日はもう休みなさい。この大雨では身動きも取りづらいことでしょう」
「ありがとう、聖霊様……」
促した途端、彼女は目をつむりすやすやと眠りだした。
きっとかなり疲れていたのだろう。
聖霊に眠るように言われたら安心して、力が抜けたみたいだ。
我ながらいい演技をしたのではないだろうか。喉がだいぶやられたが、キノコを食べれば喉も回復することだろう。
早く寝るとしよう。明日はきつい一日になりそうだ。
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