第2話 蜘蛛の子を散らす

 電波塔ソラノキの上には三十年以上もの間、繭がある。

 しかし写真や映像として、その白亜な楕円は記録されていない。

 人間の目にはたしかに見えているのに、カメラや人類の道具には、映っても一切の記録が残らないのだ。

 観測所――水瀬を人形に乗せる場所では、曰くあれは別の次元にあるもの、なんて話がある。

 すると触れることも記録に残すこともできない繭に、触れるための人形が作られた。繭人形コクゥーノイドと呼ばれる。


 繭はずっと「そこにある」だけだった、それは人類にあだなすなにか――とかではなく、あくまで未知・神秘の景色として、日常に溶け込んだ異常でしかなかった。

 そんなものがの四十年越しに、「なぜ我が国が金をかけて」「率先して、未知に触れる人形を作ろうとするのか」、繭に穴が開くまで、各所から散々そう言われ続けたにも関わらず、現に必要とされている。

 ……予算の問題で、新型装甲の軽量化改修は間に合わなかったが。


 現状は試作機プロトタイプである緋々絲アカイイトだけに積まれた試作装甲ヒヒイロノイト、順調に効果を発揮しており、人形が繭の上に立ち続けられるのは、これのおかげにほかならない。

 繭人形という名の通り、人形には繭に由来する技術が複数積まれている。

 ――といっても解析できず、触れられない以上は、由来する複数の仮説から逆算で構築したまがい物に過ぎない。


 その基幹となる『交感ネットワーク』と呼ばれる技術がある。

 繭の表層繊維質――それっぽく見えるだけ――には、多数の信号が走っており、これは電気信号なんかが比較にならないほどの非常な高速でやり取り、交感されているという。


 人形は繭に干渉するために、その技術を人為的に生み出せないかと、研究者どもの流した血涙と金の結晶だ。

 なれば試作機が持ち帰るデータの金銭的な価値はお察し、なにもできずに下手に壊したら、水瀬個人では一生到底払いきれない負債になるだろう。


 物理的な接触は届かないはずなのに、水瀬が用いる“斬撃の波動”は、たしかにそれを捉えていた。

 交感ネットワークだけの効果ではない。

 一種の超能力――この時代は、具象化したそれをその界隈では“異能”と呼ぶ。そして人形の補助脳は、彼の異能の効果を拡大する。


「『あらゆるものを断ち切る』、だったら」


 蜘蛛に直上から振り下ろした刃の斬撃は、それを寸断するとそのまま、繭の表層に直接切りつけるが、疵一つつかない。


「『刻め』」


 そうぼやきながら、水瀬は刀身を横へ振る。

 プラスチックの砕けたように、かるがるしく散る節足。

 かまいたちの異能、人からはそう呼ばれる、斬撃の生成を主としていた。


「隕石くらいで穴は空くのに、俺の力じゃ通らないの?

 ……お前も俺を、まがい物扱いか」


 すぐに移動を再開する。

 足を止めたら、捕捉されるし、それだけではなさそうだ。


「装甲内部の熱の蓄積が思ったより早い。

 くそ、回遊魚かよ、さっきはまるで統率はおろかこっちの動きに対応なんてされてなかったのに、こんな短時間で――」


 集団行動がお得意になった蜘蛛の群れが、人形へ雪崩寄せる。

 機体の上へ、飛び上がることを覚えたようだ。

 降ってきたそれが、これまで通りなら相手はすり抜けるとわかっていたのに、水瀬は直感的に防御姿勢をとって、片腕の剣を掲げた。

 ――その直感は、刃の上へ重感質量がのしかかることで、嫌な証明を得るのだ。


「不定形じゃなかったのかよ!?

 こっちの実体を抑えるために、物質に変換されて――?

 戻ることもできるのか!」


 降ってきた複数の蜘蛛に、刀身からの斬撃をはじき出し、強引に押し返す。砕けた節足の向こうから、さらに寄せて、降ってくるし、足場にも物量で寄せられる。


「学習された?

 ッ、間違いない、『繭』には、でなければ!」


 こんなにも早く、適宜に、実体を排斥にかかれるはずが――あってたまるものかよ!

 水瀬は歯を食いしばる。


「早く、穴の周囲の群体を削らないと――」


 ――お前は前座だ、天才のために死ね。


 厭味な男、あの大人の言葉を思い出す。あながち間違っていない。

 自分の目的・与えられた任務は、繭に空いた穴を塞ぐ計画、その最初の段階として、繭の上部表面に立ち、近づいてきた抗体蜘蛛を、異能の斬撃などで牽制しつつ、後から来るはずの人形のため、時間稼ぎをすることだ。


「役割も満足に果たせなくて、なんでのうのうと生きられる」


 己を叱咤する言葉を、小声の早口に愚痴る。


「恥ずかしくないのか、お前は」


 緊張、逼塞――初めての現場、それでも不慣れなことに対する恐怖はない、というか、とうの昔に麻痺していた。

 失敗は許されないとしても、これだけの異形に群れられたかられての失敗なら、死へのわかりやすい導線が引けているようで、いっそのこと小気味よい……なんて、ないな。虫にたかられるのは、それが黒かったり、蛆だったりでなくとも――それが透明なプラスチックみたいな蜘蛛の群れであろうと、異常なことには違いない。気色悪いことのはずだ、簡単に受け容れてはいけない。

 目の前の蜘蛛の子を散らせ。

 こんな非現実に取り込まれるな、こんな冗談みたく終わってどうする?

 でも――、


(誰も)


 俺が生きて帰ることなんて、ほかの誰も望んじゃいるまい。

 身体に鞭打った集中が、切れかかっている。

 血管が焼き切れそうな焦燥。

 ただの十分近く、動き回っていただけだろうが、まだいけ、踏み込んで――刃を突き立てろ。ほかのことなど考えるな。

 思考を作業で塗りつぶせ、意義はなくても、行為のあとからついてきてもらわないでは困る。

 のに、冷たい。

 水瀬の思考は、どこまでも冷たくしっとりとしていた。

 死に恐れがないなら、死なない理由も特にない。

 いま死ねないとしたら、それは義務感にほかならず。


金紅ルチル――、まだか」


 本命の到来を望みながら、水瀬は時間稼ぎに飽きていった。


 降ってくる蜘蛛を散らし、そのたび滑走で逃れ、ひとところにとどまらず、でも繭本体から離れるわけにはいかない。

 あとからもう一機の人形が、穴を塞ぐために駆けつける。

 相手が急速に発達を遂げていても、まだこの速度で降ってくるばかりなら、対応できないではない。


「なんでこんなに、時間がかかる?」

『“キューブ”を搭載するのに、時間がかかってる!

 ごめんなさい、耐えて!』

「――」


 ひさめから、作戦に入って初めての謝罪を聞いた。

 これが最初で最後であると願おう。どのみち資材の導入も作戦自体も、ぎりぎりなのは先刻承知だ、いまさら遅延がひとつ増えようと……。


 さらなる異変に気付く。

 実体に変換され降ってくる蜘蛛、ひさめ曰く、あくまで繭から吐き出される端末であり、個体ごとの自立した生命ではなく、繭から50メートルも離れると活動を停止し、消滅する。

 今度は降ってくるたび、内側から急激に赤色へ変化していく。

 足元にも同様のものが到達し、水瀬も後退をかけるが、一歩遅い。


「――!!」


 視界が白く明滅し、現実が一気に遠のいた。

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