第5話 科学者たち

「それは、私のことを疑って仰っているのですか。内務省の言い分のように、ゾフィーの弟子である私なら精神場の観測が可能だと。あるいは......」


 しばらくの静寂ののちに私の口をついて出た問いかけは、老人のどこか満足げな、不気味さを漂わせた笑顔を崩れさせる。その反応を見て、私は確信を持った。


「当然、前者ではないようですね。あなたが内務総局のやり方に疑問を覚えたということは信じます。しかし、あなたが我々の友たりうるかどうかは、こちらが決めることです」


 困惑した目をしながら何か口を開きかけたロビンを視線で黙らせ、ゆっくりとケベデとの距離を詰めていく。彼は少し不機嫌そうに鼻息を鳴らしながら黙り込んでいた。


「内務省が精神場の観測可能性に目を付けた第一の理由は、それが捜査の過程で犯罪意思の発生要因が一切明らかにならないことへの言い訳になるからです。つまり、彼らは原則、精神場は絶対的に観測不能だという大前提のもとに動いている。当然その下部組織である我々も、実在する手法による犯罪に特化した部隊にすぎません。では、私たちをここへ呼んだ根拠は何か。先に教えて下さい。本当のところCMFの最高責任者、あるいは1人の科学者として、この一連の騒動の要因になにか思い当たる節があるのではないですか?」


 ケベデは鼻息を止めると、諦めたように手をぶらぶらとさせた。


「......これは、口を滑らせてしまいましたな」


「ええ、そのようですね。ですからあなたがそれを隠している間は、捜査上の仮説について簡単にお教えすることはできません。それにそもそも私たちですらどう取り組むべきか何も分かっていないこの状況では、あなたを下手に巻き込むことで、誤った判断の後押しをしてしまわないか懸念しているのです。ご理解いただけますか?」


 ケベデのはるか後方から、ロビンが私を睨みつける。敵に回すな、さっさと言えということだろう。私はそれを無視した。私たちがケベデからの申し出を受けた目的を忘れたわけではなかった。ただケベデはあまりにも私達のことを知りすぎていた。加えて、ゾフィーと研究をする中で現在の物理心理学の限界にも立ち会ったはずだった。私がどこまで知り得ているのかある程度目星もついているであろうに、敢えてそれを尋ねたことに、私たちが見落としている重要な事実か、またはケベデの真の動機が隠れているように思えてならなかった。相手が本当に聞き出したいことを少しでも分かった上で話を進めたかった。そして彼の返事を聞いて、あと一歩のところまで追い詰めたと早とちりをしてしまった。


「......もちろん博士の仰りたいことは理解していますよ。誤解を招くような言葉を選んだことを詫びましょう。本当に、ただ、あらゆる可能性を知っておきたいだけなのです」


「そう......でしたら別の質問をひとつ。半世紀研究を続けたゾフィーですら解けなかった難題について、なぜ私の言うことに価値を見出せるのですか。ゾフィーはあなたに、私について何かを伝えたのではないですか?」


 一瞬で、この質問をしたことは大きな間違いだったと悟った。何故かはわからないが、ケベデが口を開くまでの少しの時間の空白が私の鼓動を早めた。ケベデは全く動じることなく写真立てから離れると、私の目の前まで近寄ってきて固い表情のまま微笑んだ。相変わらずどこを向いているか分からない瞳だったが、今度ははっきりと目が合った気がした。彼が口を開くと、掠れた息が頬に当たる。


「面白い。まるで似ていないですな。本当にゾフィーは貴女を......?」


 独り言のように呟くと、ケベデの片方の口角が僅かに上がる。彼はもう既に落ち着きを取り戻したようだった。質のいいスーツの生地が心地よい音を立てて、私の周りをゆっくりと、ぐるりと回り込む。思わず身体に力が入る。先ほどまで彼がどこか不安定に見えたのは私の勘違いであったのかもしれない。私の背後で小さく笑い声を上げて、彼は静かに話を続けた。


「がっかりしないでいただきたいが、その答えは単純です。貴女は彼女の成し遂げられなかったことを、ただ1人引き継ぐ覚悟を見せた。私の無意識がそんなあなたに興味津々なのです。あなたこそ、成し遂げる人だと」


 そう言うと、私が振り返ってさらに問い詰めようと口を開くよりも前に、その骨に皮のぶら下がったような指を軽く折り曲げた。銀色の指輪が軽やかに光る。


「曖昧な話ばかりして、不快にさせてしまったなら申し訳なかった。あなたの言うとおり、まずは私がどこから仮説を得たのかについて、私たちの持ち合わせている情報を対等なものにしておきましょう」


 私が彼の話についていけないままその視線の先を追うと、私たちの入ってきた大扉が音を立てずに開いた。そこには、びしょ濡れの赤髪を額に張り付かせて、1人の女性が肩で息をしながら立っていた。鑑識が使うような重そうなゴーグルを首からぶら下げて、激しい手振りを加えながら聞き取れるぎりぎりの速度でまくし立てた。


「すみません社長、言われてすぐ走って来たのですがロビーで警備会社の連中とひと悶着ありまし、て......」


「ああ!?」


 その顔を見た瞬間、ロビンは手に持っていたガラスの蚕の文鎮を思い切り円卓の縁にぶつけた。刺すような音を立てて破片が床に散らばる。三人の足元から一気に小魚たちが離れていった。


「ああ、残念。気に入っていたのに」


「ロビン、彼女は確か......」


 元々血の気のないロビンは、さらに顔を白くしてただ呆然と目の前の女が髪を絞りながら片手を振っているのを眺めていた。彼に代わって、ケベデが口を開いた。その目は床に散らばった結晶を名残惜しそうに見つめている。


「改めて紹介しましょう。彼女はシャニーア主幹技師。データベースエンジニアとして外部記憶装置の機械学習を監督させています。ロビン博士、特にあなたは彼女のことをよく知っているでしょう」


「......」


「ははは、ロビン博士、先ほどは意地悪をしてしまって申し訳なかった。知らないと言うのは嘘ですよ。彼女からはあなたのこともよく聞いていましたから。優秀な位相幾何学者だと。ただ諜報員としては、ねえ」




 どこか遠くで繰り広げられているかのような一方通行な会話に頭痛を感じていると、ペグから照合が完了したと通知があった。彼女は、ロビンが接触したというCMFのエンジニアに違いなかった。


 ケベデ達から見て、今の私たちはあまりにも滑稽な顔をしていただろう。確かに、いずれ彼との交渉の中で彼女の引き渡しを要求する予定であったのだから、これは計画の経過点としては想定された状況であるといえる。しかし、彼がはじめから私たちの捜査内容を深くまで把握していたとなれば、先ほど勢いだけで作り上げた見せかけだけの立場優勢は再びゼロになる。さらに最悪なことに、私はロビンが作成した報告書に目を通すどころか、その外部記憶装置への転写すらまだ実行していなかった。ロビンがシャニーアにどれだけの条件を指定してシステムの検証を行わせたのかについて、私は一切確かめようとしてこなかった。


 一度だけロビンから口頭報告を受けたことがあった。彼はシステムに機械的な干渉の痕跡は無いと言った。記憶データにあるバイアス、経験統合時に生じる時間の隙など、想定されるすべての脆弱ポイントについて検証を行い、そのすべてで許容値を叩き出したと。精神場仮説に気を取られていて、あまりに出来すぎたデータを疑うことを忘れていたらしい。シャニーアがこれまでに行った検証の結果が真実であるかどうかはもはや検討すらつかない。


 口では対等な関係と言いつつも、やはり交渉材料についてケベデが一方的に多くの情報を握っている状況だった。私たちがこれまでに犯したあまりにも多くの判断ミスが完全に次の手を封じていた。


「博士、貴女は正しい。精神場の客観的な観測が可能だって?......ゾフィーが権威を失っても側に居続けたあなた以外に、それを少しでも信じた人はいないと考えてよろしい。観測干渉された当人ですら、それは本人の主観の一部に過ぎないはずですから。そのうえで、貴女の疑問は彼女の存在で説明がつくと思いませんか。私が自力で仮説に至ったのではなく、あなた方に教わったのだと言えば、少しは信用していただけますか?」


「まさか......このことは、保安局には?」


「いいえ。あなた方とこうして交渉をするための大事な餌でしたから」


「ロビンは、一体どこまで情報を漏らしたのですか?」


「彼は漏らしたわけではありませんよ? ただシャニーアが受け取った検証のリストから仮説を逆算しただけです。さて、今度こそ、ご納得いただけました?」


「脅すようなことはしたくないのですが、ねえ」


 ケベデの曇った瞳が私を冷たく貫いた。足元から伝わる濾過器の唸りと、彼の腕時計の秒針の音がただ刻々と時間が流れるのを告げる。私に選択肢がないことは明らかだった。内務省に告げ口をしたのがCMFではないという保証はないが、ひとまず提案を受けておくことは、今後彼が敵に回る未来を確定させてしまうよりも遥かにマシなように思えた。返事をしようとしたそのとき、待ちきれなかったケベデが私から一瞬も目を離さないままシャニーアとロビンに声をかけた。


「そうだ、シャニーア。ロビン博士を連れて文書保管室を案内してくれないか。情報省の職員さんとしてなら、市民情報を交換しても問題ないだろう」


「えぇ、社長さっきラフカ博士の講釈を聞けるとおっしゃったじゃないですか」


「今後のためだよ。それにほら、彼は君と話したいそうだ。分かってくれるね?」


 シャニーアはうなだれて天井を仰ぐと、ため息をついて廊下の方へ戻って行った。先程から動きのぎこちないロビンが私の横まで来て何か告げようとするのを、顎をしゃくって急かす。私はケベデを前にそれを引き止める事もできず、2人は無言で部屋を出て行ってしまった。私は1人、ケベデと彼の収集した数多の昆虫たちに監視されるように、床の透明な社長室に取り残されてしまった。




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