第23話 メルル
「ねーちゃ! ねーちゃがなんでっ!?」
ウィスリーがレダと掴み合ったまま叫ぶ。
メルルと名乗った女性はウィスリーに
「ウィスリー。再会を喜び合うのは、また
そう言ってメルルは俺のことをジトッと睨んだ。
「貴方様、嘘を吐かれましたね?」
「嘘……?」
まったく身に覚えがない。
「本日、私は貴方様にこう問いかけました。『奴隷市場でドラゴンの呪いを解いた暗黒魔導士でしょうか?』と」
「ん? ああ、そういえば聞かれたな……」
「貴方様は呪いを解いたのは自分ではないとおっしゃいましたね」
「いや、暗黒魔導士ではないと答えただけだぞ?」
「またそうやって嘘を重ねるのですね」
メルルの目がすぅっと細まる。
「あ、ヤバッ。ねーちゃマジギレしてる……」
ウィスリーの不穏なつぶやきが聞こえた。
「素直にウィスリーを返してくだされば平和的に解決できると思ってましたが、嘘を重ねる殿方には多少の痛い目を見ていただくほかないでしょう」
「待て待て、待ちたまえ。俺と君との間には大いなる誤解があるようだ。まずは話し合いを――」
次の瞬間、俺のいたテーブル席が
「……クッ!」
メルルの手が俺を狙い、その軌道上にあるものを打ち砕いたのだ。
殺気に気づいて飛び退いてなかったら、無事では済まなかっただろう。
「お覚悟を」
メルルは再び俺に向き直って構えた。
いや、構えといっても武道家のような
ただ単に右手を振り上げているだけだ。
先ほどのテーブルを破壊した攻撃にしてもそう。
あれはただ、平手を振り抜いただけ。
つまり、ただの
「気を付けて、ご主人さま!」
ウィスリーが叫ぶ。
「ねーちゃは一族きっての『のーきん』なのっ! 一度思い込んだらそう簡単には止まらないよ!」
「なるほど、どうすればいい!?」
「まずは戦って勝って! それしかない!」
「本気かっ!?」
少し気が
超高速で繰り出される怪力ビンタに対し俺は――
「ふっ!」
かつてボスを両断した手刀で迎撃した。
手と手が重なり、かろうじて
「妹に無理矢理ご主人様と呼ばせているとは……ますます許せません!」
「いや、あれはウィスリーが
「問答無用!」
メルルが俺の手を
ビンタを手刀で受け止めたのだから、当然そう来るだろうとは思っていた。
だから、こちらが手を引けばメルルの態勢を崩せると思っていたのだが……。
「甘いですよ」
掴みはフェイク!
メルルはもう片方の手を振り上げてきた。
だが、こちらだって手はふたつある。
もう片方の手刀で受け止めた。
「やりますね」
「そちらこそ」
――強い。
これまで出会った中でも随一かもしれない。
何よりこれだけ動いているのに服装の乱れがまるでない。
姿勢が綺麗だし、立ち姿も美しい。
こんな戦い方をする女性は初めてだ。
「速過ぎて攻防がまったく見えねぇ……」
「手と手がぶつかり合うたびに衝撃波が発生しとるの……」
「人外領域の喧嘩なんだぜ……」
冒険者たちはテーブルが破壊されると同時に全員が壁際に避難していた。
その判断は正しい。
もし彼女のビンタ攻撃に巻き込まれた者がいたら咄嗟に守れる自信がない。
こちらもテーブルの合間を縫って常に移動を続けるが、メルルはぴったりと
「ううっ、どっちを応援すればいいのかわかんないよー!」
ウィスリーが泣きそうな顔でオロオロしている。
酒場内を縦横無尽に駆け回って似たような攻防を続けながら、俺はメルルを説得しようと試みた。
「どうだろう! ウィスリーが困っているようだし、ここは一度退いてはくれまいか!?」
「そうはいきません! 一日でも早くウィスリーを救い出さねばなりませんので!」
「君は先ほどから俺がウィスリーをかどわかしたかのように言うが、それは違う! 彼女は一族に呪われて人の姿を取れないでいた! 俺は彼女を解き放ったのだ!」
「存じておりますとも!」
メルルの攻撃パターンが変わった。
指を立てて腕を突き出すようして顔面を狙ってくる。
アイアンクロー……いや、ドラゴンクローとでも呼ぶべきか。
紙一重で回避しつつ、丸テーブルを飛び越えて距離を取る。
「ならば何故!」
「一族の掟を守らねばウィスリーは人の姿でいられません! 貴方様はその事情を逆手に取って、
障害物を挟んでひと心地と思いきや、なんとメルルは丸テーブルの端を片手で掴み、回転を加えて投げ飛ばしてきた。
やむなく手刀で真っ二つに両断するが、今度はメルルが突撃してくる。
「そんなことはしていないし、呪いが再発動することもない! それごと解いた!」
「またそのような嘘をっ!」
「やはり言葉では無理か! ならば!」
メルルの追撃をかわしながら、俺は手で
「魔法は使わせませんよ!」
魔法の使用には集中が必要だ。
俺が詠唱や動作を省略できたとしても、頭の中で魔法を組み上げるには一瞬とはいえ集中しなければならない。
だからメルルは俺の魔法を封じるために
しかし――
「いいや、魔法ならば……
そう叫ぶと同時、酒場の床全体が光り輝いた。
「これは……魔法陣!? いつの間に!」
メルルがハッと顔を上げて俺を見た。
「まさか私と戦って移動している最中に
「君は俺の両手だけを警戒していたからな」
もちろん、足で直接文字を描いたわけではない。
特定のステップを踏んだりすることで文字や線を光として浮かび上がらせる宴会芸を、師匠のひとりに教わっていたのだ。
今回はそれを応用しただけのこと。
「仕上げだ」
指をパチンと打ち鳴らす。
発動させた魔法は
魔法陣の中では怒ったり泣いたりといった、感情的な動きが抑制されるようになる。
「……やられましたね。酒に酔ってらしたはずなのに、まさかこんな芸当までできるとは思いませんでした」
メルルの殺気が嘘のように消え失せ、振り上げていた両手もお腹のあたりで丁寧に重ね合わせられている。
その立ち姿は正しくメイドだった。
「フッ、実のところ酔いが酷くてな。もう立っていられん……」
「ご主人さま」
ふらりと倒れ込みそうになったところをウィスリーが支えてくれる。
彼女も
「ありがとうウィスリー……」
「ううん、いいよ。どこも痛いところない?」
「大丈夫だ……だが今日は……さすがに疲れたな……」
朝から武器を買いに行ったと思ったらブラッケンの事務所で大立ち回り。
ダンジョンではすったもんだの挙句にパーティ解散。
そして酔っぱらった状態でのウィスリーの姉との戦闘。
「もう、いいよな……」
俺は一気に襲ってきた睡魔に身を任せることにした。
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