第5話 雇用契約

 俺たちの席にズカズカとやってきたのは物々しい雰囲気を放つ番兵たちだった。

 どうやら本当に誰かが通報したらしい。


「それはおそらく俺のことだが、違うんだ。この子は奴隷市場の商人から引き取った竜人族の子供であって、俺も決して怪しい者ではない」

「いや、話も怪しいが……お前の恰好が何より怪しい。ちょっと詰所まで来てもらおうか」

「そんな馬鹿な……」


 漆黒のフード付きローブのどこが怪しいというんだ。

 あまりに理不尽過ぎやしないか。


「ご主人さまをどーする気!」

「いけないウィスリー。暴れては駄目だ」

「むーっ!」


 ウィスリーは番兵たちの態度が不服そうだ。

 下手をすると、ドラゴンに変身して店を破壊しかねない。


 仕方ないな。これは、あまりやりたくはなかったが……。


「ははは、さっきから何を言っているんだ。我々は『友人』だろう?」


 番兵たちに向かって友好的な笑みを向ける。


 すると――


「…………お? そうだ、お前は『友人』だった。はっはっは、まさか誘拐なんてしてないよな!」

「ははは、それこそまさかだ。俺がそんなことをするはずがないだろう? こんなところで油を売っていないで、さっさと仕事に戻ったらどうだ?」

「そうだな、そうしよう!」


 番兵たちは朗らかに笑いながら退店していった。


 店の客たちは唖然あぜんとしていたが、何事も起きないとわかると日常の喧騒けんそうに帰っていく。


 ウィスリーもしばらくきょとんとしていたけど、やがて小さな首を傾げながらたずねてきた。


「あいつら、なんでいきなりご主人さまに馴れ馴れしくなったのかなー?」

「言葉の中に魅了魔法を織り交ぜたんだ。無詠唱のちょっとした応用だな」


 相手の目を見ながら特定のキーワードを口にすることで会話の最中に気づかれることなく魔法をかける技術スキルで、かなり特殊な発動方法だ。


「ご主人さまってそんなことできるの!? すっごーい!!」


 おお、ウィスリーに笑顔が戻ったぞ!

 よかった、本当によかった!!



 ◇ ◇ ◇



「お待たせしましたー」


 程なく注文していた料理が届いた。

 大盛りミートソースパスタが、俺とウィスリーの前に配膳される。


 ウィスリーはすぐ食べるのかと思いきや、目の前に運ばれてきたごちそうをジッと見つめていた。


「どうした。食べないのか?」

「ご主人さまのおゆるしがないと……」


 そういうものなのか。


「食べていいぞ」

「いただきます!!」


 許可を出すと、ウィスリーは間髪入れずに反応した。

 フォークを差し込んでクルクルと回し、一塊となったパスタをもぐっと口に含む。


「んぐぐぐ!」


 よっぽどお腹が減っていたのだろう。

 大量のパスタがあっという間にウィスリーの腹におさまっていく。


「そんなに慌てて食べなくてもなくならないから、ゆっくりと、ちゃんと噛んで食べなさい」 

「あい!」


 俺に注意されると食べるペースは若干落ちた。

 お世辞にも行儀のいい食べ方ではないが、きちんと言うことを聞いてくれている。


「あー……おかわりいるか?」

「いるーっ!!」


 ウィスリーの元気のいい返事が店内に木霊した。

 すっかり元気を取り戻したようだ。 

 心なしか店内の人々も彼女の食べっぷりに癒されているように見える。

 

「クックック……いいものだな」


 俺の頬も緩んでしまうな。

 やっぱり子供は元気が一番だ。


 そんなこんなで、遂にお目当てのケーキが運ばれてきた。


 ウィスリーが改めてこちらをジッと見上げてくる。


「遠慮しないでいい。食べなさい」

「あい! いただきます!」


 ウィスリーがフォークでケーキの一部を切って口に運んだ。


「どうだ、おいしいか?」

「おーいしー! あまーい!」

「そうか!」


 ウィスリーが幸せそうにイチゴのケーキをほうばっているのを見ていると、俺まで得も言われぬ幸福感に包まれる。

 

「ご主人さまは食べないの?」

「ああ、そうだな。いただくよ」


 ウィスリーを遠慮させても悪いと思い、軽い気持ちでケーキを食べてみる。


「こ、これは……!」


 口の中に広がる、この感覚はなんだ!?

 ケーキの程よい甘さをイチゴの酸味が引き立てている!

 こんな美味いものは初めて食べたかもしれない!


「にへへー」


 何故かウィスリーが俺の顔を見て嬉しそうに笑っている。

 こころなしか尻尾の先も揺れていた。


「どうした?」

「ううん、ご主人さまが初めてちゃんと笑ったなって」

「そうか?」


 俺は感情があまり表に出ないらしいからな。

 別に隠しているつもりはないのだが……。


「それにしても甘味の力は偉大だな」


 相手を幸せな気分にさせる幻惑魔法なら俺も知っている。

 しかし、魔法がもたらす効果はあくまで錯覚に過ぎない。


 やはり本物の力には――


「いや、待てよ。甘味で味覚を刺激する幻惑魔法を開発すれば、あるいは……」

「うわー、ご主人さまが『ひ・じんどーてき』なこと考えてそー」

「そ、そんな顔してるか?」

「あははは! やっぱり自覚ないんだー」


 ウィスリーが心底おかしそうに笑っている。


 なんということだ。

「笑い方が悪人」「悪だくみをしているように見える」と師匠や仲間にも散々に言われてきたが……無垢な子供に指摘されると、こうも心が傷つくものか。


「そうだよな……俺には人の心がないだもんな……はははは……」

「えっ、ご主人さまってば、ひょっとしてものすごく気にしてた!? ごめんなさい、傷つける気はなかったの!」

「いいんだ……」

「冗談が下手で本当にごめんなさい。これからはもっと気を付けるね」


 ウィスリー……なんていい子なんだ。

 悪いと思ったら、すぐに自分の非を認めて謝ることができるなんて。

 俺がその精神を身に着けられたのは修行の中盤だったというのに。


「そういうことなら、俺の心も決まった」

「ほえ?」


 やはり奴隷市場で新たな仲間を買おうなどという考えが浅はかだったんだ。

 過ちに気づいたのなら、すぐに正さねば。


「ウィスリー。君は呪いを解いた俺に仕えなければならないという話だったな」

「あい! これから精一杯『ごほーし』するよ!」

「それなんだが……君は俺に仕えなくていい」

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