第23話 パワードゾンビ

 三階から突然飛び降りて来た人影を目にして、あおいは愕然とした。


(ゾンビが、落ちて来た……!?)


 一階分の高さを飛び降りるなんて、普通の人間でも危ない事。ましてや肉や骨が腐って体のもろいゾンビなど、木人形を高所から叩き落とすようにバラバラに四肢が飛び散るだけだろう。


(なのにコイツ、五体満足に動けてるどころか綺麗に着地した……!)


 体躯はおよそ三十代の男性。目に見えて筋肉のあるゾンビだった。体の所々にプロテクターのような防具を付けているのは、このゾンビが生前に身を護るため身に着けたのか。プロテクターの無い部分は服が破れたり肉が腐っていたりするが、他のゾンビと比べてもまだ人間の形を保っている。まだゾンビ化して日が浅いのか、それとも。


(このゾンビは他の奴とは違うのか……!?)


「グガォア!!」


 血と唾液を口からこぼしながら、目の前のゾンビは蒼めがけて


「!?」


 悠長に異能力を使う間はない。蒼はすぐさま横に跳び、直線的に迫って来たゾンビは蒼の背後にあった洋服店のマネキンに激突し、音をたてて倒れ込んだ。蒼はゾンビから距離を離し、起き上がろうとするゾンビへ向けて意識を集中させる。


 今度こそ蒼の異能力が発動した。異能力が生み出す幻の音によってゾンビは蒼以外の人間が近くにいると錯覚し、その場で腕を振り回し始めた。そこまでは普通のゾンビと同じかと思えたが、しかしその腕力が桁違いだった。

 たった腕の一振りでマネキンは砕け散り、服をかけてあるステンレスのハンガーラックが鈍い音と共にひしゃげた。


(生前はアスリートか何かだったのか筋肉量は多いけど、それでもあの威力はおかしい。脳が腐って肉体のリミッターでも外れたのか!?)


 ともあれゾンビは、蒼の異能力による幻に惑わされてこっちに気が回っていない。今のうちに少女とともにここから離れて、勇人ゆうとたちと合流してからヤツを確実に仕留めた方がいいだろう。


「お兄さん! よけて!」

「――!?」


 蒼の思考を止めたのは、再び聞こえた少女の警告。声のした方を見ると、傷や汚れの付いた黒い制服を来た少女はこちらへと駆け寄っていた。


「来ちゃ駄目だ!!」


 蒼はゾンビから目を離して少女へ叫ぶ。

 その直後、蒼の視界がブレた。


「がっ……!」


 体中に痛みが走る。一瞬後に、衝撃で歪んだ視界が元通りになり、蒼は現状を把握できた。ステンレス製のハンガーラックが投げつけられ、蒼はそれに直撃したのだ。

 痛む体で飛んできたハンガーラックをどかしながら、蒼はゾンビを睨む。ヤツには確かに異能力をかけたはず。本来なら、効力が切れるまで蒼の事は認知できないはずだ。


(異能力が効いてない……? いや、ヤツは確かに何も無い場所を攻撃していた。となると幻を見せられたうえで、僕の存在に気付いているのか……)


 このゾンビはつくづく規格外だ。

 高所から飛び降りて無事に着地し、しっかりと筋肉を使って走って来た。普通のゾンビは平衡感覚も定まらず筋肉も弱っているので、ふらつきながら歩いて追って来る程度なのに。このゾンビは全身の筋肉が腐っていないのか、むしろ人間以上のパフォーマンスを発揮している。


 さらには野生の勘とでも言うのか、『周囲にたくさんの人間がいる』と錯覚する幻聴を聴いたうえで蒼の存在を捉えている。実質的に蒼の異能力は気休めの目くらまし程度にしか役に立たなくなった。


「正真正銘の、化け物だな……」


 あのゾンビにがこちらを再度ロックオンする前に、蒼は再び異能力を使った。今度は生きている人間を偽装する精密な幻聴ではなく、力の限り放った大音量のノイズ。音量だけで言えば戦闘機のジェット音の十倍にも匹敵する爆音。直撃すれば、もはや聴覚は使い物にならないだろう。


「ガルぁァァアア!!」


 ゾンビのみを狙った音響爆撃は見事に決まり、筋骨隆々なゾンビは突然の苦痛にその場で暴れ出した。まだこちらを狙う余裕は無いらしい。洋服店を滅茶苦茶に破壊するゾンビから目を離さずに後退する蒼は、近くまで寄って来た少女に気付くのが遅れた。


「お、お兄さん、大丈夫ですか……?」

「まだ逃げてなかったのか、君は」

「だって、お兄さんが……」


 肩を震わせながらも心配そうに言う少女の声で、蒼は心の中でため息をついた。この少女もまた、勇人と同じで他人を見捨てて逃げられない種類の人間なのだろう。今にも泣き出しそうなほど肩を震わせながらも、こうして蒼を心配しているのだ。


「ひとまずここを離れよう。僕には強い味方がいるんだ。その人と合流できれば安全だからね」

「でも、血が……」

「これも大丈夫。すぐに治るさ」


 先ほどのハンガーラックの打ち所が悪かったのか、蒼は頭から血を流していた。本当は痛む傷だが、蒼は大した傷じゃないと思わせるように爽やかな笑みを浮かべる。


 自分らしくもない、と、蒼はふと思った。


 確実に生き延びるためには、少女の安否よりも自分の身を案じて動くのが正しいはずだ。勇人たちと共に少女を探すという行動をとったのも、根本には『勇人たちといればある程度安全だから、損得で計算して動くやり方を続ける必要はないだろう』という打算的な考えがあったからだ。


 だが今は、ひとりで危機的状況に陥りながらも少女を怖がらせまいと強がって振る舞っている。

 この世界がゾンビで溢れてサバイバル生活を余儀なくされたあの日から、自分の命を第一に考えて生きると決めたはずなのに。


(やっぱり人間、根っこの弱い部分は変わらないか)


 自分自身へ呆れたように失笑する蒼は、震える少女の手を取った。


 誰だって、今にも泣き出してしまいそうなか弱い少女と出くわしたら、助けたいと思うだろう。自分では固く決意したつもりの蒼が、自分を優先して逃げ出すよりも少女と共に逃げる事を選んだのも、きっと彼の根っこにまだそういう気持ちが残っているからなのだろう。

 蒼はそれを弱さと捉えているが、人によっては違う見方も出来るはずだ。あるいは勇人なら、それこそを『強さ』だと言ってくれるかもしれない。


「よし、行こう。走れるかい?」

「は、はい……!」


 少女の手を握る蒼は、暴れまわるゾンビから目を離して二階フロアの北側と南側を繋ぐ橋を駆け出した。これだけゾンビが暴れているのだ。もうじき勇人たちが騒音に気付いてやって来る頃だろう。今はそれまで逃げ切ればいい。

 蒼は走りながら首だけで振り向いて背後を確認する。


「なっ――!?」


 目が合った。

 苦しみに悶え続けるゾンビの血走った目が、確実に蒼を捉えていた。


(爆音の直後に、……!?)


 ゾンビにはあるまじき脚力でもって、ヤツは地を蹴って走り出した。驚愕と焦りで、まともに回避行動を取ることも異能力で抵抗する事も出来なかった。マネキンもステンレスも一撃で粉砕する化け物じみた腕力の前では、蒼もおそらく助からない。


 プロテクターをまとった怪物がすぐ傍まで迫っていた、その時。


「蒼いぃぃぃぃ!!」


 少年の叫び声が辺りに響き渡った。

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