11版 ドタバタ降版

 席の後ろに人だかり。

 整理部面担にとって最も避けたい状況の一つ。それが今まさに桃果の座る一面担当席で起きている。


 桃果以外の面は既に降版した。だからなのか?背後に総勢十人余り。スクラムの如き塊となって、先輩や各部の部長、デスク、編集局長などの幹部級が仁王立ちしている。


 デジタル時計は一時二十八分十四秒。絶体絶命の大ピンチだ。


「準トップを四番手に至急下げてくれ! 今すぐやれ!」


 今から三分前、堂本から大号令が発せられた。


北栄ほくえい大、入試問題流出か 警視庁が二十歳の女逮捕〉


 準トップは十三版で飛び込んできた社会部の抜きネタ。常木翠玲の特ネタが来なければ、一面トップでも十分いけたスクープだ。


「降格じゃと! どして、そがなことせなあかんのですぅ⁉︎」


 やはり食ってかかった河田だ。その目は野犬のように血走っていた。荒ぶる河田にも動じず、堂本は局長としての威厳を誇示するかのように腕を組んだまま明かす。


「中央とタイムスが、さっきマル特を打ってきた」


 中央とは発行部数二位の日本中央新聞、タイムスとは同三位の日の出タイムスのことである。


「マル特……じゃと?」


 河田の顔を驚愕の二文字が侵食していく。堂本は付け加える。


「マル特だけじゃない。ウチよりも詳しく報じている」


「ウチよりも……詳しく?」


 河田は、途切れ途切れに反芻した。


 特ダネは他社が報じないからこそ輝く。特ダネなのだ。

 だが、堂本曰く、既に中央とタイムスの大手二社が報じているという。しかも、毎経よりも詳報だという。限りなく金色に近かった社会部ネタの輝きは、今やメッキが剥げて、急速に色褪せたことになる。


 加えて、今日は一面を飾る四つの記事全てが独自ネタで「豊作」だ。河田の判断は早かった。


「桃果ァ。準トップの入試流出を四番手に格下げじゃ。三番手は準トップ、四番手は三番手に格上げじゃ!」


 ──クソ。どうして、こんなことに。


「はいっ」


 奥歯をグッと噛み締め、上官命令に従う。


 新たな見出し作成と大幅なレイアウト変更。紙面は大工事が必要となる。その間もデジタル時計は刻々と進む。時間との戦いだ。


 いや、それだけではない。もっと厄介なのは、背後にできた十人余りの人だかりだ。

 オーデコロンや育毛剤、汗、口臭、体臭……。フロアの熱気とともに、背後の人間達から発せられる臭いが、桃果の鼻腔を攻撃していた。無論、その攻撃は嗅覚のみにとどまらない。


「おい不死原、まずは行数がどうなるか流せよ」


「整理さーん、赤字入れてみたよ。ちょっと反映してみて」


「不死原、この見出し、一文字削れるんじゃねーの?」


「桃果ァ、トップのマル特の三行空きは、このままでええ。その方が特ダネに見えるっちゅうもんや」


 ──うるさい。うるさい。うるさい!


 背後の野次馬が桃果の鼓膜を次々に突いて、思考までも阻害する。


 ──好きにやらせてよ!邪魔しないでよ!


 桃果は奥歯を噛み締めて、紙面を組み替えていく。


 ──だから、第一グループなんて嫌だったんだ。私は平凡に整理部で働いて、転職活動に没頭したかったんだ。


「おい不死原ァ! もう降版を過ぎてんだろ! 今、何時だと思ってんだ!早く降ろせって! 」


 せっかちな性格そのままに、後藤整理部長の雷が落ちる。


「一面、降版します!」


 桃果は怒りを吐き出すように叫ぶ。


 午前一時三十二分十一秒。降版時間を二分オーバー。


 ──何で私が怒鳴られなきゃいけないの?


 降版ボタンにカーソルを合わせて、マウスを力強くクリックする。

 桃果の怒りに怯えるように、一面紙面は画面の向こうへとスッと消えていった。

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