第44話 「迷宮を封鎖する」
暗闇。
何処にあるとも知れぬ無明の空間にて。
「――誠に申し訳ありませんでした、『
女は暗闇の向こう側へと深く頭を垂れ、謝罪した。
アーロン・ゲイル殺害の失敗。その責から粛清もあり得ると理解しているからこそ、謝罪には重い緊張が含まれている。じっとりと冷や汗が止まらないし、胃は緊張と不安からジクジクと嫌な痛みを訴えていた。
今回被った損害は、決して馬鹿にならない規模だ。転移陣の一つに30人の『
特に『適合者』30人の死は、金銭的にも人材的にも手痛い損害だ。「普通の」非合法組織ならば、これだけの損害を出した構成員は楽に死ねないだろう。
だと言うのに、アーロン・ゲイル殺害の失敗に備えておいた次善の策すら、ほぼほぼ失敗と言って良い現状。
加えて【神骸迷宮】45層での被害も含めれば、もはや目を覆いたくなるほどの惨状だ。
いくら自分だとて、ただでは済まないと予想していた。
しかし、そんな自分に対して、返って来たのは軽やかな笑い声だった。
「あははははっ! 君は真面目だねぇ。どうして謝る必要がある?」
「――え?」
声は若い男性のものだ。
彼――組織内において『魔導師』と尊称される存在は、女の謝罪を的外れだとでも言うように軽く笑い飛ばした。
「今回のことは、全て僕の指揮下にある。確かに君にも色々と動いてはもらったが、それでも失敗の責任を問うということならば、その責任の所在は僕にあるだろう」
「い、いえっ、それはっ」
確かに最終的な責任者は『魔導師』だ。しかしながら、女の立場から「あなたの責任です」などとは、口が裂けても言えるはずがない。
それに、実際に主となって動いたのは『魔導師』ではなく女なのだ。その点で責められてもおかしくはなかった。
「しかし、実際に動いたのは私ですし……その責任はあるかと……」
「うん、今回はご苦労だったね。君には色々と苦労をかけてしまったようだ。それから、君は僕の指示で動いていたに過ぎない。だから君に責任を問うつもりはないよ」
「それは……」
「まあ、死んでしまった者たちには申し訳ないが、この話はここまでにしよう。僕たちにはまだ、やらなければならないことがある。そうだろう?」
「はい……その通りですね」
申し訳なさを声音に滲ませながらも、女は内心で安堵した。
どうやら、責任を問われて処分、などということにはならないようだ。女の立場を考えれば殺されることはないだろうが、『
「それで、話を進める前に確認しておきたいんだけど、君はネクロニアの状況を把握しているかな?」
「はい、すでに確認しておりますわ」
自らの安全を確信できたところで、女は気を引き締めて答える。
「≪迷宮踏破隊≫のクランメンバーを個別、または少人数の時を狙って襲撃し、内13人を殺害済み。同時に、【神骸迷宮】内部へ『
「うん、その通り。帰って来たばかりなのに、さすがだね」
「恐れ入ります。……しかし、当初の予定では≪迷宮踏破隊≫メンバーを襲撃して人数を減らし、クラン自体を解体に追い込む予定だったはず。『死』を使うのは予定になかったのでは? 迷宮に放ってよろしいのですか?」
「それはまあ、彼の帰還が早すぎたからね。≪迷宮踏破隊≫も警戒を強めちゃったし、これ以上の襲撃は少し難しいだろう。ここ最近、ずいぶんと予定外の出来事が続いているし、今回、思い切って『死』を使ってしまうことにしたんだよ」
「……申し訳ありません。私がもう少し、上手く誘導できれば良かったのですが……」
しおらしく謝罪し、再度、深く頭を下げる。
アーロン・ゲイルを殺害できなかった場合、本来であればネクロニアへの帰還を遅らせることで、≪迷宮踏破隊≫の戦力を手薄にし、クランメンバーを確実に減らしていく予定だった。
いくらアーロンやイオなどの特級戦力が強いとはいえ、人数が少なくなればクランを維持することは難しい。何より≪迷宮踏破隊≫が挑むのは【神骸迷宮】46層以下という超深層だ。クランの人員がある程度削られれば、戦力不足を理由に自然と解体することができるはずだった。
しかし、アーロン・ゲイルは普通なら一月はかかる距離を、5日で戻って来てしまったのだ。
「いやいや、君を責めているわけじゃないんだよ? あれは誰がやっても仕方ないさ」
「はい。お気遣い、感謝いたします」
と、頷いて、「しかし」と今度は疑問を呈した。
「……【
『死』は研究の過程で偶然に生み出された存在で、組織に忠誠を誓っているというわけではない。
最上級の契約魔法である【神前契約】で行動も意思も縛っているとはいえ、一度解き放ってしまえば、再び回収して再利用することは難しいだろう。
『死』の性能はアーロン・ゲイル以上に常軌を逸しており、使い捨てにするには少々惜しい存在だ。
だが、『魔導師』は特に拘る様子もみせず、あっけらかんと答える。
「『死』について必要な研究は終えているからねぇ。別に回収できなくても構わないよ」
「……回収するつもりはない、と?」
「うん。誰かが倒しても構わないし、倒せないなら倒せないで、ずっと迷宮に放し飼いにしておけば良い。……いや? もしかしたら、契約の効力が失われて地上へ出てしまうかもしれないが。それならそれで面白いことになるね」
「……『死』にアーロン・ゲイルを始末させるおつもりはないのですか?」
女は問う。
『死』を使うなら使うで、現状、気になるのはそれだ。
『死』ならばアーロン・ゲイルでさえ確実に葬り去ることができるだろう。だが、『魔導師』の言いようでは、特にそのようなつもりはないように思える。
そしてその推測は、どうやら当たりのようだった。
「うん。いや、そのつもりはない。飽くまで『死』に与えた役割は、【神骸迷宮】に魔物の「大発生」を起こすことだ。「大発生」下の迷宮ならば、≪迷宮踏破隊≫も探索を進めることはできないだろう。『死』にできるだけ長く「大発生」を維持させ、時間を稼ぐ。それが目的さ」
徹頭徹尾、時間稼ぎが目的のようだった。
しかし、それは少々積極性に欠けるような気がして、さらに問う。
「スタンピードは起こされないのですか?」
「うん。今、スタンピードを起こしても意味がないからね。「大発生」を起こして事実上迷宮を封鎖する。飽くまでもそれが目的だよ。まあ、僕らも迷宮資源の回収に苦労することにはなるけど、それは仕方ない。誰にも迷宮を攻略されるわけにはいかないからねぇ」
やはりそうだ、と確信する。
『魔導師』と自分とでは、現状の認識に齟齬がある。もしかして、『魔導師』はアーロン・ゲイルに脅威を感じていないのでは?
そんな疑問を抱いた女は、『魔導師』の気分を害するかもしれないと思いつつ、それでも意を決して確認した。
「で、ではっ、アーロン・ゲイルにはどのような対処をなされるのですか?」
予想に反して、『魔導師』が気分を害した様子はなかった。それどころか、おかしそうに笑い声さえあげて答える。
「あっはっはっはっ! ずいぶんと彼を気にかけるんだねぇ。まあ、君の気持ちは分からないではないけど」
「いえ……単に、アーロン・ゲイルを生かしておくのは我々にとって危険と考えてのことですわ」
「ふむ……」と、『魔導師』は声音を真剣なものに変えた。
「確かに、彼は危険だ。人間としては強すぎる。【遠隔視】で覗いていたけれど、僕もまさか、あの状態で生き延びるどころか、腕の立つ『適合者』を30人も殺されるとは思っていなかったよ。あ、一人は僕が始末したんだったかな? ……まあ、良いや。ともかく、【遠隔視】で観察していた限りにおいても、彼の戦闘能力は異常極まる。信じがたいことだけど、彼ならば【神骸迷宮】を攻略してしまう可能性は高い。君の懸念も理解しよう」
「では?」
「うん。いや、だが彼を殺害するという計画は中止だ。もしかしたら『死』が殺してくれるかもしれないが、これ以上、積極的にこちらから何かをする必要はない。探索者一人を殺すのに、あまりにも損害が大きすぎるしね」
「そ、それはそうですが……っ!」
「それに勘違いしてはいけないよ? 僕らの目的は彼を殺すことでも、≪迷宮踏破隊≫を解散させることでも、【封神四家】を潰すことでもない。【神骸】を利用して【神界】へアクセスすることだ。確かに『適合者』や『死』は強大な力を僕らに与えてくれたが、そんなものは手段を手に入れるための研究の、副産物の一つに過ぎない。力を手に入れたからと言って、彼を殺すことに拘る必要はないだろう」
「……了解いたしました。では、≪迷宮踏破隊≫に対する工作は、「大発生」による迷宮の封鎖、これ以外のことは必要ないということでしょうか?」
神経質になっているのだろうか?
個人的にはアーロン・ゲイルを野放しにしておくことには、危機感を禁じ得ない。しかしながら、『魔導師』の言い分も理解できる。これ以上、奴に拘ることは無用な損害を出すばかりではないか、という。
ならば事を終えるまでの、時間稼ぎに専念した方が色々な面で効率が良いのも確かだ。
「うん。そういうことだね。あとは【封鍵】を作成するために、やはり【封神四家】の直系が必要になりそうだ。当主……とまで贅沢は言わないけど、僕くらいには血の濃い存在が必要だね。どうにか拐わないといけない。そこで……」
話は次の話題へと進んでいく。
「ローガンの状態が安定したら、そろそろ彼にも活躍してもらおうかと考えている」
「了解しました。……しかし」
と、そこで女は僅かな懸念を示した。
「使えるでしょうか? 元々はキルケー家に所属させたまま、こちらの手駒として使うはずでしたのに、あの男……エイルと剣聖の勝手で、姿を眩ますことになっていますし」
勝手に二人で戦闘を繰り広げたかと思えば、両者ともに死ぬ寸前の深傷を負い、さらに剣聖に至っては【封神四家】を裏切る代償として、「できるだけ早く私を強化してもらおうか?」などと要求してきた。
表向きクランに所属しながら『適合者』化するには時間がかかる。『抑制剤』を多用しながら緩やかに肉体を変化させなければならないからだ。
剣聖はそれを拒み、一気に処置することを要求してきた。加えて治療も施さなければならなかったし、それゆえに組織で匿うことになってしまったのだ。
剣聖が持つ魔鷹騎士団団長という立場も、≪迷宮踏破隊≫クランマスターという立場も失われてしまった。
剣聖はこちらの想像以上に、力の信奉者だった。自分より強い者がいる現状を許せず、自分が強くなるためなら手段を選ばない。そんな傲慢な存在だったのだ。
まあ、だからこそ操りやすくもあるのだが、敵陣営に潜ませたジョーカーとしての役割が果たせなくなったのも確かだ。
しかし、『魔導師』は問題ないと考えているらしい。
「【封神四家】側は、まだローガンが裏切ったという確証は得ていないはずだ。それにアーロン君を含め、個別にメンバーの襲撃を続けたし、もしかしたらローガンが消えたのも同様の襲撃を受けたと考えているかもしれない。まあ、それでもキルケーに戻すことはできないだろうけど、他に潜ませ、混乱させることならできるはずだ。まだまだ使い道はあるさ」
「なるほど……」
「うん。それで、ローガンを使って四家直系を拐うことにしよう。当主でなければ、何とかなるはずさ」
そうして『魔導師』は詳しい内容を語り始めた――。
●◯●
「なるほどな……」
キルケー家の屋敷。
その一室。
いつも通される応接室にて、俺は迷宮で何が起こったのかを聞いた。
今のところはスタンピードではなく、その前段階。【神骸迷宮】内部において、魔物の「大発生」が起きているらしい。しかもその原因は、迷宮内部を自由に移動する特異個体の魔物だという。
その魔物が何十人もの探索者を殺害し、迷宮がそれを吸収したことで「大発生」が起きたのだ。
これが誰かの意図した結果なのか、それとも自然発生的な出来事なのかは、まだ分からないのが現状のようだ。
しかし、魔物の大発生以外にも問題が起こっていたらしい。
それが≪迷宮踏破隊≫クランメンバーに対する襲撃。しかも、すでに13人のメンバーが命を落としているという。
「大発生」と襲撃に因果関係があるのかも分からないが、エヴァ嬢たちが深刻な顔をするくらいには切迫した状況であるのは間違いない。
今すぐスタンピードが起こるわけではないと知って、いくらか冷静さを取り戻した俺は、これからのことについて思考を巡らせた。
まずは探索者ギルドと協力して、「大発生」を終息させるために色々と動くことになるのだろうな、と。
「――アーロンさん、聞きたいことがありますわ」
「ん?」
そこで、ローテーブルを挟んだ向かい側に座るエヴァ嬢が、やけに真剣な顔で聞いてきた。
「現在、説明したような状況で、私たちは切迫した状況にありますわ。今は正体が不明でも、腕の立つ方々を味方に迎えたいのです。ですので、正直に答えていただきたいのですが」
「ああ」
しかも、この念の押しようだ。
俺は少々戸惑いつつも頷く。
「分かった。もちろん、正直に答えよう。何だ?」
そんな俺に、エヴァ嬢は鋭く斬り込む剣士のような眼差しをして、確信を抱いた口調で、問う。
「あなたは……≪極剣≫の一員ですわね?」
と。
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