第25話 スタンバイ……
「……」
「……」
さっきからこの調子なのは、うら寂しい路地を行く高橋と島村だ。そう、二人は気まずい。なんと言ってもホヤホヤの初対面なのだから。二人は別々のリズムの足音で、黙って歩いていた。夜はもう、だいぶ深まっている。
二人が歩くのは、ざっくばらんな建物に挟まれた細い路地だった。一方通行の道で、放置自転車やポリバケツなんかが、夜の暗がりに眠っている。ぼんやりした街灯や、様々な店の看板が、暗闇に浮かんでいる。人通りは皆無だ。
高橋はさっきからずっと、なにか喋ることはないか、とそればかりを考えていた。仕事上での出会いではない。趣味を通じて知り合ったわけでもない。だから話すことが思いつけない。だけど話さないと気まずい。むむ。それは例えば、箱の中身はなんだろな、のような、おっかなびっくりで手探りの感覚だった。こういうとき、笑いながら箱のなかに手を突っ込める勇敢な者もいるが、残念ながら高橋はそうじゃない。
近くの道路の都合なのか、車の走る音が急になくなり、ボリュームを絞ったように夜の静寂がおりた。ちょ、ちょっと待ってよ、と高橋は慌てた。
「……あのー」ようやく出した声を伸ばして、「夜になるとアレだね、昼間より寒くなるよね」
「え、うん、そう……だね」
今ひとつすっきりとは頷けない島村。昼間より寒くならない夜はないのだ。「そんなの当たり前じゃん」と笑って言えるほど、まだ距離は近くない。足音が沈黙を埋める。
今度は島村が、
「さっきの店の料理、美味しかったよね」
と、高橋の顔ではなく、どこか知らない店の看板に目をやりながら言った。
「ああ、うん、美味かった」
「特にあの、なんかスモークサーモンみたいなのが美味しくなかった?」
「え? そんなのあったんだ? 俺食べてないな」
「あ、そうなんだ……」
「うん。俺はあれが美味かったな。鴨肉? みたいなヤツを焼いたヤツ」
「それはわたし、食べてないなぁ」
「そうなんだ……」
「うん……」
全種類食べとけよ! と船長は盗み聞きしながら歯軋りしたことだ。
高橋と島村の会話は途切れてしまって、沈黙のまま角を一つ曲がった。
〈十三号、スタンバイは出来ているな? そろそろだぞ〉
〈了解だ〉
十三号は船長の声を聞いて、窓から顔を出して下を見た。真下には暗がりの路地が見える。少し視線を移すと、角を曲がってきた高橋と島村の姿が確認できた。初対面まるだしの距離を開けて歩いている。
十三号がいるのは、雑居中の雑居ビル、そこの空テナントになって久しい廃墟のような部屋だった。がらんどうの室内には夜の暗闇が立ち込めている。
〈タイミングを誤るなよ〉
〈わかっている〉
高橋と島村の歩く速度を測定しつつ、十三号は足下に置いていたバケツを持ち上げた。バケツには水が満々と入っている。これを今から、高橋の頭上目掛けてぶちまけようという企てなのだ。狙う展開はこんな感じ。
……ああ高橋さん! たいへん、ほら、このハンカチを使って! それから、返してもらうときの便宜を考えて、連絡先を交換しておきましょう。
んなアホな、マンガかよ、という指摘は的確で、船長とサヨコの情報源は、ほぼマンガしかない。しかし、そんな展開が起こらないとも限らない。
十三号はバケツを窓の外に構えて、重力による落下速度を計算し、タイミングを計った。緊張もしないし、良心の呵責も感じない。あるのはただ、冷たい数式。そして冷たい水。
引き金を引くスナイパーのように、十三号はバケツをひっくり返した。
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