四・八

 押井は人の心に寄り添うことのできる人間だ。人の悩みも短所も受け止めて、共に歩むことのできる人間だ。僕は彼のような素晴らしい人格者を友人に持てたことを心の底から嬉しく思った。それと同時に、僕はそんな彼に嫉妬している自分を嫌悪した。


 どの世界でも僕らの関係が大きく変わることはなかった。何かしらの形で僕と栞と押井は出会っていて、思い人と親友という関係は変わらなかった。だがそれは、どの世界でも栞と押井が両思いであることを意味する。だから僕は少なからず押井に嫉妬の念を抱いていた。僕はそんな自分が許せなかった。


 いつだって僕らはクソったれなシラノ・ド・ベルジュラックを演じていた。どれだけ栞を助けるために苦悩したところで僕の想いが彼女に伝わることはなかった。無論見返りが欲しくて助けようとしたわけではない。けれど、心のどこかで彼女に振り向いてもらいたいと思っていたのもまた、本当のことだった。


 一度だけ、その感情が抑えられなかったことがある。


 ある時、僕は王だった。水と石油資源の枯渇により荒廃した世紀末の日本で、僕は本州の半分を統べる国の王だった。一介の戦士から、成り上がって地位を得た。

 それから僕は欲望の限りを尽くした。あの世界の僕は最も過激で荒々しい性格だった。まるで何もかもが嫌になったかのように、僕はありとあらゆる破壊と略奪を行った。まさに悪逆非道の権化であった。


 そうとも善だの信念だのが果たして一体何の役に立とうか。我々はあの残酷な神だとかいうもののために、草むらの蛇の如く地べたを這いずりまわる業を背負わされているのだ。醜悪なる神の作りし摂理とやらは、我々を軽蔑するために作られたに決まっていよう。なればこそ我々は悪の道をひた走るべきだ。それは人が神に反抗する唯一の方法であり、あの鼻もちならない神の名声と権威を地に落とす最良の行動なのだ。甘美な罪の味を心ゆくまで堪能することは、神に対する我々の反逆なのである。


 そんな下らない哲学を僕は本気で信じて、そして実行していた。


 栞と押井はこの世界でも仲が良かった。明確に愛を誓いあっていたわけではなかったが、二人はとても仲睦まじく見えた。人の感情など知りえるところのものではないが、きっと今回も栞は押井のことが好きなのだろうと思った。それが気に食わなかったから、栞の目の前で押井を殺した。二人を自室に呼び寄せて、彼の喉元を思い切り掻き切った。突然の恐怖に失神した彼女を無理やり叩き起こすと、僕はその美しく無垢な白い裸体を貪るように弄んだ。茨で編んだ鞭でところ構わず叩きのめし、乳房を茨で締め付け、彼女の初物を奪って腎水をこれでもかと流し込んだ。押井の首からどくどくと溢れる鮮血を飲ませたり、死体から心臓をえぐりとって彼女の端正な顔に塗りたくったり、しまいにはその心臓を食わせたりもした。絶望や、恐怖や、涙や、憎しみなどが寄り集まった彼女の表情に僕は昂奮を抑えきれなかった。ようやく栞を手に入れたのだと思い込んで、全能感に浸っていた。けれどその恍惚が油断を生んだ。猛り狂っていた僕の隙を突いて彼女は押井を殺したナイフを取り、彼の死体の上で首に刃を立てた。自殺した彼女の姿を見て、僕は何だか急に虚しくなった。そして部屋にガソリンを撒いて火を放ち、燃え盛る炎に囲まれながら青く光る右手を伸ばした。


 次の世界で僕は大学生だった。僕は前の世界で自分の行った愚かで残虐な行為を心の底から恥じた。栞にその記憶はなかったが、罪悪感と自己嫌悪によって彼女を直視できなかった。僕はあらゆる人脈を駆使して留学先を探し、逃げるようにドイツへ渡った。そこで僕は分析哲学を研究する哲学科の友人を持ち、『論理哲学論考』に出会った。

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