第22話 見えざる危険
全ての授業が終わり、後は軽い伝達事項を残すのみとなった教室は、生徒たちの有り余る元気で騒がしさを増していた。
「なぁ、今日終わったら出掛け行こーぜ」「どこ行く?」「ここのページの公式が分からなくて―――」「へぇ、それいいわね」「俺は――――」
それぞれの予定や趣味の話に華を咲かす生徒たち。そんな教室の端で、シャルロットは一人魔術教本を読んでいた。周囲の騒がしさが気にならないほどの集中。本に穴が空くかのような鋭い視線は、止まることなく文字を追い続けている。
『基本的な知識を得たら、あとはひたすら思考と試行を重ねるんだよ。魔術はそんなもんだろ』
それは、何気ない日常のなかでフェリクスがこぼした言葉。どのタイミングでそれを言われたかなど覚えていない。しかし、魔術において誰よりも先んじている男がそれまでの人生経験を元に出した答えは、シャルロットの奥底に焼き付いていた。
「シャルロットさん。ちょっといいかな」
深い集中を引き裂く声がした。我に返ったシャルロットが声の主を見る。そこに立っていたのはクラスメイトの少年だった。貴族階級に名を連ねており、それなりに成績も高い。
「なにかしら」
「課外学習のことなんだけど、良かったら一緒の班になってくれないかな?」
期待と僅かな不安に揺れる声は、あまりにも分かりやすいものであった。少年の気持ちに気付いた周りの生徒たちが囃し立てる。
「そういえば、そんな話もあったわね」
さしたる興味も無かったシャルロットは、男子生徒の言葉から課外学習の存在を思い出す。
元の行事がどうでも良いなら、班員が誰になるかなど思慮の外側である。カトリーナたちとくっつくも良し、真剣に学習に打ち込める生徒と固まるも良し。そう考えれば、目の前の生徒は学力という面においてそれなりに好条件であった。シャルロットは、特になにも考えずにその誘いに頷こうとして―――
ベキッ。
本人も無意識のうちに、手に持っていた羽ペンをへし折っていた。
「そ、そんなに嫌だったかなっ?」
最近改心しつつあるシャルロットに惹かれて声を掛けた男子生徒は、羽ペンを壊した彼女に以前の姿を重ねてしまった。質問の声が微かに震えている。
ただ、
「違うのよ。別に怒ってる訳じゃないわ」
シャルロットの声は更に震えていた。それは怒りか混乱か、はたまた―――
(なんでこんなときにあいつの顔が出てくるのよっ!!)
男子生徒に勧誘の話を持ちかけられた時、シャルロットが真っ先に思い浮かべたのはフェリクスの顔だった。用務員である彼は課外学習に同行できない。しかしそれを承知で、もし一緒に行けたらそれなりに楽しいだろうなと、そう思ってしまったのだ。それを自覚したシャルロットが拳を握りしめた結果、羽ペンが犠牲になったというわけだ。
「ご、ごめんなさいね。私も誘いたい人がいるのよ」
「そうかい。うん、こっちも悪かったよ」
肩を落として自分の席に戻っていく男子生徒だが、彼の行動は無駄ではない。彼は、学院の高嶺の華であるシャルロットに声をかけたという前例を作ったのだ。一人が痕を残せば、続く者の恐怖心は薄れる。他の男子生徒たちも、勇んで彼女のもとへ向かおうとして―――
「はい皆さん、座ってくださいね~」
そんな男子生徒たちの勇気を打ち砕く声が響く。たった今教室に入ってきたルークは、実に楽しそうな顔で男子生徒たちを見渡す。
「さぁ、座りましょう」
クラスの男子生徒の半分近くがルークに反抗するという暴動が鎮まった後(講師権限)、持ってきたプリントを配布しながら腹黒講師が口を開いた。
「二週間後に行われる課外学習ですが、今年度は急遽先生側で班員を決めることになりました」
「そりゃないっすよ!!」
「そうだぞ!!先生流石に酷すぎるだろ!!」
「私たちも反対ですわ!!」
テッドの声を皮切りにブーイングの嵐が巻き起こる。だが、ルークはそれはそれは穏やかな笑みを浮かべると、静かな声でそれらを一蹴した。
「学院長の決定ですからね。僕じゃどうにもできません」
「はぁっ!?なんでだよ!どうしてだよ!!」
「流石に信じてもらえないかもしれませんが、これは僕の決定ではありませんからね?というより、一講師に過ぎない僕にそんな権限はありませんよ。僕の言葉では学院長は動かれません」
(僕がどうしてかを聞きたいくらいですよ。フェリクスさんが学院長に声を掛けたんですから)
エリナとシャルロットの関係、ひいてはクラスの上級階級とそうでない側との対立を考慮して、以前からランダムに班員を決めようとしていたルーク。しかし、その意見を通すだけの権限が彼には無かった。
なにせ相手は貴族だ。上流階級から多くの寄付金を受け取っている学院側は、貴族の言葉に逆らえない。そしてルークの意見は貴族のそれとはかけ離れている。そんな理由から、ルークが行き詰まって頭を抱えていたのがつい先日。そして、フェリクスがルークに班員の話を持ち込んできたのも、同じく先日のことだった。
そこからはあっという間だった。フェリクスが一人で学院長室に乗り込むと、翌朝には意見が通っていたのだ。
「全員、手元にプリントは行き渡りましたね?その名簿が課外学習での班分けになりますから、自分の班のメンバーは覚えておいてください」
ルークの言葉を聞き、生徒たちは血眼で自分の名前を探していく。歓喜の声や絶望の嘆き声が断続的に響き始める教室に―――
「え?」
「…ぁ……う」
シャルロットとエリナ。二人の声が重なった。
〇
光があればその裏には必ず闇がある。
それは、マーレア王国の王都、マーレガリアにも当てはまる話であった。
開発が進んだマーレガリアの表の世界は、大陸でも有数の都市として栄えている。そしてその大きな光の分だけ、開発に取り残された地区―――すなわち貧民街も拡大していた。
二百年間絶えず拡大を続けた貧民街は、最早王の権限ですら底まで照らし切れない闇で満ちていた。
闇に紛れるは闇。マーレガリアの裏側は、黒に染まった者達の世界だ。
その闇の一角にて、二人の男が言葉を交わしていた。
「対象は三人。ルギウス=フォン=シュナウザー。シャルロット=フォン=グラディウス。そしてエリナという生徒だ」
「前の二人は分かる。シュナウザーもグラディウスも、親が開戦派の派閥の中心人物だ。恨みを買っているだろう。だがエリナとは誰だ?」
「さあな。依頼を受けただけだから俺も知らん。ただ話によると、残しておくにはあまりにも危険だとか」
「才能に恵まれ過ぎたがゆえ、というわけか」
「深く考えすぎるな。俺達は抜き身の刃。懐刀に思考はいらん」
「分かっている」
それから幾つか必要な情報を伝え合うと、男達は霞のように消えてしまった。
見えないところで、シャルロットたちに危険が迫っていた。
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