第7話 疑いようもなく俺の妹で、幼馴染みは消えてしまった


「お前……雪奈か……? 本当に?」

「何を疑っているんですか。どこからどう見ても私じゃないですか」


 雪奈は俺の腹に乗りながら、きょとんと首を傾げた。

 その様子からは、嘘を吐いているようには見えない。


 いや、念のため確認してみよう……。


「ちょっとエグい下ネタ行ってくれないか?」



「【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁止用語】【放送禁……」



「………………俺が悪かった。もう黙ってくれ」


 俺は頭を抱えた。


 コイツ、どうして学校ではクールなのに家ではヤバイことしか言えないんだ。

 外に出せねぇよ……。


 ただ、俺の前にいるのが雪奈なのは、どうやら疑いようのない真実らしい。

 綾音はどこに行ったんだ……?

 まさか、昨日の出来事は夢だったとでも言うのか。


「さっきから変な質問ばかりしてきて何なんですか? はっ! まさか、私が寝ている間に催眠アプリを使ってあんなことやこんなことをしたんじゃ……」

「催眠アプリって?」

「その名の通り、人を催眠状態にするアプリです。同人誌とかで女の子の意思を操作して、色々させちゃうんですよ」

「そんなアプリ現実に存在しないし、そもそもお前にいかがわしいことなんてするか!」

「一言も『いかがわしいこと』なんて言ってないんですけど……ナニを想像したんですか?」

「うぜぇえええええっ!」


 雪奈のことだから、そうとしか考えられないじゃん!

 てか、まだ十六歳だよな?

 なんで同人誌の中身知ってるんだよ。


「そんなことよりも、どうして私が兄さんと一緒に寝ていたんですか?」


 綾音が昨日、一緒に寝ようと言ったから……とは答えられないよな。


 雪奈は俺が綾音に未練があることを知っている。

 『綾音が雪奈の身体に転生した』とか言えば、きっと頭がおかしくなったと思われてしまう。

 ここは誤魔化すしかなさそうだ。


「ね、寝ぼけたんじゃないか?」

「ふぅん……」


 雪奈は納得いかなさそうな声を漏らした。

 ずっと一緒に暮らしてきたけど、寝ぼけて俺のベッドに入ってくることなんてなかったからな……。


「それより、身体は大丈夫か? どこかおかしいところはないか?」


 ひとまず、別の質問で誤魔化そうとする。

 雪奈は自分の身体を見下ろしながら答えた。


「特に変わったことはないですけど……どうしてですか?」

「覚えてないか? 昨日、学校から帰ろうとした時に階段から落ちたんだぞ」


 昨日の出来事を思い出す。


 階段から落ちた時には、雪奈はまだ雪奈のままだったはずだ。

 彼女が綾音になっていたときの記憶がなかったとしても、それ以前の記憶はあるはず。


 そう思って訊ねたのだが、雪奈は目を瞬かせて反対側へ首を傾げた。

 さらりと、白い髪が身体に添って流れる。


「……私、階段から落ちたんですか?」

「そこも覚えてないか……」

「……いえ。少しだけ思い出してきました」


 綾音は額に握った手を当てて、考え始める。


「……ああ、確かそうでしたね。私、階段から落ちて……それで……」

「意識を失ったんだよ。それで、一度は保健室に運んだんだけど、目を覚まさなくて……」

「……それなら、私が寝ぼけてこんなところにいるのはおかしくないですか?」


 俺の馬鹿ぁあああっ!


 そうだよね!

 保健室で目を覚まさなかったら俺の部屋なんて来られないもんね!


 雪奈に不審がられている。

 何とか誤魔化さないと……。


「そ、そのあと、一度目を覚ましたんだよ! 病院に行こうかと思ったけど、雪奈が行かなくていいって言ってたから行かなかったんだ。でも、記憶が飛んでるってことはやっぱり病院に行った方がいいかもしれないな⁉」

「は、はい……そうですけど、どうしてそんなに慌ててるんですか? 何か隠しているんじゃ……」

「何でもない何でもない! ほら、早く朝ごはんを食べないと学校に遅刻するぞ!」

「今、病院に行ったほうが良いって……」

「そうだよな~! 学校よりも病院だな! それじゃ、準備しようか⁉」


 雪奈は怪訝な表情をしながら、ベッドから降りた。

 身体の自由を取り戻した俺も立ち上がり、早足になりながら部屋の扉へと歩いて行く。


「それじゃ、先にリビングに降りて朝ごはん作ってくるから!」

「じゃあ、また呼んできてください。二度寝しますから」

「準備しろって言ってるんだけど!」

「ぐぅ……」

「もう寝てる⁉」


 涼しい顔をして、ぐうたらな姿を見せつける様は、まさしく雪奈だ。

 やっぱり、綾音は消えてしまったのだろう。


「はぁ……もう、訳分からねぇよ……」


 雪奈にちゃんと事情を説明できない自分が情けなくて、ため息が零れる。


 雪奈もきっと不安だっただろう。

 綾音のことを誤魔化すのは、雪奈のためになるのだろうか。


 ……いや、言ったところで信じてもらえないだろう。


 綾音に未練がありすぎておかしくなったと心配されるのはダメだ。

 今の雪奈は、ただでさえ階段から落ちて気を失ってしまった。

 昨日の夕方以降の記憶もないみたいだし、これ以上不安にはさせたくない。


 俺は部屋から出てリビングに向かいながら、首から提げたネックレスを握った。

 綾音のことは秘密にしておこう。

 そう、心の中で決めながらリビングに入り、キッチンに立つ。


「まあ、昨日のことが夢だったって可能性もあるしな。第一、綾音が転生するはずがない。俺の未練が見せた幻覚だったりして……」


 自虐的に、小さく笑いながら「朝ごはんは何作ろうかな」と冷蔵庫を開ける。


「っ――――」


 その瞬間、俺の目にあるものが映った。


 冷蔵庫の中段に、ラップに包まれて置かれた器。

 中には、昨日の夜に食べたかぼちゃの煮物の余りが入っている。


 雪奈は料理ができない。


 だから、必然的にそこにあるのは綾音が作ったものだということに変わりないわけで。


「……ああ、くそ」


 心臓が、痛いほど締め付けられた。


 今まで、未練たらしいからと綾音のことを忘れようとしてきた。

 でも、どうしてお前はまた、俺にこの感情を思い出させるんだ……!


「やっぱり俺……綾音のことが好きだよ……」


 冷蔵庫を閉めながら、俺は小さく呟いた。

 俺の言葉は、もう綾音には届かないのだろうか。


 ……いや、きっと届かないんだろうな。


 綾音はもう、ここにはいないのだから。


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