第7話 クトゥルフに愛された子

 学園はもうすぐ夏だ。

 魔界全土では、まだ雪解けの季節なのだが、学園内の季節は外とは違うのである。

 もうすぐ、プール(人口湖)の使用始めのイベントがある。

 だが、それをするには最近は雨が降り続いているようだった。


 俺はミランダと別行動で、美術室に来ている。

 絵画が好きだからだ。ここには卒業生の置いていった、絵画が一杯ある。

 気になるのは、理科準備室の前に陣取って、ずっとスケッチを続けている女の子。

 最近は、得意の静物画ではなく、何か不気味なものを感じる。


 この間、スケッチブックを覗き込んで仰天した。

 非ユークリッド幾何学で描かれたような、ねじくれた塔の絵で、画面は真っ黒の濃淡で出来ていた。ただ門の位置だけは、何も塗られていない。

 他が、真っ黒なので、どう考えてもわざとだろう。

 しかしこれ、どこかで見たような………?


 絵を物色しいているのも飽きたので、俺は教室に帰ることにした。

 何だか危なっかしい彼女を置いて―――。


 俺は教室に帰ろうとしたのだが、途中で先生に捕まってしまった。

 なんでも、理事長の部屋に来て欲しいらしい。

 めんどくさいなぁ、と思いつつ了承する。

 遠井理事長室まで行って「雷鳴です。何の御用ですか?」

 そういって、扉を開ける。そこには理事長が居た。


「まぁ、座りなさい。今お茶を淹れさせるから」

 そういえば、ここの理事長は女性で、学園長の孫なんだったか。

 少しだけ気分を良くしつつ、お茶を待つ。

 その間に理事長か要件を告げられた。何でも卒業後理事になって欲しいんだとか。

「気が早いけど、構いませんよ?」


 そういって、出された麦茶を飲む。邪気がした。

 その上ひどく生臭い。それを指摘すると

「屋上の貯水槽を見に行くわ。浄化貯水槽のはずなんですけどね?」

 と言うので、女性一人ではとついて行くことにした。


 この学園では、屋上も生徒に解放されている。雨なので誰もいないが。

 巨大な貯水槽を覗き込むと、何かが見えた。

 まんなかのほうでぽつんとうかんでいる小さな影。

「美術室の女生徒」の変わり果てた姿だった。


 俺は彼女を引き上げる。

 彼女は腹を真一文字に切り裂いており、内臓がこぼれている。

 その腹の中からは、ガラス片が出て来た。「美術準備室」と書いてある。

 彼女がいつも描いている所から、すぐの場所にある部屋だ。


 その瓶のかけらから、邪気とホルマリン臭がする。

 どうも彼女は、腹を切り裂いて、この瓶を腹に突っ込んで自殺したらしい。

 そして邪気、今はこれらにつながりは見られないが………。

 理事長が呼んだらしい人員で、屋上が騒がしくなってきた。

 俺はその一人に、「美術室の女生徒」を丁寧に渡し、そこを辞した。


 部屋に帰ると、クッションに埋まったミランダがのんびりしていた。

 さっきの出来事を話すと、そういえば、と

「水道で顔を洗ったら、妙に生臭かったよ。もう解消されたかな?」


 というので、洗面室を見に行ってみると、水が出しっぱなしで………そこにゴースト?が浮いていた。白い着物をきた「美術室の女生徒」に似た幽霊だ。

 ゾクッとしながらも、水を止めるとゴースト?は掻き消えた。


「解消してたよ、ミランダお前「美術室の女生徒」について調べられるか?」

「まっかせなさーい!今から授業に出てくるねっ」

「何だ、サボりか?俺も結果的にサボったけどさ」

「もう知ってる科目だったんだもん。とりあえず行ってきますv」


 5時間ほどするとミランダは帰って来た。授業の終了時間は4時間前である。

 心配していると、のこのこと返って来た。

「おかえり、どうだった?大丈夫か?」

「まずは、噂から。彼女、ここ3ヶ月ぐらい妊娠してたとかで、学園に来てない。けど、最近美術室か、保健室には登校してたみたい」


「妊娠?」

 彼女のお腹はぺったんこだったぞ。

「それで、家族に聞き込みに行ってみたんだけどね、彼女の名前はルーメンさん。で、妊娠は想像妊娠だったんだって」

「想像妊娠で、あのホルマリンケースを腹に入れたって?!」

「さあ………それはわからないけど。あと1つ、ニュースがあるよ!」


「そうなのか?」

 いつもながらミランダは優秀だな。

「美術室に遺品があったから、回収してきたんだけど、その際に隣の部屋が妙に気になってね、ブッキーだったけど、入ってみたら、窓が割れてて………。ホルマリンケースがたくさん落ちてたんだ。それが生きてるみたいにびちびち動いてて、思わず踏まないようにステップ踏んじゃったよ」


「で、しばらくすると落ち着いたみたいだったから、部屋に会った目録と紹介してみたの。ルーメンさんがどのホルマリンケースを持ってったのか、分からないかと思ってね。わたしでも何とか分かったよ」

「どんなものだったんだ?」


「えっとねえ、胎児から蝙蝠の羽が二枚出てて、腰から下が触手だったみたい」

「それは………えらく各領地が混ざった胎児だな」

「それでルーメンさんの遺品も回収したんだけど………」

「偉いじゃないか、どうしたんだ?」

「遺品のスケッチブックが爆発しちゃった!」


「はあ?」

「いや、非ユークリッド幾何学的な塔を見てたら、窓から水が吹き込んできて………門の穴の所に集まって、染み込んでいったんだけど。それに耐えきれなかったのか、空中でスケッチブックがねじれて………ボン!とバラバラに!アレは怖かったなぁ。はい、あんまり触りたくなかったけど、これ出来るだけ修復したモノ」

 おれはテープだらけのスケッチブックを見る。見る影もないが………塔の門が黒く塗りつぶされている。鉛筆でもインクでもない、正体不明の何かなのだ。


「それとさぁ、目録にあったその赤ん坊を寄付した所をメモしてきたんだけど?」

「誰だ?」

「学園の元理事で、魔帝領のムルカゴ総合病院の院長、ムルカゴさん」

「行ってこれるか?」

「んーまぁ、雷鳴から見舞い品でも貰っていけば行けるんじゃない?引退して、夫婦人界の南方でバケーションするらしいからね!」


「お前よく、そんな情報引き出してこれるな」

「聞く所と、態度だよ♪」

「はぁ………見舞い品は「黄金のアップルパイ」でも持って行け」

「らじゃー。明日のあさイチで行ってきます!」


 そのまま俺達は、各自の寝室に引っ込んだ………のだが雨の音とごぼごぼという音で眠れない。意を決してベランダに出ると、排水溝の蓋が盛り上がっていた。

 その上にはルーメンさんに似たゴーストが。ぞくりとする。正気度が削れる感覚。

 精神系攻撃魔法を放つ1瞬前に、そのゴーストは掻き消えた。


 朝、ミランダは俺より先に部屋を出たらしかった。

 ミランダは、その気になれば俺よりよっぽどアグレッシブルだ。

 俺は、おそらく標本の中身―――多分クトゥルフに愛された子―――が、学園の水道系を乗っ取ったと見ている。先生には聞かせられないな。

 電話で理事長に「今回の湖開き(プール開きと同じようなモノ)にはあなたも出席してください」と念を押されてしまった。何かあれば、何とかしろという事だろう。


 俺は午後は授業に出席する………。

 部屋に帰ったのは、ミランダと同時だった。

「どうだった?」

「ん~それより体育館でモーリッツがさぁ………」

「モーリッツ?一体どうしたんだ」


「体育の時間、水飲み場の水を飲んだらね、給水口から口が離れなくなっちゃって、何とか引っぺがしたんだけど、水を吐きたくても吐けないみたいで、応急処置するのにすごい手間取ったんだよ。それだけならまだいいんだけど」

「僕はお母さんじゃない!」

「って叫ぶんだよ。見れば分かるよって宥めるのが大変だった」


 確かにモーリッツは性別といい、年齢といい、お母さんとは程遠い。

 赤ん坊は母親の胎内に戻りたがっているのか………?

『勘』だがそうではないように思える。


「で、医者の方は?どうだった?」

「うん、受けなくても判る授業をパスして行ってきたんだけど………引っ越しの最中真っ盛りでね。それでも話は聞けたよ。あの標本はお父さんのもので、得体が知れなくて処分しにくいから寄付しただけだったみたい。でも成果はあったよ!お父さんの遺品がないか聞いたら、カギが厳重で開けられてない箱があるって言うんだよ」


「ああ………それはお前には丁度いいわ」

「そうなの、あっさり開いたから、医師のポカンとした顔がおかしくてもう。で、出てきたものに価値は無いと判断したみたいだったから、貰って来た」

 1つはえらい長いタイトルの地球の本。

 読みにくいマリィという名の女性のカルテ。

 魔界古語の研究ノートが3冊、古臭い手書きのものだ。

 あと薬物研究所からの手紙。


 英語の本の作者を見ると、ラバン=シュリュズベリイ博士だった。とんでもない。

 クトゥルフに核爆弾を落としやがった人だ。

 それで死なないクトゥルフもどうかと思うが。

 まずこれから研究するか………。

 ミランダは自分の仕事は終わったとばかりにクッション地帯でごろごろしている。


 題名は「ルルイエ異本を基にした後期原始人の神話の型の研究」だった。

 長い!ごほん、内容の方だが―――

 クトゥルフを信仰する者の中には、時折、髪の寵愛を受けた子が生まれるという。

 それらは信仰する神の特質を強く受け継ぎ、非常に荒々しい存在である。

 信者ですらも、その赤子を身近に置くのを危険としている。

 なので早々に神の身元へ帰す様にしている。

 その際、赤子母親自身を巫女として、

 彼女が用意した「門」を中心とした独特の儀式を執り行う。


「俺は「クトゥルフに愛された子の退散」の呪文を覚えた」

 ただ、多分これには

「塔の絵が必要だと思うのだが………ん、んん………?俺んちの絵画保管室に、まとめ買いした奴として置いてあるかも………?」

「ダメじゃん!早く気付きなよ、ルーメンさんのスケッチ見た時にさぁ」


 クッションがポコポコ飛んでくる、俺にダメージはないが、紙にダメージがある。

「よしてくれ、資料が滅茶苦茶になる」

 それでも投げてくるので、全部受け止めて投げ返してやった。

「俺はここで研究しているから、取りに行って来てくれ、これはカギ!」

「もうーっ、子供使いが荒いなぁ」

 ミランダはそれでも、夕方の町に(人間には夜に見えるだろうが、俺たち悪魔は月の動きで時間を知る。人間には1日夜に感じられるだろうが)消えていった。


 研究ノートだが、堕胎された「胎児(背中のコウモリ羽、尾びれ、触腕)」の研究ノートだった。父親がレヴィアタン領民にしても、おかしいと思ったらしい。

 それで、さっきの長いタイトルの本まで手を出したが、やがてじぶんが触れてはいけない宇宙的恐怖に触れようとしていることに気付き手を引いた………か。


 次はマリィという名の女性のカルテだ。

 早産だったが、胎児がなんと胎盤にしがみついて離れず、強引に出したところ、胎盤が裂けて大出血、治癒魔法では何と塞がらず、彼女は死んでしまったらしい。


あと薬物研究所からの手紙だが、胎児が死んだ後の体液を送ったところ、全て未知の液体だという結果が帰って来ている。そりゃそうだろうな………

調査の結果は、全部理事長に伝えた。多分「湖開き」にでてくるだろう、とも。

対応策を確保してあると伝えると、喜んで理事たちにも気を付けるように通達してくれると言った。もちろん学園の、学級委員長達にもだ。


そこで、大荷物をかかえたミランダが帰って来た。

「想ったより大きいな」

「同感………もうヘトヘトだよう」

「でも、「湖開き」では、俺の隣にそれかかえて並んでもらうぞ?」

「ええーっ!」

「呪文には身振り手振りがあるから仕方ないんだよ」


ここで、ようやく「クトゥルフに愛された子」の全容をミランダに語る俺。

「もっと早く言ってよう、今更震えが来たじゃない!」

顔色が悪い。正気度チェッカーも、少し変化している。

「俺も邪神の魔導書なんか読んで、正気度落ちてるんだよ………」

俺も疲れた顔で、ミランダに言った。

「そっかあ、仕方ないな、ハグで許してあげる」

可愛いミランダ。いつまででもハグしていたいぐらいだ。


翌々日、俺達は「湖開き」の、一番いい所に陣取っていた。

挨拶などは控えて貰い、近くにいるのは、理事長と、志願してくれたエラムだけ。

魔性の絵はミランダが持つ。

俺は一応例の魔導書の呪文のページを開いて待機。

異変は、すぐに起こった。


あぶーあぶーあぶー、と赤ん坊の泣き声が湖に響き渡る。

この時点で悪魔達は、本能的に敵対反応を返す。

湖から異形がせり上がって来た。

顔は赤ん坊の顔、胴体はセイウチの様で、背には飛べそうもない大きさのコウモリの羽がさんつい、足は尾びれに似た触手となっている。


ミランダの持っている画の扉から、ぬるりと、タコのような足がのびて、赤ん坊を包み込んでいく。赤ん坊はその触手に一切抗わなかった。

その光景にあからさまに正気度が減った。

だが、いける!

おれは判別不可能な声で、呪文を唱えた!


絵の「扉」に、触手と赤ん坊が吸い込まれて行く………。

あとには、何事もなかったかのように、湖面が揺れていた。

沈黙する周囲。視線が痛いので

「ごほん、皆さん、これで水に潜む邪神は取り除かれました。湖は安全です!」

わあっと歓声が上がる。水着で湖に飛び込む奴らまで出てくる。


間違ってたらどうするんだ。

「シュトルム大公のなさることに間違いはありませんな!」

理事の一人にそんな事を言われてしまった、やっぱりそういう理屈か!

何だか、笑えてきた、ああ、姉ちゃんの異空間病院で検査を受けよう。

特殊棟だろうな………。


そうして、爽やかな夏は幕を上げたのだった。

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