人里 三
夕暮れ時の町を足早に進むことしばらく、我々は銀行に到着した。
閉店ギリギリに滑り込みセーフといった感じ。
日本では午後三時にも窓口がしまっていた金融機関だが、こちらの世界では日中帯、日が出ている間は営業をしている。現代ほど業務内容が煩雑ではない為だろうか。理由は定かでないけれど、利用者としてはありがたい限り。
副店長のミレニアム氏とイケメン商人ザック氏の名前を出したところ、我々は同行の応接室まで案内を受ける運びとなった。何故に後者の名前まで併せて提示したかと言えば、それは自身の肉体が以前とは変化しているから。
外見が変わってしまった都合上、こちらの言葉に信憑性を与える必要がある。そこで当時、ミレニアム氏を紹介して下さった彼の名前を併せることで、どうにか面会まで漕ぎ着けようと考えた次第である。
すると、訪れたのは嬉しい誤算だ。
「……え、貴方があのときのお姉さんですか?」
銀行にはミレニアム氏のみならず、何故かザック氏の姿もあった。
なんでも副店長に用事があって訪れていたのだとか。
応接室のソファーには二人の姿が横に並ぶ。
これに対して我々は、ローテーブルを間に挟んで、対面のソファーに座っている。ミレニアム氏の正面に自身が、そして、隣には未だ名も知れない浮浪者っぽい少女が、緊張した面持ちでちょこんと腰を落ち着けている。
精霊殿はローテーブルの上に座り込み、出されたお菓子を貪り食っている。
なんて自由な生き物だろう。
「このような姿では驚かれるのも無理はありません。信じて欲しいともいいません。ただ、こうして再び五体満足で人里まで降りてこられたのは、それもこれも貴方のおかげです。なのでどうか、お礼の品を受け取って頂けたらと」
こうして銀行を訪れた一番の理由は、道中延々と我々の後ろに浮かんでいたクマを処分する為である。血抜きこそしてあるものの、長らく放置しては腐り始めかねないナマモノであるから、早めに譲ってしまいたかった。
そうでなければ宿屋への宿泊も儘ならない。
まさか部屋まで運び込むわけにはいかないだろう。
「ホ、ホワイトベアを狩られていたことは覚えがありますが……」
「どうかこちらをお受け取り願えませんでしょうか?」
「…………」
ザック氏は困惑の表情を浮かべている。
ミレニアム氏も同様だ。
更に我々のすぐ傍らには、グッタリとしたクマがフヨフヨと浮いていたりするから、これまたシュールな光景である。同所がそれなりに値の張りそうな、高級感の漂う一室であることも、これを増長させている。
「私から一つ、確認したいことがあります」
「なんでしょうか?」
おっと、副店長からお声掛けだ。
その顔には疑念がありありと窺える。
「貴方はエルフなのでしょうか? それとも人間なのでしょうか?」
「私は人間です」
「では、そちらの格好は一体……」
「既にご存知とは思いますが、私はこの町の方々とは異なる神を信仰しております。そして、その使徒としての特性から、我らが神を信仰する者たちの影響を肉体の変化として、常に受け続けているのです」
勇者様ご一行の手により指名手配された一件は記憶に新しい。
ザック氏はもとより、ミレニアム氏とて知らない筈はないだろう。
「なんと、そのようなことが起こり得るのですか?」
「私も当初は疑問に思っておりました。ですが先日、エルフの集落で信仰を受けましたところ、このとおり肌の色から顔の形まで、彼の者たちと同じように変化することと相成りました」
「では、そ、そちらの翼は……」
「これはグリフォンのものですね」
「なんと、グリフォンから信仰を得たというのですか!?」
「信仰を得たのは間違いありません。しかし、彼らからの信仰はエルフたちとは異なり、一時的なものとなります。色々と機会が重なりまして、向こう数ヶ月ほど、我らが神を信仰して頂けることになりました」
「一時的にせよ、そ、それはまた凄いお話ですね……」
「お二人の疑念は尤もです。なので、信じて欲しいとはいいません。こちらを訪れた理由は、過去に受けた恩義をお返しする為です。一方的な来訪となってしまい恐縮ですが、こちらの品をお受け取り頂けたら幸いです」
チラリと傍らのクマさんを視線で指し示して言う。
評価額が以前と変わっていないのであれば、こちらの一匹で金貨五枚、日本円に換算して五百万円近い金額に化ける。更にここから卸値となれば、もう少し値は上がるだろう。命を助けてもらったお礼としては安いかも知れないが。
「……承知しました」
ややあって、ザック氏が頷いてみせた。
幾分かキリリとした表情となり、イケメンは言葉を続ける。
「どうやら貴方は、本当にあのときの女性のようですね」
「信じて下さりありがとうございます」
「いえ、わざわざ足を運んで下さり、こちらこそ恐縮です」
彼はソファーに座ったまま、深々と頭を下げてみせた。
そんなザック氏に対して、ミレニアム氏が声を掛ける。
「しかし、幾ら何でも人間がエルフの姿になるというのは、滅多なことではありませんな。ザックさんの判断を否定することは決してしませんが、やはり私は気になります。それにそちらの方は……」
彼の視線はエルフから移って、ローテーブルの上へ。
そこでは焼き菓子を口一杯に頬張る精霊殿の姿があった。
「……なんだ? 私の何か用か?」
「いえ、用事という訳ではないのですが……」
対応に困った様子で、返す言葉に悩む副店長。
どうしようもないアル中だ。
本当に素面なのか、段々と不安になってきた。
「連れの口が悪くて申し訳ありません。見ての通り彼女は精霊でして、少しばかり人の世に疎くあります。一方的に申し訳ないとは存じますが、ご容赦して頂けると幸いです。何卒、よろしくお願い致します」
「いえ、それは構わないのですが、精霊というのは本当なのでしょうか? これで私も銀行の人間ですので、色々な方とお会いする機会に恵まれております。ですが、精霊の方とお会いするのは初めてとなりまして……」
「少なくとも本人はそう言っています。なんでも水の精霊だそうです」
「そうだ! 私は水の精霊だ! どうだっ!?」
もう少し挨拶っぽい台詞とか、思い浮かばなかったのだろうか。
彼女の頭の中はどうなっているのか。
見ず知らずの相手だからといって、テンパっている訳でもあるまいし。
「取り立てて何をするということもないので、身構えないで頂けたら嬉しいです。これといって人間に対して悪いことを考えていることもありません。ただ、見ての通り少しばかり奔放な性格でして、この点については本当に申し訳ありません」
「私も過去に書物で、精霊とは自由な存在だと読んだ覚えがあります」
「この食べ物、おいしいなっ!」
「……もしよければ、持ち帰りになられますか?」
「いいのかっ!?」
幾ら何でも自由すぎるような気がするのだけれどな。
もう少し慎みのある精霊がよかった。
「そう高いものでもありませんから、好きなだけ持っていって下さい。当行と取引のある菓子屋の銘菓になりまして、うちの職員の間で人気があったことから、お客様にもお出しして宣伝させて頂いているのですよ」
しかし、やっぱり見た目が可愛いってお得だよな。
もしも精霊殿の外見が醜悪なものだったら、お菓子のお持ち帰りなど、決して提案されなかったことだろう。あぁ、なんて羨ましい。いつか自分も彼女のように、見ず知らずの相手からチヤホヤされてやるぞ。
「ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ、精霊の方と知り合いになる機会など滅多にありませんので」
「こう見えて彼女は回復魔法が得意だそうなので、もしも身体の関係で困っていることなどあれば、お気軽に仰って下さい。お菓子のお礼に見させて頂けたらと思います。精霊殿、それで構いませんね?」
「ん? あぁ、いいぞっ! このお菓子くれるならなっ!」
「なんと、精霊様の回復魔法ですか。それは凄い」
おぉう、副店長の目の色が変わったぞ。
どうやら人里ではそれなりにレアリティの高い魔法のようである。
「どの程度であれば、癒やすことができるのでしょうか?」
「人間なら死んでなければ、だいたい治せるな!」
「それはたとえば、病に倒れていたとしても、でしょうか?」
「病気か?」
「ええ、病気です」
「病気もだいたい治せるぞ!」
「おぉ、それは素晴らしい……」
副店長の口から感嘆の声が漏れた。
隣ではザック氏もまた、驚いた顔をしている。
どうやら凄いらしい。
「そういうことであれば、日を改めてお願いできませんでしょうか?」
「また明日もここに来るのか?」
「いえいえ、それには及びません。私どもの方から精霊様にご連絡を入れさせて頂きます。こちらの町でお泊りになる宿の名前だけ、お伺いできませんかな? 馬車でお迎えに上がらせて頂きます。もちろんお菓子も沢山お持ちしますよ」
「本当かっ!?」
「ええ、本当ですとも。もっと美味しいお菓子もございます」
「おぉっ! オマエ、凄いなっ! いいニンゲンだっ!」
「滅相もございません」
副店長の精霊殿に対する扱いが一層丁寧になった。
なんかちょっと悔しい。
こちらのエルフも、もう少しチヤホヤして欲しい。
あと、彼の言葉を耳にしてふと気づいた。
我々はまだ、今晩のお宿を取っていない。
「ミレニアムさん、我々は宿をまだ取っておりません」
「なんと? それは大変ですな」
「そうなのですか?」
「数日前から、町の宿はどこも埋まっているのですよ。今から宿を取るとなると、かなり苦労されるのではないかと思います。おそらく皆さんが満足するような居室を抑えることは難しいのではないかなと」
「それは困りましたね……」
町の出入り口が賑やかであった一件と関係してのことだろう。規制前に滑り込みセーフで入り込んだ人たちが、こちらの町の宿泊事情を圧迫しているに違いない。それくらいは門外漢の自分でも何となく察しがつく。
震災の前後とか、出張でホテルを押さえるのが本当に大変だった。
「そういうことであれば、私の家に来ますか?」
おっと、ザック氏からまさかのお誘いが。
「よろしいのでしょうか?」
「ええ、部屋には余裕がありますので、是非いらして下さい」
そういうことであれば、お邪魔させて頂こうかしら。
これで肉体の出来栄えが年若い娘であったのなら、異性の家に泊まりに行く云々、考えるべき事柄もあったことだろう。しかし、相手がイケメンである一方、こちらは腹の出たオバちゃんである。何が起こることもあるまいよ。
「ただ、その場合はすみませんが、彼女についてもご紹介を頂けたらと」
チラリとイケメンの視線がオバちゃんの隣に向かった。
そこには銀行までの道中、精霊殿がゲットした少女の姿がある。
「コイツは私の知り合いだっ!」
精霊殿が我先にと声を上げた。
連れて行くのに際して、ちゃんと面倒を見て欲しいと伝えたこと、どうやら覚えていたようである。まさか彼女の方からアクションを取ってくれるとは思わなくて、なんだかちょっと嬉しい感じ。やるじゃん、アル中の癖に。
「精霊殿の知り合い、ですか?」
「知り合いだ! 炎のニンゲンだぞっ!?」
「……炎の人間?」
ミレニアム氏の訝しげな眼差しが少女に向けられる。
見つめられた彼女は、ビクリと肩を震わせて身を縮ませた。見ず知らずの男性から注目されて、自ずと気圧されたのだろう。所在なさ気な眼差しをこちらのエルフなオバちゃんに向けて下さる。まさか中身が野郎だとは思うまい。
「君、そのペンダントは……」
そうした彼女の胸元を眺めてザック氏が声を上げた。
ご指摘の通り、少女は首にはキラリと鎖の輝きが窺える。その先には伸びに伸びたボロボロのシャツの下、ロケットのようなものが吊るされている。本来であれば服の下にしまわれていたのだろうが、破けた生地と相まって一部が垣間見えていた。
「っ……」
指摘された直後、彼女は両手で自らの胸元を隠す。
いやん、エッチ。みたいな感じだ。
一方で言葉を続けるザック氏は、極めて真面目な表情で言う。
「……君、そのペンダントはどこで手に入れたんだい?」
「…………」
少女は答えない。
けれど、イケメンは執拗に問う。
「そこに刻まれていた紋章は、リヒテンシュタイン家のものだろう」
リヒテンシュタインという家名は、通りを行き交う人々の口から、我々も幾度となく耳にしていた。隣国に寝返った侯爵の家である。現在進行系で本国と争いの只中にある傍迷惑なお家の名前で間違いない。
どうやら彼女の下げたペンダントには、その家紋が刻まれているらしい
「ち、違いますっ!」
「その言葉は本当かい?」
これを咄嗟に判断したザック氏、只者ではない。
まさか、ロリコンだったとは。
少女のパイオツを狙っていなければ、とてもではないか気付けないと思う。現に彼の隣に腰掛けて、同じように話をしていたミレニアム氏は、まるで気づいていなかった。常時チラリを狙っていなければ不可能な業である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます