第42話(猟犬side)警戒と疼き

 酒精がかすかに頭を濁らせる。

 私としたことが、少し興奮して早く飲み過ぎてしまったようだな。


 ふと見渡すと客がちらほらと増え始めている。

 高級で洒落たこの店は逢引きの場所として使われやすいらしい。

 着飾った服で肩を寄せ合い、唇が顔に触れそうな距離で囁き合う男女を見ていると世間は恋や愛で溢れているようだ。


 野良犬が暖かな光の灯る家の中の家族団欒を眺めるような気持ち、といえば悲観的すぎるか?

 でもそれに近い。

 同じ屋根の下にいても手の届くことのない別の世界の出来事のように見える。


 だが仕方ないことだ。

 私は主人のために獲物を追いかけ回す忠実なイヌ

 そうでなければ生きていけなかったし、不満も抱いていない。

 

 スッ、と手元に酒の入ったグラスが置かれた。

 店員からかと思ったが、グラスを鷲掴みにする指には高級そうな指輪が付けられていることからそうでないとすぐに察する。


「レディ、おひとりかな?」


 恰幅のいい男が私の隣に椅子を引いてどっかりと腰を下ろした。

 私としたことが薄暗い店内だから気づくのに遅れてしまったか。


「いや、人を待っている」

「そうかそうか。待たせてゴメンよ、ベイビー。お詫びに奢らせてくれ」


 身なりこそ高級品をまとい、金色の髪の毛先が綺麗にカールしているあたり貴公子じみた格好をしているが、瞳は黄色く濁っており頬や首についた贅肉に品性の下劣さを匂わせる。

 鬱陶しいことこの上ない。

 店員を呼びつけ排除してもらおうと挙手をした。


 …………が、店員たちはまったく近寄ってこない。

 男はニヤニヤと笑い、私の鼻を指で触れる。


「この店はボクのパパがオーナーなんだ。

 ちなみに調度品なんかはボクが選んだんだ。

 すごいだろ?」

「チッ…………」


 わざと聞こえるように舌打ちしてやったのにお坊ちゃんはツラツラと聞いてもいない興味もない自慢話を垂れ流し始める。

 たくさん金を持っている、たくさん偉い人と知り合いである、たくさん武勇伝を蓄えている。

 心底どうでもいいし、小金持ちの自慢話など知れたものだ。

 コイツが関わっていると思うとこの店自体が悪趣味なものに思えてきた。


「今から僕の別宅においで。男爵家御用達の家具職人が作った大きなベッドがあるんだ。そこで天国に連れて行ってあげるよ」

 

 ねっとりした喋り方をして私の下腹部に手を伸ばしてくる。

 まったく……調度品だけでなく女の趣味も悪い。

 どうして一見して傷モノだと分かる女を選んで口説くのか。

 男避けになるだろうと思って晒しておいた体の傷も一切効果ナシか。


 これでは仮定ライダーを待つことすらままならないので店を出ようと立ち上がる。

 しかし、男は無遠慮に私の肩を掴んで抑えつけようとしてきた。


「おい! せっかくボクが口説いてあげているのに無視か!?」


 気色ばんで声を荒げるお坊ちゃんに苛立つも、表稼業の店で揉め事を起こしたくはない。

 気持ちを抑え込んで丁重に別れようと試みる。


「すみません。私は仕事がございますので」

「うるさい! 女風情がやる仕事なんて小遣い稼ぎ程度の仕事だろう! ボクの相手をしてくれたらひと月分のお給料を払ってやってもイイぞ!」

「結構です。離してください」


 無理やり振り払って店を出ようかと腕に力を入れようとしたその瞬間、


「ゴメン、待たせた」


 スルッ、と私とお坊ちゃんの間に一人の男が割り込んできた。

 また変な男が増えたか、と舌打ちをしそうになったが思いとどまった。


 濡れた鴉の羽のように黒髪に黒曜石のような瞳。

 服装も黒を基調としたシンプルなジャケットをピッタリとまとっていて、妖しげな雰囲気を漂わせている。

 肌の色や顔の作りから異人種であることは明らかで初めて見るタイプだから少数民族かも知れない。


 いろいろと異様で目立つ男の登場に私は気が取られてしまう。


「あなたがマリーさんかい?」


 お坊ちゃんを押しのけて黒髪の青年が私の目を見てそう尋ねてきた。

 睨みつけるわけでも観察するでもないのに私をじっと捉えて離さない瞳。

 慣れない視線に狼狽えてしまう。

 

「そう……よ」


 胸が詰まってしまい、絞り出すようにしてなんとか声を発する。

 緊張のような驚きのような不思議な感覚にとらわれた私に青年はニッコリと笑いかけてくる。


「良かった。あなたに会いたくてここまで来たんだ」


 背後で顔を真っ赤にしているお坊ちゃんを全く歯牙にかけない態度。

 柔和な笑みに溢れる余裕と自信。

 只者ではなさそうな————この青年がまさか!?


「おい! オマエ! ボクが口説いているところを邪魔すん————」

「邪魔なのはお前だ」


 瞬間————お坊ちゃんの体がフワッと床と平行に浮き上がり、受け身も取れないまま落ちた。


「グヘェエエエッ!?」


 巨体がそのままダメージに変換されるような、えげつない叩きつけられ方をしたお坊ちゃんは体を痙攣させて動けなくなっている。

 当然、店の中が騒然となり、血相を変えた店員たちがこちらに駆け寄ってきた。


「お邪魔虫の多い国だなぁ。仕方ない、店を変えるか」


 青年は呟き、私の手首を掴んで店の外に連れ出した。


 夜の路地を走る青年に私は引っ張られる。


「すまないな、マリーさん。もう少しスマートなやり方ができれば良かったんだが」

「い、いえ……あの、私のことを知っているということは」

「ヘリオスブルグで聞いた。ちょっと事情があってカタリストを集めているんだ。協力してほしい!」


 間違いない!

 この男が私が探していた謎の車両の乗組員、『仮定ライダー!』


 路地の交差点を曲がったところで彼は再び私に向かい合った。


「まずは自己紹介。俺の名前は宇佐美安吾————いや、こっちでは名前が先だから……アンゴ・ウサミだな」

「アンゴ…………」


 夜の闇に溶け込みそうな黒髪に黒い瞳。

 私の猟犬としての勘が危険を告げる。


『警戒しろ。この男は何かを企んでいる』


 同時に私の中で眠らせていた何かが疼き、囁こうとする。

 だが、その声を塞ぐ。

 任務を果たすのに、その情報は不要だからだ。

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