第9話 親の顔より見た光景
「……ふぅ」
涼は、湯船に浸かりリラックスしていた。
長い間風呂に入っていなかったので、久方ぶりの風呂である。一応病院にシャワー室はあり、かつ涼も何回か利用していた。だが、軽く洗うだけで済ませるだけ。
念入りに体を洗おうとするのは、今回が初めてなのだが一つ立ち塞がったことがある。それは、体の洗い方だ。
髪の毛は別にいい。男だったときにもあったのが、長くなっただけである。
しかし、男だった頃にはなかったもの。それの洗い方がわからない。
だからといって放置するのも、どこか気が引ける。
中まで洗うのか、洗わないのか。
当然だがそんなこと男だったときに考えるわけもない。
「男だったときも、中まで洗わなかったし……。いやでも、それはあまりに狭すぎるから……」
男だったときと比べて解決策を導こうとするも、前提条件が違いすぎるのだ。話を聞こうにも、一体誰に聞けばいいのか。碧人は知ってるわけもない。そもそも、気軽に聞ける女性が一人もいない。
入院してるときに看護師に聞けばよかったかもと思うが、いくら子どもとはいえ未だに自分で体を洗ったことがないと思われることだろう。
「……一日くらい、いいか」
一日くらいというが、実の所最後に洗ったのは異世界であり数日間は洗っていないのだがそれはそれである。諦めていつもどおり洗った涼は、湯船へと浸かる。
「ふぅ……」
湯船に浸かったときの気持ちよさといったらない。
言い過ぎだということはわかっているが、今までの苦労が報われるような、そんな気がしたのだ。
けれども、やらなければいけないことは山ほどある。仮に無事に家族と会えたとして、考えなければならないのはその後の人生設計だ。そもそも、高校は二年間もさぼっている。当然だが除籍になっていると考えるのが妥当だろう。
そうなると、中学で就職──はこのご時世難しい。中卒でも大金持ちになったことがあるという意見が頻りに見られるが、それは中卒の中でも極一部。さすがの涼も、中卒で大金持ちになるという幻想と魂胆は持ち合わせていない。
考えすぎで頭が張り裂けそうになった涼は、口元を湯船に沈め何も考えずに泡を吐く。
「出るか」
このまま出なければ一生湯船に浸かってふやけていそうである。そんな思いから、涼は脱衣所へと出てバスタオルで体を吹く。
「さて……あ」
涼はすっかり忘れていた。替えの服が無いと。
やむを得ず、元々着ていた服を着て、リビングへと向かった。
「碧人? 上がったよ……あれ?」
リビングに碧人の姿はなかった。長年の勘から寝ているとも思えないため、家の中を探すことにした。真っ先に向かったのは碧人の部屋である。普通に考えて一番ここがいる可能性が高いのだが、蛻の空であった。
「外にいるのかな」
コンビニに何かを買いに行ったのかと思ったが、ふと碧人の姿が視界に入った。
「ああ、涼上がったのか」
「うん。リビングにいなかったけどこ行ってたの?」
「ああ、ちょっと電話だよ。というか、その服でいいのか?」
「だってこれしかないじゃん」
「まあ、そうなんだけどな」
「そういえばさ、電話で思い出したけど、スマホどうしたの? 無くした?」
「え……うん。どこいったんだろうね」
涼は記憶をたどるが、異世界に召喚されたときには持っていた。しかし、いつしか使い機会がないため鞄の奥底へとしまい込み、そしてあまりにも使わないため気がつけば無くなっていた。
「多分、向こうの世界で落としたんだと思う」
召喚される前はいついかなる時も片手にスマホを握りしめていたが、スマホから離れると不思議とスマホに興味を示さなくなるものだった。
涼が碧人の家を訪れるときは、大抵ゲームやらスマホゲームやらで遊ぶ時である。だからこそ、スマホに囚われなくなった状態で碧人の家に来たため自然と注意が内装などへと向く
「……あれ?」
違和感を覚えた。だが、その違和感に気が付けないためか目を細める。
「涼? やっぱり親御さんのこと気になるのか? やっぱり早めに打ち明けた方が──」
「いや、なんでもないよ。でも、そうだね。早めに打ち明けないとずるずる行くよね」
一回でも先延ばししてしまえば先延ばし癖がついてしまう。このことは涼がよく知っている。
「とりあえず、俺が先に行って打ち明けやすい雰囲気にしてこようか?」
「うん。碧人、頼んだよ」
「もちろん」
意気揚々と碧人は玄関へと向かった。涼も、覚悟を決めて玄関で碧人の帰りを待とうと玄関へと向かう。
そして、碧人が玄関の扉を開けた時だった。
「……おばさん?」
碧人の眼の前にいたのは、涼の母親だった。そして、涼の母親は碧人を見ると同時に、その後ろにいた金髪の少女も視認するのであった。
「家の電気がついていたから、帰ってきたと思って来たんだけど、今いいかしら」
電気がついていたから見に来ただけ。そうはいいながらも視線が後ろの金髪の少女へと向いている。
碧人は涼に目配せをすると、涼の母親の方を改めてみた。
「ええ、ちょうど今行こうと思っていたところですよ。今ここで言ってもいいですか?」
「え? それって……」
碧人の含みのある発言を、涼のおばさんは別の意味に解釈してしまったようで、声が震えている。
「落ち着いてください。無事か無事でないかでいったら無事よりですので」
涼の母親は今にも卒倒しそうなほどに呼吸が乱れ、碧人がすぐに体を支えて涼に視線を送る。
今言うべきだと、碧人は言いたいのだ。
そのことを理解した涼は、すぐに母親の前まで移動した。
「……あの? あなたは……?」
涼の母親は眼の前に見知らぬ金髪の少女が現れると目を細めた。この場にいる以上、涼の関係があるのは明白だし何よりどこか雰囲気が似ているからだ。
「もしかして──」
涼が言葉を紡ぐより前に、母親は先に口を開いた。
涼からしてみても、自分で言い出すよりも母親から言い出してくれた方が精神的にも楽であるので開きかけた口を閉じた。
「涼の子どもね!」
「違う!」
素っ頓狂な発言をした母親に、思わず涼は反射的に突っ込みを入れた。
冷静に考えれば涼が行方不明になって約一年しか経っていないのだから子どもができても小学生くらいには成長しないのだが、今の涼の母親は自分の息子に会えるかもしれないという期待と不安で冷静さを欠いていた。
「その突っ込み……涼なのね!」
「あ、そこでわかるんだ」
碧人は思わず突っ込みを入れる。
涼の母親は目の前の少女が息子だと断定すると、力強く抱きしめた。
一方の涼は、不安が杞憂に終わったことの開放感からか目に涙を浮かべている。
「お母さん……。力入れすぎて結構痛い」
その涼の言葉は、一年の時を経て再開した喜びに満ち溢れている涼の母親には届かなかった。
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