第5話 儘よ

 涼が御調市の病院に入院して数日が経過した。特に不調もなく、記憶が戻ればすぐにでも退院できるのだが記憶は一向に戻らないとされ、近親者も一向に現れない。

 まだ幼い少女であることも考慮され、治療なき入院生活が続いていた。


「はぁ……。どうすればいいんだろ」


 涼しかいない病室で、涼は一人寂しく呟いた。

 自分が元男であるというのに、健康体であるというのに、本当のことを家族に言えず病院に迷惑をかけっぱなしであるため良心が痛む。


「たまたま、知り合いがこの病院に来たり……するわけないもんね」


 そんなことを嘆きながら、万が一友達に会ったときの言い訳を考えてみる。

 はっきり言って、この姿を見られても自分が涼だと認識しないだろう。

 馴れ馴れしく話しかけても『おまえ誰だよ』となるのは明白だ。どうすれば信じてくれるのか。涼にできるのは、ただただ深いため息をつくことだけである。毎日ため息をつく涼を、たまたま部屋の前に通りかかった看護師が目撃する。一人でいるときだけ何かを悩んでいる涼の姿に、さすがの看護師も何かを感じ取っているようだった。

 看護師が何かを思ったのか、急いで涼の病室前から立ち去りやがてすぐに戻ってきた。看護師は何かを抱えながら、涼の前へとやってくる。


「涼ちゃん、貸してあげる。ネットに触れれば何か思い出すかもしれないしね」


 手渡されたのは八インチほどのタブレットであった。一応病院にネットワーク環境は整っているし、デジタル化の需要に答えるべく患者に貸し出す用のタブレットが存在したのだ。


「あ、ありがとうございます」


「いえいえ、涼ちゃんだって暇でしょ? じゃ、私仕事中だから」


 そう言って看護師は業務へと戻っていくのを見送ると、改めてタブレットを見つめる。適当にネットサーフィンでもしてほしかったのだろうが、涼にはやりたいことがあった。

 タブレットを開くと、インストールされていたSNSのアプリにログインする。ログインIDとパスワードは正直うろ覚えだったものの、無事にログインに成功した。

 なお、このSNSにはSMSを利用した二段階認証があるが、涼はたまたま設定していなかったために難を逃れた。そんな涼は、表示された画面を見るなり涼は顔を顰める。


「うわっ……」


 表示されたのは『未読99+』と書かれた文字。

 多くの人たちから安否を心配するチャットが届いており、特に友人たちからのは顕著だった。その中でも突出して多いのは、涼の幼馴染で一番の友人である碧人からのものだった。

 メッセージが数ヶ月で途絶えたものも多い中、碧人はつい先日もメッセージを送ってくれていた。お陰で、未読のメッセージは個人で『99+』となっている。

 数件分のメッセージを確認した涼は、自分を未だに心配してくれていたことに少し涙ぐんでしまう。

 泣いているわけではない。転移の影響で涙ぐみやすくなってしまっただけなのだと自分に言い聞かせてやると、新たなメッセージが送られてくる。


『涼? いるのか』


「あっ」


 一年以上、ネットワークや電子計算機の概念が存在しない世界で暮らしていたのだ。既読機能など、とうに頭の片隅に追いやられていた。どうやって誤魔化すかを考え、適当に電子マネーを要求する文言でも送ってやろうかと苦慮してみる。


『いたら返事してくれ』


 考えている間にも、次々とメッセージが送信されてくる。

 涼は所々おかしな日本語で電子マネーを要求する文章を打ってみるが、送信ボタンを押せずにいた。誤魔化してどうなるというのか。このまま身元不明者として新しく生活するのか? 一生親友に会えないままでいいのか?

 そう考えれば考えるほどに、涼の指は重くなり動かなくなる。


「……嫌だ」


 涼は知らず知らずの間に、本心が口に出ていたことを言い終えてから理解した。

 家族に会いたいし、親友にも会いたい。

 二度と会えないというのはつらいから。

 そう思っている内に、指が勝手に動いて電子マネー云々の文章を削除した。そして、先程と違い軽やかに文章を打った。


『いるよ』


 気がついたら、このようなメッセージが送信されていた。


『本当に涼なのか? 今どこにいる?』


『御調市中央病院』


『わかった。今から行く』


 きっと、どうして御調にいるのだとか聞きたいことは山程あるのだろう。しかし、とても短い文章のやり取りだった。

 でも、そのやり取りは懐かしく、感極まるものだった。おまけに転移の影響なのか、涙がにじみ出てくる。必死で袖で涙を拭うと、窓の外を見た。淀んだ雲は消え去り、外は快晴だった。


 

 翌日、朝食を食べ終え今か今かと待っていた時だった。勢いよく病室が開いた。身長は一七五センチほど。寝癖のあるショートヘアの黒髪に、焦茶色の瞳を持った爽やかそうな好青年。間違いない、碧人だった。だが、碧人は困惑していた。メッセージ通りの場所に到着したのに、涼の姿が見えないからである。


『涼、本当に合ってるのか?』


 碧人がそう送信すると、再確認とばかりに病室の入り口に書かれた室名札を確認する。


「間違いないよな……」


 碧人が室名札を確認している間、涼は急激な不安に襲われていた。

 涼は碧人と会うことを決意したが、いざ眼の前に碧人が来ると自分が涼だなんて言えないほどにひどく体が強張ってしまったのだ。

 そのまま面と向かうとなると、緊張のあまりどうにかなってしまいそうだ。

 だからこそ、せめて息を整えるために回りくどいメッセージを送ることにした。


『合ってるよ。碧人の姿ここから見えるもん。息切れしながら、病室の番号を確認している』


 碧人はメッセージを確認し、本当にこの病室なのだと確認すると病室の中をくまなく見渡した。

 しかし、本来いるはずのはいない。いるのは一人の少女のみだ。

 そのため、碧人は涼の方へと近づいていく。しかし、それは涼が涼であると認識した故ではない。通行人に道を聞くのと同じ感覚で近くにいた病人に近寄っただけなのだ。


「あのすみません、矢那川やなかわ涼さんという方をご存知ですか? この部屋に居ると思うのですが……ってすごい汗ですけど大丈夫ですか!?」


 しかし、涼の前の前に着た碧人。このことを涼はシーツにシミができるほどの大量の汗をかく。

 碧人は眼の前の少女を助けたいが、下手に触ればセクハラ云々になる。どうするわけでもなく混乱した後、近くにあったナースコールに手を伸ばした。

 しかし、涼は碧人の腕を汗が滴った手で掴んだ。


「えっと……? あ、ナースコール嫌でしたか? ごめんなさい」


 碧人は咄嗟に手を引こうとするも、涼は碧人の腕を離さなかった。

 片や眼の前の少女の行動が全く読めず困惑している。片やひどく息を荒げるも何かするわけでもなく手に力が入る。


「あのー、矢那川涼さんって──」

「久しぶり、碧人」


 碧人がこの状況を打破しようと、再び先程の質問を述べようとする。だが、その質問は再び遮られた。

 このままの状態では埒が明かない。もうどうにでもなれと、涼は動くことにしたのだ。


「え?」


 さらに混乱しそうな碧人だったが、涼からタブレットの画面を見せられた。


「もしかして……」


 タブレットに表示されていたのは、先程の碧人と涼のメッセージの応酬だった。


「涼か?」

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