56話 荒野を抜けて《With the wind》
2台のバギーが大気を裂いて疾走する。
舗装されていない荒野に道なんてものはない。だから文明という|伝手(つて)がなければ宛てすら見失いかねなかった。
地平線の彼方まで石粒や隆起の激しい大地が延々とつづいている。赤土の上に灰が積もり斑を描いており、たまに吹く強い風はそれらを波の如く転がし波打たせた。
車両のアクセルが踏まれる。溝が深く凹凸の激しい4つのタイヤが紅い土を掻くようにして前へ前へと進んでいく。
「パラダイムシフトスーツ簡易治療モードへ
声帯認証によって命令を受けたパラスーツは反応を返す。
『簡易治療モードへと移行します』
機械的で体温のない返答だった。
杏のまとっているスーツが胴体へと収縮を開始する。
「つぅっ!? 戦闘中はそうでもなかったけどけっこう擦り傷やら打ち身が多いわね……」
流動生体繊維が水のように退くと、彼女の腕や太もも、腹などが大きく顕になっていった。
パラスーツはみるみるうちに簡易的なビキニスタイルへと形を変えていく。雲越しの日差しが雪のように白い柔肌を照らす。
杏の身体には細やかな傷や青あざが複数出来てしまっていた。AZ-GLOWとの戦闘の際に敵からつけられたもの被弾あとだ。
「いくら脳内物質がでてたからとはいえちょっと無茶が過ぎたみたいね。今夜お風呂に入るとき辛い思いをしそうだわ」
杏は、座席下から治療キットを引っ張り出す。
尖らした唇でブチブチ文句を言いながら治療を開始する。
とはいえ揺れ動く座席ではそこまで徹底した治療は難しい。出来ることは痛み止め兼止血剤を塗布しガーゼを当ててフィルムを貼るていど。
運転席に座った久須美はハンドルを握りながらちらちら、と。彼女の治療を横目に気にかけている。
「嫁入り前なのですから跡が残らないようちゃんとケアしてくださいまし。女の傷は一生ものになりかねませんわ」
「んー……そのへん私って気にしたことないのよね。傷があっても添い遂げてくれるような相手を選びたいもの」
どうやらライバル関係とは言え彼女なりに心配している。
しかし杏は物憂げな視線さえ気にせず、治療を不手際に進めていった。
乙女の柔肌に滲んだ痛ましい傷は見たところそれほど深くはなさそうだった。だが完全に癒やされず後に残ってしまうこともありえる。
『ノアに帰ったら僕のラボでヒールミストかけてあげるよ。あれなら細かい傷ていどでもかさぶたをふやふやにして元通りにしてくれるはずさ』
エンジンの咆哮に混じって通信が鮮明に聞こえてきた。
杏を心配しているのはなにも久須美だけではない。隣を併走するバギーに乗った愛も通信という形で会話に参加する。
『それにもし杏ちゃんのお肌に跡が残るっていうなら僕に任せてよ。整形外科の超手練れを揃えた医療チームを派遣してあげちゃうもんね』
「それはまこと名案にございますわね! ならばワタクシは鳳龍院家のお抱え使用人を総出で入院中のお世話して差し上げますわ!」
「いつつ、そこまでは別に望んでないわよ。2人とも研究職と家業のオーソリティーがあるからって無駄遣いしちゃダメでしょうに」
乗り気な2人に対して杏の反応はかなりドライだった。
気丈に振る舞って周囲に心配をかけぬよう努力しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
だが行動に支障が出るような大怪我をしていないのは事実だった。そのため簡易治療はすでに済んでおり医療キットの箱を閉じ、座席の下に滑り込ませる。
「で、本当にこの経路に夢矢のお父さんがいるの?」
杏はスーツを治療モードにしたまま座席に背を預けた。
全身で風を受けながら両目を閉ざし、両手はだらりとたらして肩の力を抜ききる。車体がなにかを踏むたびたわわに揺らぐ膨らみから安堵めいた吐息を漏らす。
機銃席に立ったミナトは、ようやく休息といった杏を視界の端に捉える。
「このコースはアズグロウを避けているだけだ。そうやって危険を回避しつつポイントに先回りしてる。だから偶然出会うは可能性はかなり低いと思う」
説明しながらも目は鷹の如く周囲360を探知しつづけた。
杏は、んっ、と伸びをして油断の多い白い脇を晒す。
「じゃあつまり道中で見つける可能性は全捨てってことね。ならちょっとゆっくりさせてもらうわ」
「それはまあ見つかるに越したことはないけどさ。こんな広大な荒野で虱潰しなんてバカなまねしてたらオレらの体力が持たない」
無論のこと道中で発見出来るに越したことはない。
しかしこの広大な荒野で1人を探すなんて夢を語る行為に等しい。およそ現実的ではない。
『せめてGPSの反応でもあれば良かったんだけどねぇ……。どうやらなんらかの不調で発信されていないみたいなんだよぉ……』
愛の辟易としたため息が聞こえてきた。
努力して探ってくれているようだが、結果は実らずじまい。
ゆえに現在の主目的は虎龍院剛山よりも早く目的地へと到達することとなっていた。
もし道中で彼が死亡していたなら手の施し用はない。だからこればかりは彼の冒険者として生きるスキルに賭けている。
『たぶんだけど父さんなら無事に元気でやってくれてるはず! だって父さんはゴキブリより生命力のある人だから!』
――ゴキブリだって踏まれていどでも一瞬で死ぬんだけどな……。
いっぽう夢矢は父の足跡を発見したことで気概に満ちている。
手紙のおかげで生存が判明しているためやる気もうなぎ登りだった。
遠目からでもわかるくらい併走するバギーの助手席で鼻息荒く滾っている。
と、もう1人運転席側でうつら、うつら船を漕ぐ少女が1人いた。
『無事なのに越したことはないけどさぁ。もしダメだったら待ちぼうけどころか時間の無駄になっちゃいそうだねぇ』
珠はハンドルに覆い被さるような姿勢でしきり目を擦っている。
大あくびをくれながら眠気と戦っているらしい。だがようやくお目覚めとなっていた。
しかも先の襲撃の際には《
そうなるとなにもしていない者が1人いるということになる。
「せっかく夢矢が張り切っているのですから珠はお黙りなさい! それにさっきの戦闘でワタクシが戦果を上げられなかったのもアナタを背負っていたせいですってよ!」
治療中の杏をそわそわしながら案じていたのもそのせいか。
どうやら久須美は自分だけ活躍出来なかったことへの罪悪感を覚えているらしい。
「というか今日のアナタずいぶんと寝てるじゃありませんの! 昨晩きっちり睡眠をおとりになられたんですの!」
『昨日の夜わくわくしてて眠れなかったんだよねぇ……。ほらぁ遠足前の日って無性に目が冴えちゃうじゃん』
とろぉり、と。微睡むような声色だった。
アザー派遣任務を遠足と言ってのける辺りかなりの大物なのかもしれない。
事実彼女の分散する盾の能力なくして全員生存はなしえなかった。
「ほうら見たことですわ! 睡眠不足は美容の大敵――ってそうじゃないんですわあ!」
そうなってくるとますます久須美の存在がくすんでいく。
毛量のある髪が抜けたフロントから入りこむ風によってバタバタ踊った。
恥か怒りかともかくとして目尻を吊り上げて激昂する。
「次こそワタクシが最高戦果を上げてみせますわよ! これ以上リーダーであるワタクシが脚光を浴びられぬ事態にならぬようチームメンバー全員が一丸となって――」
『あーもう寝起きだから頭ががんがんするぅ……。次はちゃんと起きてるからくっすんもう少しデシベル下げてぇ』
「アナタまでくっすん言うなですわあ!!」
《セイントナイツ》は、通信機越しでも、だいぶ
しかしあれだけのことがあってもめげるどころか前向き。ある意味で心強くもあった。
ミナトは賑やかなやりとりを微笑ましく思いながら周囲警戒に勤しむ。
――にしてもことごとく悪い方向に向かってる気がするな。
遠くを眺める眼が
虎龍院剛山の生存は喜ばしく、AZ-GLOWの襲撃のこともまた気がかり。
だがそれ以上にこの任務自体がひねくれている気がしてならない。
――なによりナノマシンだって未来技術だぞ? そんなにタイミング悪く回線の不調なんてなるもんなのか?
「ねえ、残してきたウィロたちのこと考えてるの?」
ふと助手席から声が掛かる。
杏が助手席から思考しているミナトのことを心配そうに見上げていた。
「信がいるし大丈夫だろ。そのために残してきたんだからさ」
『にししっ、すごい信頼関係だねぇ男同士の友情ってヤツ? 僕たちのこともそれくらい信頼してくれてると嬉しいかなぁ?』
愛の意地悪を企むような茶々が入った。
ミナトは横の車両へ気だるげにしっしと手を払う。
「チームメンバーのみんなもほどほどには信頼してるつもりだよ。オレ自身が使い物にならないんだから頼るしかないっていうのが辛いところだけどさ」
信頼していないかと問われれば、している。
ミ自分で誰かを守る力を持っていないからこそチームメンバーたちに頼らざるを得ない。
逆を言えば誰かが死にかけていても無力。助けを求める声に手を伸ばすのが唯一可能な抵抗であり、限界でもある。
「っていうか信頼してなきゃあんな無茶苦茶な手段とれるわけがないだろ」
『でもさっき杏ちゃんのことむぎゅーってしてたじゃん? あれって僕らのこと信頼してなかったってことの裏返しじゃないの?』
愛のやんちゃな声が悔いているミナトの胸にグサリと刺さる。
同時に助手席に乗っている杏がびくっ、と肩を跳ねさせた。
「あ、あれは……! し、信頼していないっていうより心配すぎてついうっかり先走ったというか……。その……生きていてくれてすごく嬉しかったというか……」
ミナトは途端に劣勢となってもにょもにょ言葉を濁しはじめてしまう。
なによりあの時の行動は咄嗟だった。そのせいで女の子の頬の香りや胸の辺りで潰れた柔らかな感触は未だ鮮明に残ってしまっている。
持て余す年頃の男子。それが年頃の女子の感触を簡単に忘れられるものか。反射的とはいえ大胆なことをした。
「とにかくあれは杏が大切だったってだけだしチームだって同じくらい信頼も心配もしてるさ! なにより目の前で傷ついてる女の子の姿を見ていられなくなったことのなにが悪い!」
『ひゅ~う言うねぇ! かなり思い切ったこと言ってるけど逆に男らしいよぉ!』
もう警戒どころの話ではなかった。
頭は煮だっているし自分で自分がなにを言っているかさえ良くわかっていない。
いっぽうで《セイントナイツ》たちは総じて目を逸らしているし、杏の肌色なんてどんどん真っ赤になっている。
「も、もうその無駄話は終わりッ!! ミナトももにょもにょしてないで周囲警戒に集中するッ!!」
ぴしゃり、と。雷が落ちるかの如き一喝が全員の鼓膜を叩いた。
愛とミナトは先生に叱られた生徒のように押し黙るしかなかった。
…… …… …… …… ……
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