55話 死の病、天与の才覚《Blue Seed》

 撤退しながらの迎撃は困難を極めた。

 押し寄せる黒き触手玉の量は果てしない。いくら切り結んでも終わりを迎えず。さながら管に詰まった汚物のように次々襲ってくる。

 しかし生命の灯火滾るならば蒼は必ず応えてくれた。


「《不敵プロセス・ヘヴィ・α》! このままじゃキリがねぇ、信お前も攻撃に回れるか!」


「…………」


 彼は無言で一瞥くれ、こくりと頷く。

 そうしてジュンが展開させた蒼き壁の前で長刀をびょう、と振るう。


「へへっ! 相変わらず無口なヤツだな!」


「行動で結果を示すさ。2人とも俺の後ろに移動しろ」


「あいよ! ウィロはいったん下がって呼吸を整えろ!」


 メインの攻撃役として行動しているウィロに後退を指示する。

 今のところ気張ってくれているが、彼女はどちらかといえば後衛向き。しかも得意とする《心経ハモニカ》の性能は多数相手に向かない。


「はぁ、はぁ……っ、でも攻撃の手を止めてどうするの!? もっと数を減らさないと地上に出たとき囲まれて面倒なことになっちゃうよ!?」


「どうやら信がなんかやってくれるらしいぜ! それよりお前は自分の体力管理を入れておけ!」


 無理をする場面だが無理をしても良いことはない。

 幼馴染みであるジュンの目から見てもウィロメナはすでに疲労困憊している。

 まとっていたはずの白いローブも触手に貫かれたり引き裂かれたりと原型を保っていない。そのせいで年のわりに抑揚があふれすぎる艶やかな肢体が外の目に晒されている。

 さらにはローブだけではなく身にまとう蒼にも異常が生じていた。フレックス切れの兆候である途切れが発生しつつあった。


「ミナトとの約束忘れてねーなら言うこときいておけ」


 ほら、と。ジュンは自分の手つかずのウォーターボトルを投げた。

 ウィロメナはそれをわたわたと受け取る。


「っ、わ、わかったちょっとだけ……休ませてもらおうかな」


 こくり、こくり。受け取ったボトルを逆さにして水を喉へ流し込む。

 よほど乾いていたのか顔に被るような勢いで飲み干していく。

 現状の撤退迎撃戦は上手く事が運んでいると言っていいだろう。信とジュンの2人体制で張っては割られを繰り返していた。

 しかし敵の勢いはいくら切り結んでも衰えることはない。すでに先ほど巡らせた蒼き壁が圧力によって割れつつあった。


「ふぅぅ……」


 ぴしぃっ、と。AZ-GLOWの群れを留めるヘックスの連載体に亀裂が生じる。

 その正面で信は壁越しに蠢く敵を低く睨みつづけた。

 構えは居合いに酷似している。腰の鞘に7部ほど長刀をおさめ肩を顎に寄せる。

 

「くるぞ備えろッ!!」


 そしてジュンは壁の限界を察し叫ぶ。

 それと同時に動き出す。


「オオオオオオオオオオオオオオ!!」


 信がより苛烈に咆哮を発したのだ。

 加えて抜き放った長刀が縦横無尽と闇を裂く。

 鞘から抜き放つ抜刀の太刀。次いで返しの2の太刀。3の太刀はそのまま振り抜け同じ軌道で2の太刀をなぞる。しかしてそのどれも敵に触れることはない。

 そして敵を押しとどめていた壁が幾千もの断片となって破砕する。絡みつきながら蠢く黒の波が濁流の如く吹き出す。


『――――――――――』


『――――――――!』


『――――! ――――――――――!』


 あふれ出したAZ-GLOWたちは人間に向かって押し寄せる。

 瞬く間に最前の信を己の体積で呑み込まんとしていた。

 いっぽうその場で残心を終えた信は、剣鞘に銀閃を納刀する。


「残影を追え幻想刀! 《記憶メモリア・秘我ノ太刀》ッ!」


 かちり、と。刀身が失せ鞘と鍔がぶつかる音が響いた。

 その刹那に刻む。

 斬るのではない。蒼き筋が縦横無尽に闇へ疾走を開始する。


『――――!?』


『―――!? ―――――!!?』


 押し寄せるAZ-GLOWたちはシュレッダーに巻き込まれるようにして刻まれていく。

 伸ばした触手が相手へ触れる前に姿形そのものを失う。

 蒼き閃が横切ると押し寄せる波がその場で消滅する。なにか現実に昇華しえぬモノが敵と彼の間に無数存在している。


「す、すげぇ……! どうなってんだあれ……!」


「わ、わからない……! 原理もなにもかもが私たちの知る科学の埒外にあるみたい……!」


 ジュンとウィロメナは呆気にとられてしまう。

 それほどまでに彼の放つ力は2人の知る現実からかけ離れすぎていた。

 その間、信は1歩たりとも動いていない。


「ふぅぅぅ……」


 刻まれ征く敵の群れを前に微動だにせず。

 納刀の構えのまま残骸と化す黒き触手たちを鋭い視線で睨みつづけていた。


「っ、ここでひと区切りだ。蓋を頼む」


「あ、ああ」


 ジュンは有り余る体内の蒼を使用し壁を張り直す。

 信は張り直された壁を一瞥してから悠々とした歩調でこちらへ戻ってくる。


「今の俺では連発は叶わないが数分置きでならいける。ローテーションを組みつつ後退していけば1人に負担が掛かると言うこともなくなるだろう」


 彼からの提案を受け、ジュンとウィロメナは互いを見合う。

 それから小刻みにこくこくこく、と幾度も首を縦に振った。

 死骸は霧となって吹き消えてしまうためどれほどの成果を上げたのか正確な数はわからない。しかし彼の放った技でかなりの数のAZ-GLOWが屠られたことだけは事実だった。


「それにしても……名はジュンだったか?」


「お、おう? どうしたそんな改まって?」


 初めて名を呼ばれたからかつい声が裏返ってしまう。

 相手は年下とはいえ若くして男でも見惚れてしまうほどの優美な美丈夫が立っている。

 信は油断のない瞳でジュンを見据えていた。


「俺の見立てによればお前のフレックス量は尋常じゃない。その域に至るにはどのように特別な鍛錬をしているのか参考までに聞かせて欲しい」


「あ、いや……――へへっ。俺は新生児のころからフレックスを垂れ流しちまう体質ってだけだ。これといって特に特別なことはなーんもしてねぇんだよ」


 気恥ずかしげにジュンが頬を掻く。

 すると信は大袈裟に声を張り上げる。


「まさか蒼色症候群ブルーライトシンドローム保持者なのか!? そうなるとつまり――フレックスの申し子!?」


「いやいやいや! 申し子だなんてそんなご大層なもんじゃねーって!」


 申し子だなんて言われると顔から火が噴き出そうな気分だった。

 先に言ったとおりジュン自身はなにかをしている自覚はない。ただ意識して留めないと身体が蓄えた蒼の力を吐き出しつづけてしまうというだけ。


「蒼色症候群患者は成長すればフレックス量は桁違いに上がりつづけるぜ? でも新生児の段階ではフレックス切れで死んじまう例もあって危ねぇんだよ」


「病弱だったり死産になっちゃってた赤ちゃんとかは蒼色症候群だったんじゃないかって良く言われてるよね。今はフレックス研究が進んで助ける術が確立されているけど……」


 ウィロメナの言うとおり蒼色症候群は新生児にとって死の病でしかない。

 フレックス値が零になると人は生命活動を停止する。しかも蒼色症候群の新生児は無意識にフレックスを吐き出してしまう。結果、最小フレックス値が小さく無思考な新生児の段階で命を使い切ってしまうという現象も多々報告されていた。

 つまり新生児段階を生き延びた蒼色症候群患者は流動的に最大値の桁がずば抜けて高くなる。フレックスは使用すれば使用しただけ最大値が増加していくのだ。


「…………」


 またも信は口を真一文字につぐんでしまう。

 形のすらりと整った顎先に手を添えて長考の姿勢をとっていた。

 蒼色症候群。それは人が蒼を授かったのと同時に現れた難病とも言われている。

 それは遺伝子の欠陥か、はたまた天から授かりし才能か。どちらにせよ生まれ持もつものであり後天的に授かるものではない。

 ウィロメナは飲み終えた空のボトルを幅の広い腰にぶら下げる。


「確かジュンが生まれたときジュンのお母さんがいち早く蒼色症候群に気づいたんだっけ?」


 しどと流れる汗は引き、手にはすでに双剣が握られていた。

 いつ壁が破られてもいいよう身構えている。


「ってか腹んなかにいたときから感情みてぇなのがすでに伝わってきてたらしいぜ。んで俺が生まれてからもフレックス切れで死なねぇようずっと付きっきりで自分のフレックスを流し込んでくれてたって話だ」


「はぁぁ……前も聞いたけどすっごい良いお話だよねぇ。お母さんから与えられた無償の愛が我が子の命を繋いだわけだもんねぇ」


 ウィロメナはほう、と熱に浮かされるような吐息を漏らす。

 豊満な胸部の膨らみに手を添え母と子の愛をしみじみと感じ入っている。

 

「ま、その後母ちゃんは病気で死んじまったがな。でもおかげでこうして父子家庭ながら明朗快活な日々を送れているってこった」


 ジュンは肩を回し回し幅広の盾剣を構えた。

 こうして暢気に世間話に花を咲かせていられるのもその底抜けたフレックス量の本懐だった。

 ゆえに蒼色症候群持ちはそう簡単にフレックス切れを起こさない。これはノアの常識である。

 

「それに――」


 ジュンは心身共に人の良さそうな視線をそちらへと送った。

 張られている《不敵》の壁にはもう亀裂が入りつつある。敵からの圧は未だ強くもうしばしここで耐えねばならない。

 間もなく余り余ったAZ-GLOWたちが押し寄せてこようとしていた。


第2世代セカンドジェネレーションの全部を均等に扱えるっていうのだって才能じゃねぇのか?」


 と、ジュンの視線の先では信がすでに刀の柄に手を添えて準備を整えていた。

 たとえ心が通わなくても生き残るという約束が繋いでくれている。

 なにせこの命を救った英雄から生きろと頼まれてしまっているのだ。それを無碍にするようなマネはノアの民全員が良しとしない。


「俺は第2世代すべてが苦手というだけだ。すべてが得意ではないからこそ上限下限共に引き上げる努力を惜しまない」


 壁が割れると、信が槍先となって進撃する。

 その後すぐにジュンとウィロメナが地を駆った。


「ははっ! 案外不器用で愛着沸いてくるな! やっぱりすげぇよお前はさ!」


「またどっとくるよ! ここが踏ん張りどころだねっ!」


 他愛もない会話で呼吸を整えた3人は、押し迫る黒き渦へと身を投じていく。

 地底の奥底で終わりなき戦いを強いられることを、はじめは途方もなく感じていた。だが、いつの間にか3つの蒼はより鮮明となって一丸の光となっている。

 各々が、信頼し合う笑みを浮かべて己の得意な技を振る舞う。




……   ……  ……  ……  ……

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