54話 運命の盾《AEGIS》

 荒野に吹き荒ぶ風が頬を撫でる。

 こうして地に足をつけていると本能が大地を欲しているのだと身に染みてわかった。

 人という生き物は人工ではない自然のなかで育まれるべきなのだ。いかに未来的で優れた船を浮かべたところでしょせんそれは建造物に過ぎず。それはきっと創造であって創世とは異なる産物でしかない。


「はっはぁ、遠征任務への協力感謝するぞ。まさかそちらの側からお声が掛かるとは思わなかったがな」


「礼には及ばん個人的私用ってヤツもあったからな。それに慣れている人間は1人でも多くいたほうが効率的っつー現実的観点を重視した結果だ」


 東は羽織った高官用衣装から手を抜き出す。

 そして握った小さな粒を横の巨漢へと手渡した。


「あぁん?」


 大男は手のひらに落とされたソレを見るなり鼻っ面にしわを寄せる。

 しかしすぐにソレがなにで、誰のものかを察す。

 岩盤の如き厚い皮膚をした苦労人の手のひらの上には、銀色の輪っかがぽつんと孤独に置かれていた。


「ったくご苦労なこったなわざわざクレオノーラの指輪を探してもってきやがったのかよ」


 ディゲルは、指輪を手中に収めるとがしがし短髪を掻きむしった。

 強面を伏せ表情を隠す仕草に嬉しいやら、気恥ずかしいやら。様々な感情が見て取れる。

 だがその実、昔馴染みに面と向かって礼を言いたくないという子供っぽさも垣間見えた。

 指輪を無事受け渡した東は、フフッと鼻を鳴らす。


「検視班のチームが棺の中で見つけたと言って持ってきてくれたのだ。礼を言うなら《白衣の乙女ホワイトメイデン》の子たちに言うんだな」


「女どもからの贈り物ってんならそりゃあ男冥利に尽きるってもんだな。しっかしはじめはテメェからの贈り物かと思って一瞬ケツの穴が縮んだぜ」


「はっはっはァ! 俺は女性専門のまま生きて墓に入るつもりだ! 冗談でもおぞましいことを言うもんじゃないぞ!」


 会話の内容に品性の欠片もないのは、男同士気兼ねないというだけ。

 元よりほぼ同期のようなものなのだ。使う気なんてとうに使い果たしている。

 そして本来の指輪の持ち主だって、そう。

 奇しくもアザーへと埋葬されたクレオノーラもまた勝手知ったる仲間だった。

 東は遠い過去を見るかのよう地平線へと視線を投げる。


「検視を行った彼女たちが言うに、クレオノーラは美しい姿のまま眠りについていたらしい」


「バカ言うなだいぶん時間経ってんだぞ。棺んなかで腐ってゾンビみてーになってるに決まってんだろうが」


 ディゲルは、愉快げに歯を噛み締め、くつくつ太い喉を奏でた。

 どうやら東の言葉が安い慰めとでも思ったらしい。寡婦かふ、いわゆる妻に先立たれた夫にかける言葉にしては確かに安い。

 このアザーという星に堕とされ数々の暴力を身に受けながら苦渋と共に沈む。なによりそんな悪辣な最後を聞かされた夫にかける言葉に安いも高いもありはしないだろう。


「《メイデン1》曰く、遺体は決して嘘をつかぬらしい」


「……なにが言いたい?」


 東が声のトーンを抑えると、高笑いが止まった。

 東の知る限り、彼女は美しくも、弱い女性ではない。

 そして誰よりもこのディゲル・グルーバーという巨漢を愛していたことを知っている。


「コレは俺の単なる憶測にすぎない。だが検視班に聞かされて彼女は安らかに逝けたのだと確信している」


「死体は確かに嘘をつかねぇかもしれねぇ。だが語ることもしねぇ。んなもん生きてる連中の妄想でしかねぇよ」


 ディゲルはたっぷりと時間をかけて吐息を吐ききった。

 それから尻が汚れることさえいとわず地べたに腰を据える。


「俺ぁ間に合わなかった、ただそれだけだ。アイツがこの星で戦っているなか嫁のことさえ視界に入らなかったただのボンクラってだけよ」


 どれほど豪胆に振る舞っても後悔していないはずがない。

 事実、その地平を眺める視線には哀愁めいた乾きが滲んでいた。


「だがお前は彼女の思いをやり遂げた。クレオノーラの死後この地に降り立ったお前は治世を成してあの子を守り抜いた。彼女はきっと後々やってくるであろうお前にあの子を託し逝ったんだ」


 「違うか?」この投げかけは男同士の気色悪い慰めなどではない。

 ただ未だ妻の死を悔やむ友に前を向かせたいだけ。


「クレオノーラ・グルーバーは、お前がこの星に辿り着いてくれることを信じていたのだ」


「ククッ……なんとでも言える話じゃねぇか」


 だが……。瞼を閉じ天を仰ぐ。

 腕組みすると筋張った肩が膨れ、襟元から覗く胸筋がこんもりと頭部大にせり上がった。

 星の昼空は厚い雲に覆われている。


「もしそうだとしたら――そりゃあ最高に達成感があるってもんだな」


 それでもディゲルの表情はおごそかながら光に満たされていた。

 こうしてお目付役たちがサボっている間にも、若人たちはきびきびと足並み揃えてキャンプでの作業を進めている。

 本日中にはおおよその遺体回収は終えられるだろう。管理役が几帳面に墓なんてものをこさえておいてくれた成果だった。

 残す任務はマッピングと捜索の2チームがあたっている。暮れまでに連絡すら入らない場合はこちらも大きく動かねばならない。

 ふと東の脳内にとある少年の顔が浮かんだ。

 隣に座す口の悪い巨漢が育手を務めたこれまた小生意気な少年の顔だ。


「そういえば革命以降ミナトと未だ顔を合わせていないというのは本当か?」


「いちおう元気にやってるらしいってことくらいは聞いてるぜ。ずいぶん手をかけて色々押しつけてくれてやがるらしいじゃねぇかおめぇよぉ」


 ディゲルはミナトの名が出た途端僅かに優しい顔になった。

 父の顔とでも言うのか。丹精こめて育てたのだから情などという浅い関係ではないのだろう。

 それが東にとってはほんの少しだけ羨ましい。


「なぜどちらも互いに会いに行かない? 信のほうもお前と別れてかなりの時間が経っているらしいじゃないか?」


「アイツらが会いに来ねぇなら会いに来ねぇなりの理由があんだろ。ま、チャチャのほうは会いたくて会いたくて仕方ねぇって感じだがなぁ」


 ディゲルはニヤけ顔で丸い肩をすくめる。

 そしてあっけらかんと言ってのけた。


「それが家族の絆というやつか? 互いを信頼しているからこそ腹の内まで読めるものなのか?」


 そこまで東が興味を示すと、ディゲルは途端に吹き出す。


「ブハッ、んなわきゃねーだろ! そうでなくともミナトのほうはフレックスがまともに使えねーんだ! 腹の内なんて読みようがねぇわ!」


 膝を叩くほどの大爆笑だった。

 呵々とした豪快な笑いが吹き抜けると、作業中の者たちが数人なにごとかと振り返る。

 しかし東のほうはというと、至って真面目だった。


「フム……絆ではないのか」


 癖のように無精髭を指先で摘まんで捻った。

 東は家族という分類がいまいちわからないでいる。

 無論、親はいたし相応の教育や愛情を受けて育ったという自負もある。しかし注がれる愛は享受していても、注ぐ側に回ってみるとなぜだか上手くいかない。それが中年と呼称される年齢でそれほど重くはないがとりあえずの悩みだった。

 ひとしきり笑い終えたディゲルは、どっこらとむさ苦しく立ち上がる。


「ただな、アイツらからの声のないメッセージは受け取ってんぜ」


「声のないメッセージとはなんだ? ずいぶんと意味深な物言いだな?」


 ディゲルはおもむろに東の肩を指さす。

 厳密に言えば肩ではない二の腕にあたる部位だった。

 そこではくるくる、と。しきりに回転をつづけるホログラム腕章が備えられている。


「どうせアイツらでつけたんだろ? その現人類の旗元となる盾模様に、イージスってよぉ?」


 その通りだった。

 東が訪ねに行った際、信とミナトはしばし悩んだ後にはっきりと、そう名付けたのだ。

 イージスとは、神話で神々が使用した盾を意味している。

 これといって知識として珍しいというわけでもなければ、どちらかというとメジャーな名称でしかない。が、少年心をくすぐるに足る英雄的な名称としてならば十分な威厳を保持するもの。

 東は察しの良すぎるディゲルに対し僅かに驚き瞬く。


「まさか……イージスという言葉になにかしらの意味が含まれているとでも言うのか!?」


「ククッ、意味どころじゃねぇそりゃとある人間の名だ。俺らがこの星で集う切っ掛けみてぇになった女の名前だな」


 とくん、と。友の雑な含み笑いに高揚感を覚える。

 胸が高鳴るのは登場した人物が女性ということもある。だが深いところはもっと稚拙。好奇心に似たわくわくとした動機だった。


「イージスという女性がこの星でお前たちを引き合わせたというのか!? その運命的な人物はいったいどこにいる!? まさかもうこの星で――」


「待て待て顔を寄せてくんじゃねぇ! 女趣味のまま逝くってほざいておきながらずいぶん暑苦しいじゃねぇか!」


 ディゲルは煙たそうにしたが、この好奇心を抑えられるものか。

 東はすっかり英雄譚を読みふける少年のような瞳になってしまっていた。


「気にならないわけがないだろうその女性がすべての根源となっているんだぞ! こと革命成功というここに至るまでの過程でもっとも核となる人物のご登場じゃないか!」


 もしその人物がミナト、信、ディゲル、チャチャの4名を揃えた。

 革命を成功に導いた人物たちを集結させたというのであれば、間違いない。それはもう物語に登場するかの如き、英雄的存在者。歴史に名を刻むべき八面六臂の活躍を残した大英雄に他ならない。


「いや待てもしかすれば一部の復帰したマザーコンピューターのデータベースにアクセスすればその英雄的女性の名が引っかかるかもしれんな!」


 東は目を爛々と輝かせながら《ALECナノコンピューター》の画面をスライドさせていく。


「あー……なんだぁ?」


「待てと言っているじゃないか! いや、しばし黙っていろ!」


「もういねぇんだよ」


 嬉々としてコンソールを叩く指が空中でピタリと止まった。

 東は震える唇で「……どういうことだ?」友へ問う。

 するとディゲルはとつとつとした口調で語りはじめる。


「イージスは俺らに別れすら告げず唐突にいなくなっちまったんだ。まるではじめからそこにいなかったみてぇに忽然と、な」


 落胆するには十分な残酷すぎる結末だった。

 東の膨れ上がった好奇心が肩とともに沈んでいく。

 ロードが終わったモニターに映し出された文字もただひとこときり。《不一致》とだけ表示されている。


「とはいえ俺もあるていど落ち着いたらおいおい消えたイージスの影を追ってみるつもりだったがな。しっかし調べてみりゃぁノアにもいねぇわアザーにもいねぇときたもんだ。マジでアレは長ぇ白昼夢だったんじゃねぇかと思っちまうくらいに情報がまったく存在してねぇ」


 ディゲルは沈んだ東の背をどっ、と豪快に叩く。


「それよりテメェは他人様のことばっかしに首突っ込んでねぇでテメェの子供のことをなんとかしろや。聞いたところによると嫁が逝っちまってからずっと決別したままって言うじゃねぇか」


「…………」


 反応はなし。

 よほど堪えたのか東はディゲルの渇を受けてなお微動だにしなかった。

 よくよく見れば丸くなった背がふるふると震えている。


「チッ。いい加減その英雄癖と女癖の悪さをなんとかしろ。餓鬼もこさえたいい年した男が家庭をかえりみずってのは如何せん不健康が過ぎんぜ」


 と、ディゲルが説教じみた口調に変化しかけた。

 その瞬間だった。

 沈んでいたはずの頭がぶわ、と額を晒すくらいの勢いで起き上がる。


「はぁーはっはっはァ! なんだその最高にミステリーで心が底から躍るような話は! 情報皆無で英雄の育手の女性が過去に存在したという事実! これが滾らずにいられるものか!」


「…………」


 今度は旧知の友であるディゲルのほうが、深く深く頭を抱える番だった。

 少年の英雄願望のほうがよほど諦めが良い。

 中年になって見る夢は、こんなにもタチが悪い。



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