31話【VS.】Dear My Best Friend 『親友よ』 2

 邂逅だった。これは運命がけしかけた神のいたずらだろう。

 しかしミナトの突き出した拳に、信が付き合うことはなかった。

 噛み締めるばかりで運命的な再会を祝福してはくれない。


「俺はお前と別れてからもずっと俺たち家族のために現状を変えようと努力していた。家族をあの死の星から救うためだけじゃなく人類を闇から掬い上げるためにだ」


 そう、信は瞳に蒼を宿しながら主張した。

 彼は使える側であり正規手順で旧人類から新人類の階段を足をかけている。

 どこぞのような出来損ないではない。


――……確かに、相当だな。


 ミナトは拳を解き目を細めた。

 アザーにいたころは少女と見紛うほど華奢だったはず。友の身体に起こった変化は成長だけではない。

 パラスーツ越しに浮く彼の肉体は非常に良質な筋肉の鎧をまとっている。肥大化させず締まりの良い柔軟性のある体つきはさながら野性味ある獣のよう。

 男前な顔立ちも凜々しく同性でさえ目を泳がせてしまうほど。全体を通して美術的な造形が整いすぎていた。

 信は、腰に履かれた長寸の刀を一瞥する。


「ここで引き返してくれるなら俺がアザーへと被害が及ばないよう説得する余地がある」


 蒼を孕んだ澄み切った瞳が真っ直ぐミナトへ向けられた。

 鞘に手が添えられ飾り気のないシンプルな刀はカチャリと金音を響かせる。

 純真で曇りなき眼には覚悟が秘められていた。

 

「もう少しで俺のフレックスは人類史上初となる《新世代ニュージェネレーション》に届き得る。あのイージスでさえ至らなかった《第3世代サードジェネレーション》を身につけ、それからお前たちをノアへと引き上げてみせる」


 だから。そう言って信は先ほどミナトがやったように拳を突き出す。

 それこそが2人が交わした約束の形だった。まだ斑に空があったアザーで交わした別れの形。

 互いに家族を守るために生きた。ミナトは守るため、信は救うため。数年別れてなお変わることなく互いを思いつづけている。


「…………」


 困り果てたミナトは、首を捻るしかなかった。

 断固として曲がらぬ友の覚悟に不純は微塵も感じられない。

 仄暗い部屋の虚空を睨みながらふむぅ、と悩ましげな吐息を吐く。


「もし今すぐに意思を曲げて引き返してくれるというなら条件を足そう」


「……条件?」


「ミナトたちにもっと良い待遇を約束させる。なんなら俺の《第3世代》が完成するまであの星で快適に暮らせるよう物資の量を調節させる」


「…………」


 家族を思う気づかいだった。

 そしてそれは未だ彼は約束を違えていないという証拠でもあった。

 なのだがミナトは違和感を覚えて仕方がない。

 本当に僅かな綻びだった。誠意ある説得のなかにちくりと引っかかる部分がある。


――もっと良い待遇? もっと、ってなんだ?


 友との語らいのなかでなにかがこじれているような気がしてならないのだ。

 ミナトには信が自身たちを裏切っているとは思えない。なにせ――記憶が――生まれたときから一緒にいた親友だ。そんな彼があの時と変わらぬ純朴な瞳で目の前にいてくれている。

 なにより彼はあの星に帰れと幾度も口にしつづけていた。あのもう生きることさえ不可能な不毛で乾いたアザーへ。


「確かに時間をかけ過ぎているかもしれない。それでも着実に希望へと歩み寄っている最中なんだ」


 ミナトが答えないでいると、信は整った顔立ちに僅かな苛立ちを浮かべた。

 だがそれも一瞬だけ。勢いを付け腰を90度曲て折り目正しく頭を下げる。


「あと少しだけアザーで俺の帰りを待っていてくれ、頼む」


「……さっきからなに言ってんだお前?」


 正気の沙汰ではないためミナトはとうとう眉をしかめた。

 明らかに互いの意思疎通が叶っていない。しかもまるで白痴だ。なにより第3世代に至ってだからどうしたというのか。

 現状でアザーの民に必要なものは食料と日常を送れるだけの少量の雑貨やら。良い待遇や快適な暮らしを求める段階にすら立っていない。

 ミナトが戸惑っているとシリンダーの背後から靴音が響いてくる。


「マザーの後ろで待機させてもらっていたけど、ずいぶんと友人の説得に難航しているみたいだね。一向に進まないまるでこの船のようじゃないか」


 こつり、こつり、こつり。硬い材質をゆっくりと踏みながら1人ほど。

 ゆっくりとした歩調で現れ、信の背後で足を止める。


「君は……ああ、例の子だね。今日はお客様がやってくるという予定は入っていなかったのだが歓迎しようじゃないか」


 暗闇から現れたのは、長身痩躯の男だった。

 虫すら殺さぬといった笑みがじっ、とミナトのほうへと向けられている

 見た目は若く20台半ばほどと言われれば信じてしまいそうなほどに童顔だ。

 そして東やミスティと同じ白羽織を引く。唯一異なるとすれば胸の辺りに勲章褒章の類いがないこと。


――こいつが……7代目人類総督兼ノアの艦長、長岡晴紀ながおかはるきか。


 こんな場所にいるのだから疑う余地はなかった。

 ミナトが男に対して覚えた違和感は、2点ほど。

 白生地の胸の辺りにむしられたような毛羽立つ後が残されている。

 それと若々しく精気ある顔の至る箇所にミミズののたうつような傷跡がびっしり刻まれている。

 男は2度ほど手を叩くと、ミナトから顔をそらして信の方へ身体を向けた。


「僕らに与えられている時間は有限だと君には教えたはずだ。こんなところで無価値に財を浪費する必要はないんじゃないかな」


「待ってくれ。俺の言葉は間違いなくミナトに届くはずだ。こんな陽動と暴挙をしでかしたことにだって必ず意味がある」


「ああ、君は本当に家族のことを愛しているんだね。しかしその厚き信頼は時として脆く裏切りの起点となりうることを学ぶべきかもしれない」


 男は、そっと信の肩に手を添えてニコニコと微笑みつづけている。

 歌うかのように朗らかな声には敵意どころか悪意すら感じさせない。


「だけど君の愛は僕にも十二分に伝わっているんだ。だから先ほど言っていたアザーへの物資量を増やすという提案も、厳しいが呑もうじゃないか」


 それを聞いた信の表情が僅かに明るなるのがわかった。

 同時にミナトはやりとりを睨みながらあるていどのことを理解する。


――このペテン師が。そういえばこの船が取り巻くだいたいの胸くそはコイツきっかけだったな。


 元凶の登場によって憎悪渦巻く腹へ力が籠もっていく。

 あの男をなんとかすればすべてが丸くおさまる。アザーとノアに住まう多くの人間たちが救われる。

 そしてミナトは研究室で行われた東によるありがたい講義を思い出す。


『相手は確実に第1世代のフレックスを所有している。そうなると第2世代に至っているということでさえ見積もっておいて損はないはずだ』


 直接的な闘争だけは絶対に避けろとも言っていた。

 なにせこちらは武器すら持たぬ上に能力だって片鱗ほどしか備えていないのだ。ましてや2人態勢の能力者相手に戦えるだけの力はない。

 だからミナトは1度冷静になってしばし傍観に徹する。


「しかも今回の責任は僕にあると言っても過言ではない。艦長としてアザーの民たちの不安と不満を解消してやれなかったことが騒ぎの原因だろうね。温情なんておこがましいことはいわないけど、もし彼がここで引き返すのであれば関係者の多くを無罪放免としよう」


「本当か? アザーに住むディゲルたちにも罪を問うようなマネはしないと約束出来るんだな?」


「当然だ。なにより君たちの家族は優秀でノアの民が日々感謝するほどの功績をあげている。そんな才能を自ら狩るような愚行は艦長である僕だけではなく全人類の損失と言えるからね」


 長岡晴紀は、ニコニコとしながら耳障りの良い言葉をつらつらと吐き連ねていく。

 そして信もまたその言葉を疑うどころか心酔しきっている。


――外界との接触から遮断されたこの空間で虚偽を教え込んで丸め込んだってとこか。


 ミナトは腸が煮えくり返る思いを必死に押しとどめた。

 ここまでの情報から察するに信のなかで今回の革命はただの暴動ということになっているのだろう。

 とあるやり口と現状は非常によく似ていた。天上人たちが地上人たちを犯罪者という位置づけにしているのとほぼ変わらない。

 そしてミナトのなかでもう1つの事実が組み上がった。


――コイツ……地上のオレらを人質にしやがったな! それで信に自発的と思うようコントロールしながらなにかを強制させていやがる!


 烈火の如き感情が隆起すると、奥歯がギギという軋みを上げる。

 ここに至るまで信は、頑なに《第3世代》という単語を幾度も口にしつづけていた。

 つまり彼がフレックスの能力を向上させる、あるいは成果を上げる。そのどちらか――あるいはどちらも――が長岡晴紀という男の作り出した茶番劇だということ。

 信の努力は、家族への報酬に繋がる。そういう甘言という虚偽を流して騙くらかしているのだ。


「罪に問うならばアザーで激務に励む彼を騙してこんなところに押し込んだ者たちだね。さすがにそちらの側は見過ごすわけにはいかない。だから首謀者は執行者たちに捕縛させてもらうけど、いいかな?」


「わざわざアザーへ出向いてまでミナトをノアに連れてきたやつがいるのなら確実に罪を償ってもらう。俺の大切な家族を良いように利用しやがったやつらには相応の罰を与えてくれ」


 聡明な判断に敬意を。そう言って男は、憤る信へ恭しく礼をする。


「信くん、君はこれまでもこれからも常に正しく在りつづけておくれ。だからこそ僕も人類総督として常に君へは誠意を持って対応することを誓うよ」


「俺だってそうさ。こうして多くの知識と知恵を与えてもらいながらフレックスを高められるのもアンタがいるからだ。もしアンタがノアにきたばかりの俺に声をかけてくれなかったらここまで強くはなれなかっただろう」


 互いに信頼しきったような笑みを向け合う。

 その信頼関係は間に他人が入りこむ余地すらないほど硬く見える。

 しかし知っている者からすれば安い茶番でしかない。ついでにこんなに胸くその悪い光景なんてあってたまるか。


「おい信。ちょっとこっちこい」


 ミナトは呆れつつ信を手招きをした。

 すると彼は長岡に伺い立てるよう浅い礼をしてこちらに向かってくる。


「いい加減俺たちの話を聞いていてミナトも状況がわかっているはずだ。信じたくはないと思うけど、お前はノアにいる一部の連中に騙されている」


「もっとだ。もっとこっちにこい」


 信は、戸惑いながらも小走りになって駆け寄ってくる。

 足を踏む都度、腰の刀がカチャカチャと騒音を奏でた。


「俺はこれから第2世代フレックスの調節をしなきゃならない。それが終わったらフレックス値の上限を限界突破オーバードライブさせるための――」


「いいからいいから。オレのお願い1個だけ聞いてくれたらもう帰ってやるから――少し黙れ」


「なにも睨むことはないだろ……いったいなんなんだ?」


 文句を垂れながらも従順な信の向こう側だった。

 長岡晴紀が佇んでいる。

 ミナトにのみ姿が見えている。


「……………………」


 幽香なる光を放つガラス管に照らされながら侮蔑していた。

 忌々しさを隠そうともしない歪みきった表情をしている。人を人と見ていないクズか塵芥でも見るような表情でこちらを鬼気と睨む。

 あんな狡猾なゲスに友をくれてやる必要など微塵もありはしない。

 ミナトは、信がこちら側へやってきたこところを見計らう。


「よぉく見ておけよ。今からその凜々しい顔が青ざめるくらい面白い真実を見せてやるからさ」


「真実? 青ざめる?」


 信が不思議そうに目を丸く瞬いた。

 ミナトは機を見つつジャケットに手をかける。


「論より証拠、百聞は一見しかずだ。一瞬でその夢見がちロマンチック世界からお辛い現実に引き戻してやる」


 そう言って羽織っている黒い作業用ジャケットのジッパーを下ろす。

 下に来ているのはもちろん外に出すことさえ顔が茹だりそうな未来的スーツだった。

 この船にやってきた際に着せられた肌を透過するほどに薄地素材のパラダイムシフトスーツ。

 はじめは信も半信半疑と言った視線で、ミナトのことを見つめていた。


「――ッッッ!?!」


 が、徐々に真実が明らかになっていくにつれて萎縮していく。

 端正な顔立ちがミナトの宣言通りにさぁ、と青ざめる。

 声だって喉から絞り出すような凍えきった吐息を漏らすだけ。


「じゃあもう1回だけ聞くぞ?」


 その死神と呼ばれた少年の身体は、死を体現する。

 ジャケットの内側では内蔵が浮かぶのではないかと思うほどに痩せきっていた。肌に沿うスーツは骨を浮かし人体骨格をまざまざと露出させていた。

 この栄養を忘れた身体はもはや空腹という感覚すら発すことはない。指先は常に冷え、眠りに落ちるのは迅速で、起床は苦痛を伴う。

 頬がこけずに済んだのは幸いした。こんなものを誰かに見せられるものか。家族にだって友にだってジャケットを羽織ることで隠し通してきた。

 ジッパーを下げきったミナトは、親愛なる友へ向ける暖かな笑顔で、先ほどと同じ問いかけを投げる。


「信、お前……間違えただろ?」


 最愛の友からの答えは、聞く必要が皆無だった。

 もうすでに彼の身体は発光するほど。闇を祓う煌びやかな蒼で鮮明な感情を発露している。


「ああ……! どうやら本当に間違えてたらしい……!」


 今が再会だった。

 若くとも志は空を越えるほどに高くある。

 そんな2人が肩を並べて敵を見据えている。


「詳しい説明はアイツをぶっ飛ばしてからで頼む……!」


「ついでにディゲルとチャチャさんの登場するスーパー心温まるハートフル思い出話もセットで付けてやるさ」


「そりゃ――楽しみだッ!」


 長き時を経てなおミナト・ティールと暁月信は、互いを信頼しつづけていた。

 アザーに住まうビーコン屋コンビが、革命の最終局面で結託する。



♪     ♪     ♪     ♪     ♪

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