30話【VS.】Dear My Best Friend 『親友よ』
ミナトは柱の陰から顔を覗かせる。
周囲に気配がないことを確認しながら注意深くロビーを見渡す。
――派手に動き回ったおかげで執行者は出払ってるみたいだ。
管理棟内部はすでに愛の研究室で予習済みだった。
あらかじめ立体地図や3D体感ソフトなどで経験しているため迷いようがなかった。
唯一懸念すべきは執行者等の敵対勢力が待ち構えていること。が、すでに東の策によって出払ってしまっている。
――もの悲しいな。本来ならここも外の街も多くの人間たちで賑わってたはずなのに……。
管理棟の玄関口は閑散とした有様だった。伽藍堂な静寂が満ち沈痛めいた雰囲気を漂わせている。
吹き抜けとなった2階はラウンジにでもなっているらしい。1階からでも手すり向こうに椅子やらテーブルが確認できた。
さらに屋内はアトリウム調で高い場所がガラス張りとなっている。外の空が透過されているため閉塞感を感じさせない広々とした作りをしていた。
ミナトは姿勢を低くとって素早く柱を縫うように駆けていく。
「…………」
珍しさに目を奪われそうになるも、足をとめることはなかった。
一刻も早くここを出たかったということもある。が、この目が痛くなる光景こそもっともな元凶だ。
ここは炎獄――《フレイムウォール》の
ミナトは目が痛くなるのを我慢しながら目的のエレベーターへと向かって走った。
「良かったエレベーターの電力は生きてる。これで床材をぶち破ってワイヤー下降をしなくても済むぞ」
タッチパネルに触れる。点灯からほどなくしてベルの音色が響いた。
エレベーターの扉が迎え入れるようにして両開きに口を開ける。
なかに滑り込んだミナトは、ジャケットのポケットからパスポートを取り出す。
あらかじめ東に渡されていた業務員用パスポートをリーダーへと押し込む。液晶にずらりと表示された階層が瞬くようにして数字の羅列を変化させる。
そして階層の数字が瞬くように退いてもっとも最下層を記す『Conservation Room』の文字へと切り替わった。
――コンサーヴェーション? 地下に芸術作品でも飾ってあるのか?
やがてエレベーターは扉を閉じ、乗降の浮遊感が手足をくすぐってくる。
扉上に表示される数字がみるみるうちに零を下回っていった。
現在地をB1、B2、B3、と刻む。人間を乗せた密室が駆け下りるようにして地下深くへ沈んでいく。
与えられた作戦の概要は、管理棟最下層にあるマザーコンピューターを再起動すること。
次点で首謀者の説得。もしそれらが無理だと判断したらマザーコンピューターの破壊。あるいは首謀者の殺害も許可されている。
「要するに《フレイムウォール》さえなんとかすりゃいいってわけだ。単純明快でわかりやすい……な?」
自らの口で言葉にすると急激にバカらしく思えた。
《フレイムウォール》の解除、言い換えるならノアの解放。人類の救助。
それが最も高難易度で最難関だということくらいは学がなくても理解に及ぶ。
首謀者の殺害という一聞して物騒な行動でさえ、自分には実行することが絶対に不可能だとわかっていた。
ミナトは、黙って己の左腕を見つめる。
――首謀者はフレックスを使えない人間に対して非道に振る舞う。逆を言えば使えさえするならオレにだって利用価値があるはず。
敵の行動理念は単純明快だった。
大切なのは対象となる人間がフレックスを扱えるか、あるいは無能か。この2択のみに絞られている。
ミナトとて無茶という自覚はあるが無謀ではない。あえて武器をなにも持たないのは、敵意を示さぬため。
――もしオレが未知を扱う第2世代だと知ったなら……どう動く?
だからミナトは愛のフレックスが籠められたフレクスバッテリーは奥の手と定めていた。
軽快な音と共にエレベーターが地下に着いたことを知らせてくる。
ゆっくりと情感たっぷりに扉が開くのと、身を隠すのはほぼ同時だった。
脳内会議はここで幕引きとし、気配を探りつつミナトはエレベーターから飛び出す。
「なんだこの部屋ッ!? ここがマザーコンピューターのあるコンサーヴェーションルーム!?」
そして目の前に広がる不可解に呼吸すら忘れて息を呑んだ。
ぞくぞくという電流のような感覚が背に沿って駆け上ってくる。
不可解というクエスチョンが不愉快と荘厳の間を交差して思考を麻痺させてくる。
「この部屋中にあるモノは……シリンジか? しかも至る所に……生えてる?」
辿り着いた部屋は、船のなかだというのにさながら水晶窟のようだった。
あらゆる方角からガラスの突起物が大なり小なり縦横無尽と生えているのだ。
ノアという未来科学の結晶体のなかこんな場所があるとは。およそ信じられぬほどに美しい光景が広がっている。だが同時に屋内全体が退廃的で邪な異様をまとっていた。
しかもシリンジは人の身体と同じ、もしくはより巨大な大きさのものまである。それらが広大な屋内の壁やら、高すぎて奥の見えぬ天井やら、びっしりと生え伸びているのだ。
「曇りガラスになって中身がよく見えない。でもなんかこれ……微妙に脈を打って蠢いてるような……?」
気色悪っ。科学屋ではないミナトにとってこの未知は不愉快でしかない。
「はぁぁ……未来の連中はなにを思ってこんなもんをこさえたんだか。自分たちの作ったモノを芸術品なんて言っちゃう辺りサイコ味が強すぎるだろ」
驚嘆しながらも足を止めることはない。
わかろうともしないしわかりたいとも思わない。なにせやるべき事は船内調査ではなく、一刻も早くマザーコンピューターを見つけること。
ミナトは丁度良く手すりで区切られた通路をただひたすらに前へ前へと進んでいく。
瞼を透かすような仄赤い空間にただ1人だった。あるかもわからない岩窟の最奥を目指すような常闇が切れ目なくつづている。
「…………」
しかしその若き年の割に淀んだ瞳は前だけしか見ていない。
不安はなかった。死よりも恐ろしいモノを知っていたから。闇よりもおぞましいモノを学んだから。
――家族だけじゃなくてあれだけの多くの命を救って死ねるなら……本望だッ!
今まで背負ってきた者たちから背を押されているような気さえした。
がんじがらめに不自由だった身体がすぅと軽くなったような勇気に奮い立つ。
この足に取り巻く感覚は重みではなく、歩み。外で待つ人間たちと共に生きたいと願う、自由への歩み。
そしてどれほど歩いただろう。時間の概念でさえこの場では
「……ここがゴールか?」
ミナトは終わりが見えて立ち止まった。
突き当たった箇所には壁の如き扉があった。搬入に使われそうなくらいに巨大で尊大な大扉だった。
人1人どころか肩車したって余裕がある。目測でおよそ10mほどと言ったところか。しかも描かれているのは
目的地であろう期待と嫌悪の2つがごちゃ混ぜになって襲ってくる。
「CAUTION、DANGER、立ち入り禁止。こりゃあ警告のバーゲンセールだ」
するとなにも触れていないにもかかわらず突然事態が変化した。
大扉が轟音と地響きを上げて両側へと開いていく。
ミナトは大袈裟な音に動揺しつつも周囲を瞳で探ってみる。
カメラと思しき物体と目が合う。
愛の研究室でもノア内部の各地に定点カメラが設置されていることは確認済み。首謀者はノアそのものを掌握しているとなればこちらの動きだって把握していても不思議ではない。
「いらっしゃいませようこそってか? ずいぶんと歓迎してくれるじゃないか?」
ここまできて引き返すという選択肢はなかった。
気を引き締め直して大扉の奥側へ移動すると、色が帰ってくる。《フレイムウォール》の境界を越えたのだ。
部屋の中央辺りになにやら光源がある。今まで見飽きてきたシリンジをもっと巨大にした大木の如き円柱が照らし出されている。
そしてその手前側に人影が1つほど、佇んでいた。
「帰れ。今ならまだ間に合う」
逆光で見づらいため表情はわからない。
だからミナトは散歩するような足どりで影に向かって歩み寄っていく。
「よう」
朝目が覚めておはようを言うみたいに彼へ挨拶した。
「お前はここにいるべきじゃない。ここへやってくるべきじゃなかったんだ」
「最後に見たときより身長が伸びたな。それに体つきもだいぶ男らしくなってる」
「っ、もう少しなんだ。もう少しだけ待っていてくれたら必ず迎えに行く。だから、だからそのまま振り返って来た道を戻ってくれ」
「おー、声も低くなってるじゃないか。昔は女の子みたいな声と顔してたっていうのに……オレよりよっぽどいい感じだな」
「っ……!」
ミナトは、彼にどれほど拒絶されても、歩みを止めることをしなかった。
どころかそこにいる影に向かって微笑みを傾ける。
距離が詰まると少しずつ輪郭が顕になっていく。
「信、元気そうだな」
ミナトは、彼を知っていた。
どれほど時が経とうとも忘れるものか。手足と背が伸びすらりと長身であっても、顔立ちから幼さが消え男らしくなっていても、どれほど成長していても、間違えてやるものか。
なにせ彼こそが同じ境遇で育った唯一無二の友だ。アザーという過酷な地で寄り添い、信じ合い、家族となった信頼する友である。
そして彼の震える手に握られている長刀こそが、彼を彼として証明してくれていた。
「ミナト……! どうして俺を信じて待っていてくれなかったんだ……!」
彼は震える声でそう問うてくる。
男前な顔をぐしゃりと歪め、今にも泣き出してしまいそうだ。
「信じていたさ。信じていたからこそオレは今こうしてここに生きてる。ノアへと旅だったお前が、きっとアザーへ助けに来てくれると信じていたからこそ生きていられたんだ」
彼こそが2度別れたうちの1人だった。
ミナトは、最愛にして信頼する友へ、今出来る最高の笑顔を送る。
「なあ、
そう言って昔やってたみたいに拳を突き出してみせた。
アザーに育ち逆境に生きた2人の少年が、方舟のなかで再会を果たす。
「信、お前……――間違えただろ?」
(区切りなし)
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