29話【VS.】穏健派 光無き骸 ミスティ・ルートヴィッヒ 2

 鐘の音が止んだ。周囲は凍り付いた。

 暴挙でしかない。あるいは虚勢。それでもミナトは彼女の胸ぐらを捻り上げて離そうとはしなかった。


「君は若くしてアザーへ送られていたらしいな。経緯は定かではないが非常に悪辣とした環境に置かれていたようだ」


 ミスティはただ淡々とした口調で目を細める

 振りほどくことさえ面倒といったひどく冷たい視線で目の前の少年を見下すだけ。


「その証拠として人の死生の区別すら付かぬほど学がないのだな」


 緊張の糸が限界にまで張り詰めていた。

 互いの派閥は身動きが取れず。構えをとりながら2人を挟んで静止する。

 しかも革命の鍵は、自身の足であちら側の間合いに踏み入ってしまっていた。こうなるとこちらからはどうあっても手の出しようがない。


「区別すら付かないほど耄碌もうろくしてるのはアンタたちのほうだ。穏健派とやらは本当に生きたいと叫ぶ人間の声を聞いたことがない」


 それでもミナトは己よりも背の高いミスティ相手に食らいつく。

 銃口が一斉に彼を捉えるも、気にとめることさえない。どころかよりいっそう力を籠めて胸ぐらを捻り上げた。


「我々は命を天秤にかけるような馬鹿げた行動を阻止しようとしているだけだ。そちらの行動によってこれから我々を含めたすべての船員たちが困窮することをなぜ理解しようとしない」


「アンタらが本当に生きたいと願っているのなら最後の最後まで生に縋り付いて足掻きつづけるはずだ。なのに足掻かず現状に甘んじつづけるのならそれは死者すら冒涜する亡者に成り下がるということでしかない」


 2人は死の淵で睨み合う。

 誰かが1手でも間違えさえすれば完全にあの2人から命を失う。

 しかし両者は綱渡りをしながら互いの信念をぶつけ合う。


「アイツは俺たちの側についたということなのか……?」


 そんなさなか東はそらすことさえ出来ぬほどに目を奪われていた。

 本来ならば先導しているのは自分だったはず。死の淵でミスティと語らうのは己のはずだった。

 なのに今ここにいる大人の自分よりも前に、薄く弱々しい背が存在している。腰に銃という保険すら帯びずしてなお死をも恐れず真っ向から立ち向かう少年がいる。


「こっち側に付いたっていうのはちょっと違うわね。どちらかというとミナトは、私たちを守るために怒っているんじゃないと思うわ」


 杏もまた背負った赤い剣に手を伸ばすことはなかった。

 きつく目端を吊り上げながら腕を組み傍観の姿勢をとっている。

 東は、震える唇で《マテリアル》のメンバーに問う。


「なにがあった? なにがあの少年をあそこまで突き動かすことになった?」


「見てればわかるわよ。私を助けてくれた時だってそうだったけど、彼ってば本当にバカなのよ」


 それは考案した者の身が震えるほど、予定外だった。

 ミナトとミスティ共に両派閥の睨み合う中央でどちらも一切引くことはない。

 と、ミスティは己の羽織を捻り上げる手にそっ、と手を添える。


「アザーという死の星で君は常に追いやられていたのだな。生きとし生けるものたちが生きたいと願うことは当然の権利だ。我々穏健派は忠実に生命の根幹を体現しているといえる。ゆえに私は君がこちら側へ下ることを切に願っている」


 おもむろに槍を手放しまなじりを僅かに下げた。

 武器が乾いた音を立てて転がる。そして「共に、生きよう」と、ミナトへ敵意がないことを伝える。

 慈愛さえ感じる優雅な微笑だった。母が子の間違いを諫めるような優しき音色が緊迫した静寂に響く。


「君さえこちら側に下ってくれればもう血は流れないで済む。そうなれば革命派も含めて多くの命に明日がやってくるのだ」


 ミナトは抱擁するかのように包まれていた手を払って振りほどく。


「ははっ。だからそれが間違いだって言ってるんだよ」


 大の大人を小馬鹿にするような醜悪な笑みで優しい選択を払いのけた。

 そして口をつぐんだミスティを無視し、横を通り過ぎようとする。


「それ以上愚かに進むのは得策ではない。もし進むのなら私は即座に名も知らぬ君を名も知らぬまま殺めなくてはならなくなってしまう」


 殺気の混じった冷淡な声だった。

 さらにおそらくそれは脅しではない。証拠として先ほどまで押しとどめていたであろう彼女の身体に蒼き揺らぎが立ち昇っていく。

 能力向上した力を奮えば刹那に少年の首を折ることが可能だろう。生かしたまま組み伏せることさえ赤子の手を捻るのと変わりはしない。

 ここまでミスティは寛大だった。これほどの無礼を働かれていてもなお血を流さぬ選択しつづけている。

 しかしミナトは己を殺めんと構える穏健派たちの前に立つ。


「お前らは穏健派なんて温いものじゃない……ただの停滞派だ」


 そう穏健派の若人たちに言いつけると同時だった。

 ミスティの瞳が蒼を放つ。


「――キサマッ!」


 蛇の如き挙動をした手がミナトの首を即座に引っ捕らえた。 

 その行動によって艦橋地区全体に衝撃が巡る。革命派が前のめりになると穏健派たちも銃のトリガーに指をかけた。

 これ以上はもたないと判断した東は、声を張り上げる。


「それ以上ミスティを挑発すればお前は殺される! 怒りに任せてバカなマネをするのはやめておけ!」


 両派閥間での緊張は臨界点を迎えようとしていた。

 もし革命が失敗したとしてミスティが手を穢す必要もなければミナトが死ぬ必要もないのだ。この作戦ははじめから終わりまで手順が組まれている。

 革命をおさめるために確定して必須なのはただ1人のみ。1人が命を粗末にすればすべてが平穏に終えられる。

 ミナトは首を絞められながらも低く、そして睨む。


「バカなこと考えてるのはオレじゃなくて……東、お前だろうが」


「っ、なにを言っているのかわからないな」


 東は言葉を詰まらせた。

 同時に心臓に杭を打ち込まれるような焦燥に駆られる。


――まさか気づいているのか? ならばこの騒ぎは、あのミナトの怒りの本流は……俺を救うため?


 作戦の概要を詳細に知っているのは立案者である東のみだった。

 革命派はおろか《マテリアル》にすら内容は語られていないし、勘づかれるほどの失態も犯していない。

 しかしこの局面でもし革命の鍵があちら側へ傾くのであれば、最終手段が用意されていた。


――俺が《フレイムウォール》に身を投じて事をおさめようとしていることを知っているのか!?


 東が愕然と棒立ちになっていると、背後から小さな影が忍び寄る。

 そして忍び寄った愛が、東の隙を塗って、ひょいとポケットからソレを摘まみ上げてしまう。


「やーっぱり東ってば持ってたね。ミナトくんの言ったとおりアンチナノマシンのシリンジをさ」


「――くッ!?」


 東が透明な薬瓶を取り返そうとするも、手は空を切る。

 仲間たちとの写真を入れていたポケットの奥に詰められていた秘策が抜き取られてしまう。

 ウィロメナは愛の手にした透明な薬瓶しげしげと眺めながら小首を傾げる。


「これって完全駆除が不可能な不完全アンチナノマシンのはずです。東さんはそれを使っていったいなにをしようと考えていたんですかね」


 長い髪の奥で蒼い瞳が揺らぐ。

 もうすでに心の奥底まで見透かされているのだ。

 こうなっては東でさえ後悔に溺れるしかなくなってしまう。


――誰にも悟られぬよう立ち回っていたはず!? なのになぜ、アイツは死の臭気に過敏すぎるとでもいうのか!?


 あのミナトという少年を甘く見過ぎていたということを認めざるを得なかった。

 ただの世間知らずで人々のために命を張れるほどの勇敢で無茶な少年だと思っていた。

 そのはずなのになぜ。彼は、ミナトという少年は、今こうして誰よりも前に立っているのか。


「なあミスティさんとやら聞いてるか。東は革命が失敗したときのことも考えてたんだ。自分の体内のナノマシンをアンチナノマシンで減らしてあの赤い壁に自ら突っ込むつもりだぞ」


 ミスティの全身がぶるりと震えた。

 首に掛かった手が傍から見てわかるほどに震えている。

 しかしミナトは恐れることなくミスティを相手に鬼気として笑う。


「お前らは歩むことを止めた時点でもう死んでるのと同じで矛盾の塊なんだよ! 死んでる人間が前に進もうとしている人間の足を引っ張るんじゃねぇ!」


「黙れ貴様になにがわかるというのだ!! 発言する権利を持たぬ民たちのため力ある我々が立ち上がっているということのどこに矛盾が生じているというのか!!」


 フレックスまとえば人の首を捻ることなぞ造作もないはず。

 なのにミスティの手は震えるばかり。身をまとっていたはずのフレックスでさえ消失し、一向にミナトを殺めようとしない。


「アンタもオレと同じ目をしているからだろうがッ!! 生きてる生きている言いながら亡霊のように生気の抜けた目をしやがって――気色悪ィ!!」


「黙れと言っているのだァァ!! 私が信念を翻してでも守ってやらねば多くの者たちが孤独に支配されてしまうことになる!!」


 ミスティが絹を引き裂かんばかりの叫びを発す。

 それとともにミナトの足が宙へ浮く。

 彼女の瞳の奥で蒼が迸る。それでもなお彼女の手はくびり殺す選択を躊躇いつづける。


「ガッ――ほら見たことか!? オレ、みたいにただ家族を、自分じゃない誰かだけを生かそうとしてるだけなんだろ!?」


「ダマレェェエ!! そんな幻想は9年前の革命が失敗した時に置いてきたんだ!! 今の私は人類が困窮しないようこの身を注ぐだけなのだ!!」


 あれほど取り乱したミスティを知るものはいないはず。

 彼女は常に冷静かつ端的で正しい行いを選択する。

 なのにミナトがかすれ声で怒鳴りつけると箔が剥がれるように感情を剥き出しにした。


「本当の自分は今も9年前に取り残されてるんだろ!!本当は――グッ、空に手ぇ、伸ばしたいくらい幸福な結末グッドエンド探してんじゃねぇのかよォ!?」


 そして最後はこれまでのやりとりが嘘のようにあっけない幕を閉じだった。

 ミナトが力任せにミスティの手を振り払うと、あまりにもか弱かった。強引に弾かれただけで手は容易に解けたのだ。

 とさり、と。ミスティは膝から砕けるようにして崩れ落ちる。


「なら私はどう立ち回れば正解だったのだ……! 私は9年前もただみなが幸せになって欲しかっただけなのに……!」


 へたり込むと裾長の白羽織が波のように揺らいでから石畳の上に広がった。

 そこへ1人の少女が、「ミスティ!」彼女の名を叫びながら駆け寄っていく。

 しかし壁に阻まれ辿り着くことは叶わない。目を滲ませながらジュンの発現させた壁に縋る。


「ミスティ……やっぱりアナタのなかで、まだ9年前の革命は終わっていない!? なのに今まで私たちのためにずっと無理をしくれてた!?」


 ミスティは呆然とするばかりで石畳に視線を落としたまま答えようとはしない。

 あれだけ毅然とした佇まいを保っていたミスティの影はすでになくなっている。

 そこにいるのは過去に捕らわれながらも己を必死に否定し民を守ろうとした1人の女性でしかない。


「君は……どれほどの声を聞いてきたのだ……?」


 うつむきながら問う声は消えそうなほどにか細い。


「87だ。そのうち墓を作れたのは58、名前を刻めたのはたったの44人だけ」


「そうか……忘れて逃げることも可能だったのにそれすらせず生きたのか……強いな」


 ミナトは手を上げそちらへ目配せをして合図を送った。

 するとジュンは1度だけこくりと頷く。作り出した《不敵プロセス》を解く。

 隔てる壁がなくなっても誰1人として発砲をすることもなければ境界を踏み越えることもなかった。

 ただじっと。心を抜かれてしまったかのようにして中央にいる2人の膠着を眺めるだけ。


「私だって現状を均衡させて未来は生まれないことを理解していた……! だがそれでも求めてくれる者たちの声を無碍むげにできなかった……!」


 うなだれて浮いた前髪の隙間から水滴が垂れて冷たい石畳を暖めた。

 毅然とした理知的な彼女はもういない。ただ1人の女として怯えている。その証拠に細い声はミナトの首を掴んでいた手と同じくらい震えていた。

 少年があれだけの成果を押し通したのだ。ここで動かずしていつ動く。


「はぁーはっはァ! ならば優しくも揺らぐ心に言い訳を用意してやろう!」


 東は颯爽と白裾をはためかせ高らかに笑う。

 ここで動けなくて大人と言えるものか。この場面で静観を決め込むのであれば上に立つ資格すらなくなってしまう。

 なによりあの勇敢な少年に顔向けが出来ない。


「もし管理棟にミナトが乗り込んで帰らぬのであれば先ほど言ったとおり俺がアンチナノマシンを打つ! 強硬策をとれば2発目の矢が放たれると同時に首謀者の死は確定する! 貴様ら穏健派は見事任を成し遂げお咎めなしをせびる権利を得るだろう!」


 活気良い声が止むと、一気にどよめきが湧いた。

 それでも東は勇ましく振る舞う。

 ハンズポケットの堂々とした佇まいでミスティを真っ直ぐに見つめる。


「死などはじめから恐れてはいないが、とはいえ命が惜しくないはずもない! だから俺はこの少年が帰ってくるという可能性に俺自身の命をBETしてやろう!」


「東ッ……貴様正気なのか? 仮に失敗し貴様が突撃すれば成功も失敗もないのだぞ? 身体は壁に触れた段階で崩壊を避けられない」


「正気ではなく勇気ある決断と言って欲しいな! それに俺が死んでも人類にはお前が残されている! だからこそ後顧の憂いなどありはしない!」


 言い切ってみせると、ミスティの麗しい尊顔がくしゃりと歪んだ。

 1人が粛々と堪えるように咽ぶ。するとその背後でも涙の滴が落ちる音が1つ2つと増えていく。

 ともなって革命派たちが牙の抜けた獣のように各々構えを下ろす。


「ミスティ……不器用! でもっ、ありがとう……!」


 少女が慌てて駆け寄りってミスティの肩を抱く。

 2人の泣きじゃくる声が艦橋地区へと響き渡ると、時待たずして穏健派たちも目尻に涙を浮かべながら次々に銃口やら武器を下げていく。

 逃げ道があるという事実を判明させた時点で戦う理由はないのだ。もし革命が失敗に終わったとして穏健派はリスクを減らす余地がある。首謀者である東が全責任を背負い突撃するならばそちらに責任を押しつけられる。

 成功すれば船は解放され、失敗すれば微かなリスクを負いながらも望んだ安寧をつづけられる。ここで革命派と殺し合うことのほうが多くの犠牲を生じさせることになってしまう。

 東は歩み寄って功労者の肩をぽん、と気さくに叩いた。


「俺たち手は空に届くと思うか?」


「届かないさ。オレもやってみたけど空すら見えなかったよ」


 ……でも。ミナトはミスティ・ルートヴィッヒの前へ静かに片膝を落とす。

 視線の高さを合わせ、僅かに白い歯を見せながら、朗らかな笑みを彼女に送る。


「もしそっちが勇気を出して手を伸ばしてくれるのなら絶対に無駄にしない。オレがその手を掴んで新しい未来へと引っ張っていってやる」


「それは、っ! 素敵な、提案だな!」


 ミスティは一瞬戸惑いを見せるも最後は花開くように微笑みを傾けた。

 濡れた蕾が花弁を広げ美しい花を咲かせる。

 そうしてミナトは付いた片膝を伸ばし立ち上がる。


「それじゃあ新しい朝に会おう」


 もう誰も止める者はいなかった。

 彼の歩みを阻んでいたはずの穏健派たちは割れるようにして彼に道を譲る。

 ミナトは迷うことさえなく階段に足をかけ、1歩1歩を刻みながら《フレイムウォール》へ歩んでいく。


「ここにいるのは全員が精鋭なんだな?」


 おもむろに1度だけ振り返ると高みから睥睨した。

 問われた東は驚愕を押しとどめ「……間違いない」そう答えるので精一杯だった。


「ならワンチャン切り札が残されてる。よっぽどこのなかに超絶に運のいいやつが混じってるんだろうな」


 ミナトは笑顔を残して踵を返す。

 そして散歩するような足どりで炎獄の如き赤き壁の向こう側へと消えていく。

 最後の別れとするにはあまりにも軽かった。あるいは、彼自身これを別れとしていなかったのかもしれない。


「……幸運を祈る、革命の剣よ……」


 東は忌憚のない敬礼でもって小さな希望の勇姿を見送った。

 すると革命派も穏健派も関係なく、この場にいる全員が1人の背に敬意を表して礼を送る。


――新しい朝、か。フンッ、言うじゃないか。


 恐れすら感じさせぬ威風堂々とした背は、幼きころによく見た背とどこか似ていた。

 いつか憧れた物語の空想を描いたかのような勇敢さがあった。



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