24話【五芒VS.】希望なき超過兵器 宙間移民船『NOAH』
ノア到着より30時間が経過した。
市街地の空を覆う偽りの青は虚偽を脱ぎ捨て真実の闇夜を透かす。
この船に昼なんて概念はなく、あるのは故郷地球の空を映したという人を騙す偽りの青だけ。
人は安寧を求め空を航行する。たとえここが光さえ奪う深淵の宇宙であろうとも、人は母の面影を空に抱きつづけていた。
「……ふぅぅ」
闇を吸って吐く。ヘルメットのシールドが僅かに曇りを帯びる。
夜の底にただ2人きりが取り残されていた。深淵のさらに深みで、互いに寄り添いながら鼓動を重ね、時を待つ。
沈黙をつづけていると耳が痛くなるほどの静寂が邪魔をしてくる。肉体の振動、心音、血流、そのすべての音が渾然一体となっていく。
「君のフレクスバッテリーのなかには昔僕が注いだフレックスが残っていたんだね」
沈黙に耐えかねたか、はたまたただの雑談か。
愛は囁きながら額をミナトの背に押しつけた。
「……。そういうことになるんだろうな」
微かな温もりが不思議と安堵を与えてくれる。
ミナトは、左腕に装着した闇の向こう側にあるであろう流線型を思い浮かべた。
「つまりこのなかには愛、さんのフレックスと一緒にこめられた血液が入ってるってことか」
恐ろしい話だ。フレックスを別の物に貯蔵するためには人体の一部が必要とは。
このワイヤー射出装置もといフレクスバッテリーには文字通り愛の心血が注がれている。
「ここまできて敬称のさんはやめてほしいかなぁ。出来れば愛、もしくは美菜って気さくに呼んでくれると嬉しいよっ」
そう言って愛は懐いた子犬のようにミナトの背へ額を押しつけぐりぐり動かす。
まるで妹が出来たような気分だ。腰に巻かれた細い腕にも力が籠もり、自然と重なった肌の感触が強く熱くなった。
ミナトは器用な天上人に勘づかれぬよう平静を整える。
「わかったよ。愛、じゃあオレのことはミナトさんで頼む」
「なんでぇ!? どうしてそんな距離取るのぉ!?」
気晴らしに冗談めかしてやった。
幼い愛の慌てた顔が目に浮かぶようだった。
溶け込み微睡むような闇のなかにふたりきりだと秒針がうるさくて仕方がない。
2人で1台に座し、刻まれる時のなかに迷い込む。
なにも気にすることはなかった。平穏とは往々にしてやがていずれ終焉を迎えるのだから。
「フレクスバッテリーとナノマシンは人類史上最悪の発明品という評価を受けているんだよ。現状を知ってもらえたのならその意味はわかってもらえてると思う」
「それは使う側が最悪だったていう話だろう。作った側はきっと文化の発展と繁栄を願って生み出したんじゃないのか」
ミナトは、この小さな科学者に罪はないことを知っている。
フレクスバッテリーへ、フレックスを送る方法は、血液に蒼をまとわせることがもっとも簡単だ。
たとえそれが人道から外れる行為であっても、悪用する側の罪であり発見した側の罪ではない。
「でも僕が発見さえしなければ……みんながこんなに苦しむことだってなかったもん……」
愛は己自身を責めつづけていることだけは確かだった。
活気の良い鈴を振るような明るさは暮れた空以上に暗く淀んでいる。
自身の親が開発に携わったALECナノマシン、そして己の開発したフレクスバッテリー。そのどちらもが今や人間を家畜たらしめている元凶となっている。
「僕にはこの戦いを終わらせる義務があるんだよ……! 僕だけは母さんと父さんの作った科学を肯定してあげなきゃいけないんだ……!」
黒のなかにぼんやりと蒼が浮かぶ。
それは愛の感情と同期するかのようだった。
パチパチ、と。火が爆ぜるが如き破裂音とともに雷光が彼女の周囲を焦がす。
「…………」
ミナト如きにこの悲運の科学者を慰める術はなかった。
どう言葉を美しく飾ろうとも彼女の覚えた罪を解消できるのは彼女自身でしかない。
――革命の成功だけが愛の心を癒やすための特効薬とはな……なら一石二鳥だ。
ちら、と。視線をずらせばシールドに刻まれた秒がもう幾ばくもないことを示していた。
刻限まではあと僅かほど。秒数が零に近づくほどに不安の雨に打たれているような気分が増していく。
『やあ我らが希望よ、昨夜はよく眠れたかな?』
ALECナノコンピューターが通信を傍受する。
音質も良くさすが最新機器と行ったところか。おかげで聞き違えるはずもない。
革命軍総司令、東の声だった。
愛の全身がひく、と跳ね、ミナトも気を引き締め直す。彼女の蒼が止むと再び暗闇が押し寄せた。
『ここに至るまでの経緯は7年ほどだ。それだけの膨大な時間がこの数時間に濃縮されていると思うと、心が
ミナトはその声に耳を傾けながら深く呼吸をして心を落ち着ける。
この決戦のためだけに新品のヘルメットが配給された。
巡り巡るとは言ったもので、これらはアザーから回収された樹皮を使用したカーボン製の防具。今こうしてまたがっている新しい相棒もディゲルたちがあくせく集めた鉱石――功績――の
汗の滲んでいないヘルメットはどこか他人の家に上がりこんだような被り心地だった。新品特有の鼻をつく匂いが独特でいまいちしっくりこない。
『お前の仕事は市街地を指示通りの順路と速度でただ走り続けてくれるだけでいい。ナビ役の愛くんのぬくもりを楽しんでいればすぐに終わることだろう』
東が含みたっぷりに言うと、背に張り付いた暖かい感触がびくっ、と動く。
「もぉ~そういうこと言うと意識しちゃうじゃん! 余計なこと言わなくていいのにぃ~!」
荷台にちょんと乗った愛が不満たらたらに唇を尖らせた。
運転手の腰に回した腕が力を僅かに緩める。
「東があんなこと言ってるからってミナトくんもあんまり僕に女を意識したりしないでね!」
――……どこのどの部分を意識すればいいんだか。
「あと失礼なことを考えるのも禁止だから!」
愛はぷりぷり喚きながらままよとばかりにミナトへ強くしがみつく。
そうでなくとも薄地のパラスーツ越しに背に当たる感触と温もりがより鮮明にきわ立った。
しかしもうミナトに動じるほどの余裕はない。
「…………」
すでに瞳からは色が褪せ、呼吸は浅く拍子は一定を維持している。
なにせここからは仕事の時間だ。慣れぬ頭部防具に電子制御の2輪。ハンドルを握るだけでいつものトライクとは似て非なる感覚を覚えるが、関係はない。
今いる格納庫のなかに光はなかった。なので意識を集中していなければシールドの向こうに広がる闇に押し潰されてしまいそうになる。
換気によって浄化された正常なる空気が肺を冷やす。蠢く闇が耳が痛くなるほどの静けさを膜の奥へ伝えてくる。背に感じる愛の温もりだけが唯一の現実だった。
249ccのバイクは沈黙を貫いたままキックを待ちわびている。目覚めの合図が掛かればいつだって唸りを上げ排気を吹蹴る状態に仕上がっている。
『これから始まるのは全長45kmにも及ぶ方舟の探索ツアーとでも考えてくれればいい。今いる場所はノアのなかでも甲板に設えられた半径15kmの居住区になる。5階層立ての最上段に当たる市街地を2つの輪っかで駆け巡れ』
東から受けた作戦指示は明快かつシンプルだった。
ミナトの役割は囮である。2輪で爆走しつつ船内に蔓延る警備ロボット――『執行者』の注意を集めるというもの。
執行者は、ノアの民にとって恐怖の対象でもあるという。人類総督兼ノアの船長でもある男が、己の身を晒さず人類を操るための兵器なのだとか。
「ちなみに市街地を抜けてスペースラインと呼ばれるトンネルに入ったらもう安全、ほぼゴールと言ってもいいね。しかもスペースラインから艦橋地区までは一直線さ」
『そこからがある意味で本番と言えるのだがな。だが手を尽くしてでもこちらでなんとかしてみせるから安心してくれ』
愛の補足に割り込むようにして東が付け加えた。
想像するだけで人類の欲望とはとてつもないものだとわかるだろう。45kmにも及ぶ移民船を完成させてなお母なる星の向こうに広がる空を欲したのだから。
そして今からその人類の希望が大いなる戦場になり果てようとしている。
「それにしても随分と手際がいいんだな。アザーのことを考えると早いに越したことはないが、まさかオレが到着して1日ていどで準備が整うとは思わなかった」
ミナトにとってこの東考案の神速戦は嬉しい誤算だった。
おかげでディゲルたちを長く飢えさせずに済む。あくまで成功すればの話ではあるが。
『穏健派側に一切の準備をさせたくなかったのでな許して欲しい。なにせやつらの中枢に立つのはミスティ・ルートヴィッヒだ。可能な限り思考させるだけの時間を与えたくない』
ミスティ・ルートヴィヒ。東の語り口からすれば穏健派側の総司令的なものだろう。
しかもあちらはすでに革命の鍵がノアに潜り込んでいるという最重要の情報すら掴んでいる。東がこうして迅速に作戦を進めたがる理由も頷けた。
『あれは賢い女だ。もし1日の猶予を与えれば100の策を考案してくるほどの知恵もので、第1次革命の際はその有能さが敵側へ猛威を振るった。それと腰が広く胸もデカいから安産型の部類に入るな』
ミナトは後半の情報を四捨五入の4以下と定めて切り捨てた。
穏健派に有能な指揮官がいるとなれば革命派側にとっては凶報でしかない。
なにせこちらの革命派閥は、2つの敵と対峙しなければならないのだから。
「敵は執行者、そして穏健派の2つか。どうやって切り抜けるかくらい考えているんだろうな?」
『はっはっはァ! ――当然だ』
そうかい。どちらにしてもミナトには、もうこの男を信じるしか道はなかった。
闇を見つめているだけだというのに、あの胸くそ悪い光景が嫌でも脳裏を過る。
薬物によって麻痺させられ規定量のフレックスを血液と共に無理矢理搾取されつづける。そんな生命を抜くという行為に道徳があるものか。
ミナトは不意にカプセルのなかにディゲルとチャチャを重ね合わせてしまう。
――ッッッ!!?
それだけで奥歯が軋みを上げた。
くそ食らえな光景に臓物が煮えて沸騰してしまいそうだった。
『はっはァ! 刻限は近いぞ! 各々装備の点検をし作戦内容の再確認を怠るなよ!』
これは未来を掴むたった1度きりの戦い。
東が通信機の向こうで声を張り上げて鼓舞をする。
『我々革命軍はついに革命の鍵を手にし未来への扉に手をかける! 真の未来を手にするのは欲張りものだ! ここにきて欲を張れない穏健派連中に目にもの見せてやろう!』
よくわきまえている男だとミナトは思う。
こうして上っ面な鼓舞でさえ与えられれば勇気が湧いて、心が沸く。
別のところへ配備されているという杏やジュンたちさえ同じくこの声を聞いて闘志を滾らせているのだろう。
これは人類が人類であることを証明する生死を賭けた大博打だ。負ければ家畜、勝てば官軍。アザーの民の命運さえこの決戦の結果によって左右されることになる。
そして間もなく、ミナトのノア到着から明日明後日の狭間となる0時00分00秒に迫っていた。
『チェック! それぞれの部隊にいるオペレーターたちは零までのカウントダウンを開始しろ!』
「カウントダウン開始するよ! ミナトくんはエンジン点火用意! 5のカウントでキックを蹴って零のカウントでアクセルを回して!」
「慣れてる! 任せろ!」
東の語気が上がれば上がるだけ物々しくなってくる。
秒針を追い越すほどに心臓が早鐘を打つ。あまりに膨れた心音が肺の膨らみを通して喉元にせり上がってくる。
「9、8、7、6、5! キック!」
「――ふっ!」
ミナトは、愛のカウントに合わせ、バイクのエンジンを蹴り起こす。
徐々にシャッターが開くと、本の頁を開くみたいに新たな物語が待っているかのよう。
馬が
そして愛の刻む声がとうとう始まりを紡ごうとしている。
「4! 3! 2ぃ! 1ぃ!」
合図を待ちかねてクラッチを絞りギアを踏む。
癖のようにクラッチを半分ほど戻してやれば、ニュートラルで空回りしていた駆動がタイヤと噛み合い車体が揺らぐ。
「
この瞬間。間違いなく歴史は動こうとしていた。
世界ほどではない規模で、人類の命運を賭けた未来を掴むための戦いが幕を開けようとしている。
「マテリアルリーダーマテリアル1ッ! リベレーター! ミナト・ティール出撃するッ!」
これは偉大なる第1歩なのだ。
虚無を彷徨い足を止めた人類が幾億の時を経て夢に向かって歩み出すための始まりの1歩。
その勇気ある者たちの集う作戦の名は――
『はっはっはァ!! プロジェクトリベレイターを開始するッ!!』
PROJECT:Revelator.
勇気ある人々だけが辿り着くことが可能な新世界ある。
死神は――人間は、勇敢なる新世界を目指して出航した。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
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