72話:最愛の人を信じてあげましょう ②
「え?」
キュゥィーンという高らかな雄叫びに反応して立ち上がると、
「無風っ?」
どうして無風が龍化しているのだ。宮殿でなにか問題でも起こったのだろうか。
最初に過ったのは
「俺、行かなきゃ……」
「急にどうなされた」
突然現れた金龍に、同じように驚いていた住職が目を丸くしてこちらを見る。
「無風が龍になったなんて、きっとなにかあったんです。早く助けに行かないと」
攻撃力の弱い自分が行っても助けにはならないかもしれないが、怪我をした人間の回復ぐらいはできる。それに大元の原因は自分だ、最悪罪人である自分が投降することで活路が開けるのなら、そちらのほうが幸いだ。
ここから聖界宮殿まで距離はあるが、住職に色つきヒヨコを預かってもらえれば術で飛んでいける。そう考え住職に声をかけようとすると、突然膝の上に乗っていた色つきヒヨコがバサバサと羽を広げ、空へと飛び上がった。
お前、怪我治ってたのか。いや、その前に飛べたのか。
すっかり親鳥がニワトリだと思い込んでいた蒼翠は思わずそう突っ込みそうになったが、その驚きは次に起きたさらなる衝撃にすべて吹っ飛んだ。なんと空に飛び上がった色つきヒヨコが、朱色の光に包まれながらどんどん膨らみ始めたからだ。
しかも、姿もヒヨコから立派な孔雀のような成鳥へとみるみる変化していっている。
一体何が起こったのだ。
見上げる位置まで飛んだ頃には金龍と大差なくなった巨大鳥を、蒼翠は呆然と見つめる。
「あれは……もしや、
「ご住職? え? は? 鳳凰?」
住職がポツリと溢した呟きに、蒼翠は素っ頓狂に驚愕することしかできなかった。
鳳凰は蒼翠の象徴とされる幻鳥であるが文字どおり幻だの伝説だの、時には空想だのと言われてきた鳥だ。しかも同じ伝説の龍と違うところは、その姿を実際に見たという者の記録が邪界の
「いや、でもあれはただのヒヨコでしたよ?」
俄かに信じられない蒼翠が否定するが、住職はすぐに首を横に振った。
「朱色に輝く体表に天色の背、そして長い五尾。あれは間違いなく幻鳥・鳳凰です」
住職が言うには以前、この寺に住んでいた
「鳳凰……」
まさか伝説の龍に続いて、鳳凰まで目の当たりにするとは。蒼翠が見上げたまま唖然としていると、色つきヒヨコ改め鳳凰は南の空に浮かぶ金龍を呼ぶかのようにヒュゥゥィーと羽をはばたかせながら鳴いた。
するとその鳴き声に気づいたのか、金龍が鳴き声で呼応しながらこちらに向かって飛び始める。
「無風っ?」
無風がこちらにやってくる。それが分かった途端、頭の中からすべてのことが弾け飛んで、湧き上がった歓喜だけが残った。
これからのこととか、心無い者たちの悪意だとか、もうどうでもいい。
早く無風に会いたい。無風に触れたい。
ああ、やっぱり自分は無風が好きなのだ。
蒼翠は堪らず駆け出す。
「無風っ! 無風!」
金龍が山寺の近くまでやってくると蒼翠は両手を大きく振り、声の限り無風の名を叫び続けた。するとほどなくしてその声が届いたのか、こちらをチラリと見遣った金龍が蒼翠のいる広い境内を目がけて急降下を始める。
金龍は地上に近づくにつれゆるゆると龍体を小さくさせ、その姿を人の形へと戻していく。
そうして降り立つころには完全に蒼翠の知る凛々しい無風になり――――。
「蒼翠様っ!」
蒼翠は瞬く間に、柔らかく高貴な白檀の香りに包まれた。
無風、と名を呼べば背中に回された腕の力がひとしきり強くなる。少し痛かったが、今は無風をより感じられて嬉しかった。
ずっと無風とこうしていたい。
「蒼翠様……お会いしたかったです」
「俺もだ、無風。ごめんな……心配をかけて」
「いいのです、貴方様さえご無事なら」
無風は勝手に宮殿から出て行ったことを咎めもせず、ただ一心に再会できたことだけを喜んでくれた。やはりどこまでも優しい男だ。しかも触れた場所から感じる温もりや鼓動からも、無風の抑え込めない熱い気持ちが伝わってきて、それだけで頬が自然と緩んでいく。
無風の身体がこんなにも饒舌だったなんて知らなかった。今だったら鈍い鈍いと揶揄られていた自分でも、深く愛されているのだと分かる。
もう、なにもかもが嬉しくて愛おしい。
無風への想いが込み上がりすぎて、涙が出そうだ。
「無風……愛してる」
「蒼……翠、さま?」
「今日まで待たせてごめんな。俺、意気地なしだから将来のこと考えると不安になったり、俺のせいでお前が悪く言われたりすると堪えられなくなったりしたけど、やっぱりお前の傍にいたい。一番近くにいて、お前のこと支えたい。だから……」
自分は
無風への気持ちは誰にも負けないつもりだから。
「お前と一緒に生きる道、選んでもいいか?」
「蒼翠様……もちろんです……っ……私には、蒼翠様しかいません」
耳に届いた無風の声は、感涙で詰まっていた。そんな無風の背を優しく撫でていると、やんわりと抱擁が解かれ、蒼翠は真摯な瞳に見つめられた。
「愛しています、蒼翠様。私は一生、貴方様のお傍から離れないと、天に誓います」
無風の唇がゆっくりと降りてくる。
口づけされた場所から唇の温もりがどんどん伝わって、心臓が一瞬で炙られた。全身の血が沸騰しているのではないかと思うぐらい、身体が熱くて、早鳴りする鼓動の音が耳にまで届いてくる。
きっと今の自分の顔は、サンザシ飴より真っ赤になっているだろう。
少しして唇を離した無風が、こちらを覗きこんで微笑んだ。
見つめ合うと余計に愛しさが溢れてきて、またすぐに無風にくっつきたくなってしまった。
もう大丈夫。何も怖くない。
確信を得た蒼翠は一度深く息を吸い、そして吐き出すととびきりの笑顔を見せ「一緒に幸せになろう」と無風を抱き締めたのだった。
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