70話:山の寺

 


 かなり歩くだろうと思ったが、まさか到着が真夜中になるとは思わなかった。しかも山の道は想像以上の急勾配で、運動不足が自慢になるような生活をしていた蒼翠そうすいには地獄そのものだった。

 


「や……っと、ついた……」



 ようやく目的に辿り着いた蒼翠は、両肩が大きく上下するほど息を切らしながら門前の階段に腰を下ろす。

 控えめに言って体力が底をつきた。

 許されるならこの場で大の字になりたい。

 


「はぁーーー疲れたぁーーーー」

 

 

 とりあえずここまで諦めずに登ってきた自分を褒めてやりたいし、誰かに褒めてほしい。

 なのに。

 


「……なのに、お前は爆睡かよ」

 

 

 蒼翠の腕の中にいる相棒は、すやすやと気持ちよさそうに寝ている。怪我で体力を消耗しているせいか、単に図太いだけか。



「はぁ、もういいよ。とりあえず中の人呼んでみるか……」



 こんな真夜中に訪ねても開けてもらえないかもしれないが、もし反応がなかったら明日の朝までここで座って待っていればいいと、蒼翠はダメもとで木門を手で何度か叩いてみる。

 そうしているとほどなくして門の奥からかんぬきが外される音が聞こえて、蒼翠はホッと安堵する。

 


「こんな時間にどうなされた、旅の方よ」



 中から出てきたのは、寝衣の上に素朴な茶の羽織りを着た老年の住職だった。真夜中に来た不審な訪問者にもかかわらず、怪訝な顔など一切見せず理由を聞いてくれる。



「夜分に急な訪問、申し訳ない。下の森で怪我を負った鳥を見つけたんだがどうにも回復術が効かなくて。ご住職に知恵と、もし可能なら薬草を少し分けて貰いたくてここまで来たのですが……」

「なんと、下の森から来なさったのか?」

「このあたりではここしか建物が見当たらなかったもので。変わった色の、それも見たこともない鳥だが深刻な病なら一刻も早く治してやりたくて……」



 腕の中ですやすやと寝るヒヨコを差し出すと、住職はふむふむと傷を眺める。

 

 

「一見、普通の傷のように見えるがね……とりあえず中でじっくり見てみることにしよう。旅のお方もお入りなさい」

「え、いいんですか? 俺、どう見ても不審者ですけど……」

「脆弱な生き物のためにここまで歩いて来られた。それだけで旅の方が心のお優しい方だと信じられる」

「そういっていただけるとありがたい。実を言うともう全身ヘトヘトで……」



 ハハっと笑いながら門の奥へと入っていく住職の後に続きながら、蒼翠はふぅ、と安堵の息を吐く。

 無風のもとにいてはいけないと勢いで飛び出てしまったが、どうやらヒヨコのおかげで今夜の寝所を確保できそうだ。

 しかし、それはそうと。



「無風、大丈夫かな……」



 きっと今頃、蒼翠が突然消えたことを知って驚いていることだろう。本当ならならちゃんと話し合って、婚姻の話を断ったうえで宮殿を出るべきであっただろうが、無風に弱い自分は「ここにいて欲しい」と懇願されてしまったら絶対に突っぱねることができなくなる。

 

 

 ――本当は俺だって……。

 

 

 無風に愛されたい。そして同じぐらいの愛を返してあげたいし、男だとか立場だとか全部無視して二人で幸せになりたい。それぐらい無風のことが好きだと、ちゃんと自覚してる。

 けれど二人はもう愛や恋だけではどうにもならないところまで来てしまったのだ。



「ごめんな……無風」



 弱くてごめん。逃げてごめん。

 誰にも伝わらない声でそっと謝ると、不意に無風の温かな微笑みが浮かんできて鼻の奥がツンと痛んだ。視界も水の膜が張って、景色がぼやける。


 だめだ、無風のことを思い出すと泣いてしまいそうだ。蒼翠は住職に悟られないよう静かに鼻を啜ると、無風の残像を無理やり頭の中から追い出してから夜道を進んだ。



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