66話:★


 白龍族はくりゅうぞくは善良で慈悲深い者が多いと、ドラマではいつもそう語られていた。

 西で水害が起こればすぐに軍を派遣し救済にあたり、東で飢えが起これば食料を持って駆けつける。そういった善行を息を吸うようにできる仁徳のある種族。それが白龍族。

 けれどだからといって全員が全員、仏の心を持っているわけではない。それを蒼翠そうすいが悟ったのは清澄の泉へ続く道を歩いていた時だった。




「もしかして、あの人が噂の?」

「そうそう。黒龍族こくりゅうぞくの皇子ですって」

「え、皇子ってことは、冷酷非道で自分の妃すら気に入らなければあっさり殺すっていう邪君じゃくんの血を継いでるってことだよな」



 不意に聞こえてきた悪意を横目でちらりと覗くと、歩く蒼翠を見つめる複数の姿が映った。



 ――うーん、やっぱそういう感じになるよなぁ。



 蒼翠は怒りを露わにすることなく、逆に仕方ないと乾いた笑いを浮かべる。

 白龍族にとって蒼翠は異物でしかない。だからこうやって悪意を向けられることは、すでに想定済みだ。




「しかも皇太子殿下とは歳も離れているそうよ」

「ああ、知ってる。皇后に逃がされた幼い殿下を攫って、従者としてこき使ってたって。その時は成人に近い年齢だったらしいぞ」

「大人が子どもを惑わせるなんて……あまり言葉にはしたくないけど、黒龍族にはそういった趣味があるのかしらね」

「大昔は同じ種族だったとはいうが、我々とは随分と違うんだな」


 

 いやいや、確かに無風を拾った時の蒼翠の年齢は十八歳だったはずだから十二年離れているが、そういったことを目的で連れ帰ったわけではない。というかこの世界に来た時にはもう無風は屋敷に攫われていたのだから、文句を言うなら本物の蒼翠に言ってほしい。

 もちろん、それが無理なことは十二分に分かってはいるが。

 

 しかし、それなりの誹謗中傷は受ける覚悟はしていたが、ここまで露骨だとは思わなかった。

 

 

 

 ――ってかあれ、絶対に聞こえるように言ってるよな。

 ――あーあ……こんなん見せられて、もしも奇跡が起きて葵衣あおいに戻れた時、純粋な気持ちで金龍聖君こんりゅうせいくんが楽しめなくなりそうだよ。

 

 

 白龍族はいい人だって信じてたのに。

 ここで言い返せば無風の名前に傷をつけてしまうため我慢はするが、ドラマファンとして切ないことこの上ない。

 

 

 ――ここはさっさと退散して、人気のないとこに行くしかないな。

 

 

 話を聞いているだけで精神をやられてしまう。とりあえずここは夢を壊される前に逃げてしまおうと、歩く速度を早める。

 けれど。

 

 

「でも、新しい殿下も少々難ありだな。将来の聖君せいくんゆえあまり悪くは言いたくないが、突然戻ってきて即位したかと思ったらいきなり邪界に乗り込むわ、黒龍族の男を皇太子妃にするなんて言い出すわ……」

「そうだな。いくら過去に蟠りがあるとはいえ、皇太子として常に大局を見極めて貰わねば困る」

「まぁ、お隠れになった前の皇太子殿下のように幼少期から適切な教えを受けず、黒龍族の生き方を長年見てこられたお方だ、我々の考えを理解しろというのが難しいのかもな」

「同性の皇子に懸想するのも、黒龍族ならではのことなのか?」



 やはり生まれた際、忌み子だと言われただけはあるなと、話していた一人が小さく笑う。

 皇太子に対する誹謗は聖君へのそれと同じ。たった一言でも不敬に値することぐらい分かりきっているはずなのに、悪意の塊たちは控えることをしない。



「本当にあの者を皇太子に据え置いて大丈夫なのか? 今は聖君健在ゆえに不安はないが、いつかこの国の長になった時、育ちの国である邪界の属国になるなんて言い出さないか不安だ」



 これにはさすがに手が勝手に拳の形になった。

 無風がそんなことするはずないだろう。誰よりも誠実で、常に他人のことばかり思いやる心優しい男が、人々の苦しむ選択を選ぶはずがない。それなのに憶測だけで無風を悪者にするなんて。

 

 今すぐ、あいつらを殴り飛ばしてやりたい。

 

 怒りが瞬時に頂点まで昇り、我を忘れそうになる。が、同時に脳裏に無風の笑顔が浮かび、蒼翠は拳を強く握ったまま耐えた。



 ――だめだ、我慢しろ。



 今ここで蒼翠が憤慨しても連中は自分たちの言葉が間違いだと認めはしない。それどころか「だから黒龍族は……」「こんな粗雑な種族を招き入れた皇太子は……」とさらなる悪意を生み出すだけ。

 心の底からむかつくけれど、ここで手を出してはいけない。できることはここから離れることのみ。

 蒼翠は腹立たしさを足音に変え、場を離れる。そうして人影のない場所へと向かったのだが。

 


「……っ……」



 途中、その足が不意に止まった。

 


 ――俺が、あいつの足枷になってるんだよな……。

 

 

 あんな噂が立つのは自分が聖界ここにいるから。逆に自分のようなお荷物がいなかったら今頃無風は皆から称賛を浴びていたはずだ。

 

 不動だったはずの無風の栄光を、自分が汚してる。

 

 その事実を認識した途端、背筋がぞっとするぐらい冷え上がった。そして同時に全身から血の気が引いていくような 恐怖も覚えた。

 本能が警鐘を鳴らす。

 これはただの噂話で終わるような簡単なものと考えてはいけないと。



 無風が立っている場所は、絶対的に揺らがない強固な聖域に見えて、実は酷く脆い場所だ。

 王座はいついかなる時も狙われるものだと、ドラマで何度も見てきた。

 

 もし無風への悪意が膨らみ、邪悪な奸計に姿を変えたら。

 もしそれを密かに王座を望むような悪辣な者の耳に入ったら。

 もし――――無風が命を狙われたら。


 

「っ……!」


 

 ただの憶測なんかではなく、十分にありえることだ。その証拠に、今まさに白龍族の人間が善人ばかりではないことを目の当たりにしたではないか。



 

 ――やっぱり、俺は無風と……。

 

 


 無風に愛していると言われたことは心から嬉しく思っている。もちろん婚姻も、そして子どもも。

 だから心の中で覚悟が決まったら、その時は無風の気持ちを受け入れようと考えていた。

 けれど。

 

 ――無風と一緒になってはいけないんだ。

 

 そう、強く思った。

 

 今なら。今ならまだ無風は引き返せる。

 生まれた場所で、惜しみない愛情を与えてくれる両親や伝説の龍化を喜んでくれる臣下たちに囲まれる。そんな憂いのない人生を送ることが無風の未来にとって一番だとするなら、無風の師である自分の役目は間違った道から真っ当な場所へと戻してやること。

 

 

 ――そうだ、俺はあいつの元主人であり師であり……誰よりも金龍聖君が好きな中国ドラマオタクなんだ。

 

 

 強くて格好よくて優しい。正義の名のもとに悪を打ち払い、世界に平和をもたらす誰もが憧れる完璧な主人公。

 それが万人が愛する、葵衣が愛する無風の物語。

 無風にはいつだってキラキラと輝いた存在でいて欲しい。


 

 だからこそ、強く思う。



 この物語に蒼翠じぶんは要らないのだと。

 





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


66話:★大好きな人のために身を引きましょう

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る