第8話 今日の寝床は
外にでても、そこは元居た世界ではなくカエデにとっては異世界のままであった。その見慣れない景色が強く意識づけさせている。
空腹を抑えられ、一時の幸福感を味わったと言えども現実は変わらなかった。
「あーあ、今日はどうすっかな」
大きく伸びをしながらブレンが言う。食事をして徐々に表れつつある眠気を追い払うかのような長い伸びだった。
「なにがですか?」
時計を持ち合わせていないので、今が何時なのかは分からないが太陽の明かりは徐々に弱くなってきている。
(あれ?)
空を見上げるカエデが何か異変に気が付く。普段の生活でもそうだがまじまじと空を見上げることはほとんどない。それと同様にこの世界に来ても特段気にすることでもなかったため今まで気が付かなかった。
(なんか、空にもう一個丸いのがある)
すでに建物の高さで隠れてしまうほどには太陽は傾き始めている。しかし、それとは違う物体がカエデのはるか頭上に見えたのだった。それは、少し横長につぶれたような形をしているがカエデの目からではそれがなにかまでは視認できなかった。
「今日の報酬がなかったからな。飯代だってマイナスだ」
ブレンは腰に手を当て落ち込むように首を落とす。疲れて切っているかのように見えるそのしぐさは、生活の不安定さを示すものだ。
ギルドにいるときは、報酬がでないことへの理解があまりにも欠けており、それがどれほど重要なことか全く理解できていなかったカエデだが、ここにきてそれがいかに絶望を示唆することが分かった。
命を懸けて働いてきたにも関わらず、その見返りがないのであれば生きていくこともできない。
この国厳しさをカエデの身に畳みかけるように続く。
「ごめんなさい。私この国のお金持ってなくて」
先ほどの食事も当たり前のように食べてしまったが、カエデはこの世界の通貨は持っていない。それでも、その時は何も文句を言わずに払ってくれたブレンに申し訳なさけなさを感じている。
ブレンや店主の口ぶりは自分ひとり生きていくのでやっとというものだった。それにも関わらず、カエデの分も出すということは、ブレンの寿命を一日分減らしていることと同義である。
「そんなこと嬢ちゃんには期待してない」
きっぱりと言うブレンは、カエデを連れていることに一切後悔はないと含んでいるようだ。
ブレンにとっては、訳の分からない少女に命を救われ、それが今ひよこのように自分の後ろをついて歩いている。その程度の認識のようだ。
しかしながら、少女の力を目の当たりにしていて誰よりもその実力を認識しているがために、自分のために少女を連れている反面もある。
「とりあえず今日の寝床に行くか」
なにかの区切りをつけるかのように「よし」と言った後にブレンは再び歩き始める。
それが自身に向けられていることを認識するとカエデもブレンのいく方向に歩みだす。
「お家に帰るんですね」
後ろを歩くカエデは寝床という言葉だけに反応してそう聞き返す。外に出たら家に帰る。それは少女にとってごくごく当たり前のことであった。
「馬鹿かお前。そんなもんあるわけないだろ」
「え?」
それは、今までのように鼻で嘲笑う訳でもな呆れるでもなく、ただ少女の言うことに否定するだけだった。
少女の常識はブレンの非常識である。すでにこの少女が異世界から来たことはブレンは確信できているであろう。それはあまりにも見た目、透けて見える生い立ち、常識などがブレンが知っているものとかけ離れているからだ。
始めは城内の少女が反抗期がてら抜け出してきて、馬鹿にされているのだと思っていただろう。しかし、今ではそれは誤りだと認識されている。
「この国で自分の建物を持っている奴なんて、さっきのオヤジみたいに店をやっている人間か、裕福な家計の人間だけだ。お前と行ったギルドに来てるようなやつらだって家を持っているようなやつは誰もいやしないよ」
ギルドには数多くの人がいた。それでも、全員があの場にいたとは考えにくい。そうなると、とんでもないほどの人数が家もなく、その日暮らしの生活をしていることになる。
一時的にはそういった状況に陥ることもあるだろうが、これをみるにそれは当たり前のことのようだ。
「じゃあ、どこへ?」
「辛うじて雨風は防げる所かな」
「な、なるほど」
簡潔なブレンの返答に戸惑うカエデであった。このやり取りだけでは、一体どんなところかは全く想像ができないであろう。壁や屋根があり布団で寝ることは当たり前のカエデにとっては、今まで以上に不安を覚えることであった。
「嬢ちゃんは帰る場所はあるのか?」
「えーっと」
普通であれば、なんらおかしな質問ではない。むしろ元の世界にいるのであればそんな質問をする方が変な人だと思われるであろう。
「あると言えばありますけど、現実的に行けないといいますか」
どうやって元の世界に帰れるのか、そもそもなぜここに来てしまったのか分からない少女からしてみればどうやっても答えられない質問であ。
「ふーん。そうか。じゃあ、一緒に来るか」
その曖昧な返答を予想していたかのようにブレンがカエデを誘う。
「はい!」
「嬢ちゃんが今までどんな所で寝泊まりしてたか分からんが、贅沢は言うなよ」
まるで子供は贅沢だと言わんばかりの言い草だが、ブレンにとってはお荷物でしかないカエデのことをここまで面倒を見てくれている時点で文句など出るはずがなかった。
もしも、ブレンと合わずに一人でこの世界に放り出されていたら食事すらできずに、ずっと迫りくる異物と戦い続け命を落としていた可能性もあった。
「大丈夫です!」
その言葉を聞いたブレンの口元は少し笑っていたようだった。
カエデはすれ違う人達を横目で見ながら、ブレンの背中を追いかけるように歩く。舗装されていないでこぼこ道を歩くことにすら慣れていない少女が、よそ見をしながら歩いているため、何度も転びそうになりながら着いてく。
ブレンの背負う剣の立派を見ると、この世界で生きることの過酷さがうかがえる。
「ここだ」
カエデの記憶をたどるのであれば、それは食パン型や馬小屋のような長方形のような形をした建物であった。しかも、それが何棟が並んでいて、ブレンの言っていた通りまさしく「雨風はしのげる場所」であった。
「一応中は細かく仕切りがあるから」
ブレンに着いていき、入ると真ん中が通路になっておりその両端に板で区切られた部屋がずらりと並んでいる。ところどころ、布で入り口がふさがれている所があり、どうやらそこにはすでに人が入っているということらしい。
「嬢ちゃんは物音に敏感なほうか?」
「私体育館で寝泊まりしていたことがあるくらいなので大丈夫です!」
「そうか、じゃあいつものところでいいや」
そう言ってブレンは入り口のすぐ右側の部屋に入る。
「ここは、俺たちみたいな荒くれものがせめてもの寝泊まりできる場所をっていうんで作った場所だ。だから料金はかからないし、部屋の場所も決まっていない。ただ、なにがあったとしても自己責任だけどな」
中は意外にも広くブレンとカエデが一緒にいるのに十分なスペースだった。さっそくずっと背負っていた体験を壁に立て掛け座り込む。多少なり、人が生活しやすいようにか、ちょっとした物を置く場所なんかもあり、外から見たよりも中は充実していた。
「入り口のそばだから人の出入りとかで人の気配をずっと感じるが、まあ慣れれば大したことじゃない。それに奥の方は空気が循環しないでよどんでるし、何かあったときにすぐに外に出られない。だから俺はいつも決まってこの位置なんだ」
たしか、入る前から多少なりものが置いてあったり、寝るための藁が置いてあるなどブレンの普段の生活が垣間見える場所であった。
「嬢ちゃんがもう少し強そうに見えれば、一緒じゃなくても隣の部屋でもよかったんだがな。隣で騒がれたら俺の安眠にも影響するから、まあ我慢してくれ」
「いえいえいえ、全然大丈夫ですしむしろ嬉しいです!」
ブレンの普段の定位置であろう場所の対角線上にカエデはちょこんと座った。カエデにとっては学校での林間学校を思い出すところだが、そこと比べるにはあまりにも原始的であった。
「この場所は普段から俺がいることは、ここにいる連中は分かっているから変に絡んでくる奴はいないよ」
多少なりの不安はあるものの、目の前の女が自分に襲い掛かってくることは無い。この場所は異物が急に出現する場所でもないようなので命の心配はいらない。
そうなれば後は自身がこの場所を受け入れるだけだ。しかし、存外図太い性格をしているカエデにとってはそれは、それほど難しいことではなかった。
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