第7話 カウンセリング開始
数日後。
その日はやってきた。
かっちゃんから連絡があって、保健の先生と話がついたそうだ。だから相談に応じてくれる事になった。
返事が来るまでの僕は香奈とは何事もなかったかの様に、普段と変わらない付き合いをしていた。
寧ろあの出来事がまるで無かったみたいな、よそよそしくもなく、普段の香奈だった。
僕は少しだけ拍子抜けをしてしまった。
香奈もちょっとは、様子が変わるものだと勝手に思い込んでいたから。
女心は秋の空、だっけかな?
香奈もそんな風に思っているのかな? と不安を覚えた。
わざと普通に接してくれているのか、何も動揺もしていないのか、さっぱり分からなかった。
だからかえって僕の方が、余計に不安になってしまう。
我ながら情けない。
僕は小さい人間だとは思っていたけれど、こんなにも酷いなんて。余計に自分自身に対して、自信がなくなった様な気がする。これもかっちゃんからすれば、
「考え過ぎだ。バーカ」
って、切り捨てられるんだろうけど。
とにかく今日は授業が終了次第に学校を出て、かっちゃんの通う高校に向かわなければならない。
かっちゃんから借りた替えの制服も、カバンの中に入っている。
どこかの公共施設かショッピングモールのトイレで、急いで着替えなければ間に合わない。
僕は香奈に
「今日は用事がある」
という事を早々に伝えた。
香奈は何も疑わずに承諾してくれた。
下手な嘘をつくのは嫌だから、アルバイトという単語は使わなかった。
でも用事と伝えている時点で、そもそも嘘をついている事には変わりはないのだが。
授業終了のチャイムが鳴った。
僕はホームルームを無視して、そのままカバンを持って教室を飛び出した。
かっちゃんの高校へ向かう途中にちょうど公民館があったので、そこのトイレを使わせてもらった。
かっちゃんの高校の制服に着替える事が出来た。
けれど着替える際に、一番手間取ってしまったのがネクタイだった。
何故ならウチの高校もブレザー制服で、ネクタイがワンタッチ式。
だけどかっちゃんの高校の制服は普通のネクタイ。つまりワンタッチ式ではないのだ。
一応ネクタイの締め方はネット検索をして練習はしていたけど、いざ本番となると指先が思う様に動かない。慌てている証拠。
何とかキッチリ締める事が出来た時に、スマホが鳴った。
かっちゃんからだった。
「おう、今何処にいる?」
「えーっと、公民館のトイレを出るところ。今やっと着替え終わったから」
「そっか。とりあえずウチの高校の目の前に、コンビニがあるから。そこで待っているよ。公民館からだとそう時間は掛からないだろう」
「うん。ありがとう」
僕は通話を切ると、急いでかっちゃんの高校に向かった。
「おう、意外と早かったな」
そりゃあ、全力で走ってきましたもの。
待ち合わせでギリギリとかって嫌いだから。
「ご、五分前行動が、ま、待ち合わせの、その、基…本なんで……」
「肩で息してるじゃねえか。それと、何で敬語?」
「いや…その、脳に酸素が……」
「そっか、ほらよ」
かっちゃんは僕に缶ジュースを放り投げた。
僕はプルトップを引き開け、慌てて喉に流し込む。
水分補給は十分出来た。
呼吸も、少しずつ整ってくる。
飲み干したジュースの空き缶を、コンビニのゴミ箱に捨てる。
「よーし、それじゃあ行きますか」
「う、うん」
僕とかっちゃんは、コンビニを離れた。
かっちゃんの通う高校は流石というべきか、私立の進学校ということもあり立派な建物だった。
「随分キレイな校舎だね」
「あぁ、何でもリフォーム工事を三年前にしたらしい。だから立派に見えるのかもな。その金はどこから算出したのか、進学校とはいえど怪しさ満載だぜ」
かっちゃんはそう
僕はかっちゃんに連れられて正門からではなく、裏門から校庭に入った。
正門には常時警備員がいるらしく、裏門は殆ど生徒は使っておらず教師たちが車通勤で通るぐらいだという。
しかもこの裏門から保健室までの距離は、とても近いとも教えてくれた。
「もう目と鼻の先まで来てるぜ」
かっちゃんが指を差した。
僕はその方向を見る。
分厚いカーテンが閉め切っている。どうやらその場所が、保健室の様だった。
既にカーテンを閉め切っている時点で、十分あやしい気がする。
だから敢えて聞いてみた。
「何で…カーテンが閉め切っているんだろう? 如何にも怪しい雰囲気を、醸し出している感じがしない?」
「バーカ。考えてもみろよ。ここは私立校だぜ? ここの生徒ならまだしも、他校の生徒が無許可で来るってなれば、プライバシーとかを配慮して、ああするしかないだろう。いいか? 俺が確かに周に提案したさ。これも一応ダメもとで提案したんだ」
「えっ? そうなの?」
「当たり前だろう、んで保健の先生に相談してみた。そしたら意外にも困っているのなら、って今日の場を設けてくれたんだ。だからお前がここに来るって事も、もちろん他の教師は知らない。知っているのは、俺とお前と保健の先生だけ、って事だよ」
それを聞かされて、僕は身震いした。
親友のかっちゃんになんて事をさせてしまったんだ。
よくよく考えてみたら、かっちゃんにとんでもないリスクを背負わせてしまっている。
それに僕の相談に乗ってくれると、承諾してくれた保健の先生にも。ここは私立学校、しかも進学校だ。
こんな事が表沙汰になったらかっちゃんも、その先生もどうなるか分からない。
こんなご時世だから、きっと厳しい処罰が下されるに違いない。こんな行動は許されるものじゃない。
今になってとても軽率な行動を取ってしまった事に、僕は気付いて狼狽してしまった。
「かっちゃん…ゴメン。やっぱり止めよう。僕が悪かったよ。こんな行動はやっぱり良くないよ。バレたらきっと大問題になってしまうよ。ただでさえ、進学校だっていうのに……」
するとかっちゃんは、僕をジッと見据えてこう言った。
「お前、何も変わってねぇな。そういうところ、嫌いじゃないぜ。だけどな、親友がマジで相談してきたんだ。俺だってカッコつけてぇじゃねぇか。カッコつけさせろよ」
悪戯っぽく、いつもの様にニカッと笑い、僕の腕を引っ張ってカーテンが閉め切っている保健室と思われる方へと強引に連れていかれる。
保健室の前。
サッシの向こうは分厚いカーテン。本当にこの向こうに、人がいるのか分からない雰囲気だ。
そんな風に様子を伺っていると、かっちゃんは平然とサッシをノックした。
「先生、連れてきました」
するとサッシの向こうから、カシャッという音がした。その音と同時にかっちゃんはサッシを引き開けた。
「ほれ、入れよ」
かっちゃんは靴を脱いで、分厚いカーテンの中に消えていく。僕も慌てて靴を脱いで、カーテンの向こうに入って、サッシを閉めた。
「先生、すみません。無理を言って。こいつが俺の親友です」
保健室の中は薄暗かった。そりゃそうだろう。カーテンで閉め切られているのだから。
中は意外に広くベッドが3床あり、カーテンで仕切られている。
簡単な怪我の治療台も設備してあり、綺麗に整頓されている。
まるで病院の一室のような感じだ。さすが私立の進学校。
そしてその隣にテーブルがあり、そこに先生と呼ばれる女性がいた。
「あなたが周くん?」
僕に緊張感を与えない為なのか、その声はとても優しく聞こえた。僕の母さんとあまり歳が変わらないぐらいの女性だった。
「周、こちらの方。保健の
「克己くん、そんな風に持ち上げないで。スクールカウンセラーもやってる、ただの一介の保健の先生よ。本当にヨイショが上手なんだから」
多湖先生はケラケラ笑う。
「いや、本当の事を言っているだけですよ」
「そう? それならそれでありがとう。でも心理学なんて、当てずっぽうみたいなものだったりするわよ。
「あの……」
僕は多湖先生に、どうしても聞きたい質問を投げかけた。
「どうして他校の生徒の相談を、聞こうなんて思ったんですか? しかもここ、私立の進学校ですよね? もしバレたりしたら、大問題になってしまうんじゃないですか?」
すると多湖先生は、そうねぇ、と呟くと、
「でもね、そもそも教師って生徒が悩んでいたりすれば、相談に乗る必要性もあってもいいと思うの。私は一介の保健室の先生だけれど、児童や生徒、未成年者には正直に真っ向に向き合うのが大事だと思っている。最近の教師は本当に体裁ばかりを気にして、生徒に正面からぶつかる事も少なくなったわ。PTAや、教育委員会から、睨まれたくないからね。もし、こういう形ではなくて、外で会って相談なんか乗ったりしていたら、それだけでも問題になる、このご時世。困っている子供たちを救える事が出来ない大人が、如何にも多いって事なのよ。だから私は私のやり方をしているだけ。こんな思想だから今、一介の保健の先生にをしているんだけどね」
多湖先生は、あっけらかんとした表情で、まるで何も悪い事をしていないというスタンスでいる。
「なっ、変わった先生だろ?」
かっちゃんが小声で呟く。
「あっ、悪口を言ったね?」
「いや、言ってないですよ」
かっちゃんと多湖先生が、ふざけ合っている。
正直、こんな保健の先生、っていうかそんな大人を見た事も聞いた事もない。だから敢えて聞いてみた。
「あの、他の教師や生徒が、今日ここに来る可能性だってありますよね? 本当に大丈夫なんでしょうか?」
僕は外部の人間だ。ここの生徒でもない。
だからこれだけは、ハッキリとさせたかった。
「大丈夫、今日は誰もここには来ない。安心して」
「その根拠ってなんですか?」
本当に大丈夫なのか、その答えが知りたかった。
だから少し、意地悪な質問ばかりしている。
「克己くんの言う通りの子だね。中々、警戒心が強いようね。だけどここに来たのは、周くん自身の意思よ」
そうだ。
ここに来たのは僕の意思だ。
意地悪な事ばかり聞いているくせに、妙に心の内に響いた。
「そんなに警戒しないで。大丈夫だから。ここには誰も来ないわよ。それに守秘義務もあるから、それは約束するわ」
それを聞いた途端、さっきまでの脅え、不安がスッと消え去って、僕の中で安心感を覚えた。
多分だけどこの多湖先生なら、信用してもいいかもしれない。
そう思えたのは会話の中で、ひとつ僕は学習したからだ。
それは弱さだ。
僕は自分自身に自信が持てないでいる。だから警戒心が生まれる。余計にこじれる。
そんな自分が嫌いなくせに、香奈の事は好きだ。
自分を肯定できないくせに、人を好きになる資格なんてあるんだろうか。
いつも思わない様にしていた。
虚勢を張っていた。
知らず知らずに、僕は自分に嘘をついていた。
多湖先生と話しているうちに、自分の心が揺れ動く感じがした。まるで何もかも見透かされているかの様に。
だったら、多湖先生の前で、虚勢を張っても無駄だ。
僕は弱い。
誰かに助けて欲しかった。
だからここに来た。
まずはその事実を、ちゃんと自分自身で受け止めなければならない。
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