第6話 香奈、暴挙に出る

 結局明確な答えは出ないまま、わたしは茉子の家を後にして家路に着いた。

「ただいまー」

「おかえりなさーい! ねぇ、ねぇね、今日は何で遅かったの?」

 出迎えてくれたのは10も歳の離れた妹、莉奈だった。

「ごめんね、遅くなっちゃって。ご飯は食べたの?」

「食べたー」

 莉奈と一緒にリビングに向かうと、ママがわたしの夕飯の準備をしていた。

「おかえり、茉子ちゃんちに行くって言った割には、随分早かったわね。もう少し遅くなると思ったけど」

 ママの言う通り、茉子の家に行くと、大体帰りが遅くなる。

 普段だったら夜の九時とかに帰ってくるんだけど、今日は7時ちょっと前に帰ってきた。

「ねぇね、今日は遊んでくれる?」

 そういえば昨日テスト明けだったから、莉奈と遊ぶ約束をしていた。

 でも、どうしよう。

 少しだけ、パパが帰ってくる前にママと話がしたい。

 玄関にパパの靴がなかったから、まだ仕事から帰ってきてはいない。

「それじゃあ、一緒にお風呂に入って遊ぼうか?」

「うん、そうするー」

 莉奈はお風呂に入ると、すぐに眠くなる。その隙に、ママと話せるかもしれない。

 わたしは準備してくれた夕飯を早々に食べて、莉奈と一緒にバスルームに向かった。

 出てきた時には、莉奈はもう眠そうな目をしていた。

 莉奈の歯磨きを手伝ってあげて、2階のわたしと莉奈の部屋に連れていった。

 その頃にはもう半分くらい寝ていた。

 可哀相な事をして後ろ髪を引かれる思いでもあったけど、莉奈をベッドに寝かしつけたら、わたしはリビングに戻った。

 ママはテレビを見ている。

 わたしは時計を見る。

 夕飯に莉奈とお風呂、逆算してもパパが帰ってくる時間にはまだ間に合う。

 わたしはママに…いや、ママだからこそ今日の事を相談してみようと思った。

 ママだったら、絶対にパパには秘密にしてくれる。

 それに今日の事をもしパパを含めて話してしまったら、パパはきっといい思いはしないと思う(いや寧ろ話せる訳がない)。

 わたしなりの配慮だ、と自分に言い聞かせる。

 ママに相談するのもどうかと思っているけど。

「ママ、ちょっとだけ真面目な話があるんだけど、いいかな?」

 ウチの家族が『真面目な話』というキーワードを口にすると、テレビを消してソファからテーブルに移って、話を聞く態勢になるのはウチの暗黙のルールだ。

 ママは何も言わずにテレビを消して、テーブルに向かった。

 わたしもテーブルに向かって椅子に座る。

「どうしたの? 何かあった?」

 ママとわたしは対面にいる。

『真面目な話』をする時の目をしている。

 それを確認するとわたしは、覚悟を決めて今日あった事をママに話した。

 わたしは𠮟られる覚悟で、周との出来事を話した。

 だけどママは意外にも冷静で、わたしに微笑み優しく話をしてくれた。

「なるほどねぇ。香奈にもそういう時期が来たんだねぇ」

「怒らないの?」

「だって相手は周くんでしょう? あの子だったら私は大歓迎よ。今時にしては、珍しく良い子だと思うんだけど?」

 意外だった。

 公認ではあったけれど身体の関係の話をしたら、絶対に𠮟られると思っていた。

 パパもママも言い方は悪くなってしまうけど、口では公認と言っても周自身の事をどこまで考えてくれているのか、わたしは正直疑っていた。

 疑っているくせに、相談するわたしも如何いかがなものかと思ってしまうけど。

 特にパパの方だ。

「パパが周くんの事をどう思っているかは、直接聞いてみないと分からないけど、交際については賛成しているみたいよ」

 以前そんな風に匂わせる様な事を口にしていた。

 直接パパに周の事をどう思っているか、わたしは自分で聞いたことがない。

 全てママ伝手つてだ。

 聞くのが怖かった、というのもある。

 わたしなりの配慮だけど、こういう時の父親って娘が連れて来る彼氏を、あまり快く思わないって聞く。

 小学生までだったら良かったかもしれないけど、中高になるとまた捉え方は別になるんじゃないか、と思ってなるべくパパがいない時に周を自宅に招き入れていた。

 それぐらいわたしは疑っていた。

 やっぱりパパがいなくて良かった。

 とりあえず今は、ママの言う事を信じよう。

「それじゃあ、ホントの意味で、付き合う事を公認してくれていたんだ」

「もちろん。それに香奈は小さい頃から言っていたじゃない? 忘れちゃった?」

 えっ? わたし、何か言っていたっけ?

 小さい頃?

「わたしは、好きになった人と、ずっと一緒にいるんだって。もう耳にタコが出来るぐらい、しつこいぐらいに言っていたじゃない」

 わたしは驚いてしまった。

 小さい頃からそういう考えを持っていたのは確かだけど、まさか口に出して言っていたなんて。全く覚えていなかった。

「わたし、そんな事、言っていたっけ?」

「言っていたわよ、本当にしつこいぐらい。でもまさかウチの娘がそんな事を親に相談するなんて。普通に考えたら有り得ない事よ。本当に全く」

「ごめんなさい」

「だけど、これだけは約束しなさい。今日だけよ、そういう相談は。それから、もしまたそんな場面になっても、ちゃんと避妊はしなさい。いい? それだけは誓ってね。だからこの話は、今日で最初で最後。いいわね?」

 わたしは大きく頷いた。

「本当に勝気なんだから。周くんも苦労するわね、誰に似たんだろうねぇ。香奈はもう少し、おしとやかになりなさい。良い教訓かもしれないわね、最後まで出来なかった事は」

「えっ? どういう事? わたしの性格に問題があるって事?」

 するとママは、プッと吹き出して笑う。

「冗談よ、冗談。それでえーっと、何だったかしら?」

「だから最後まで出来なかったって事。何でなんだろうって思って」

「そうねぇ……ママが思うには、2つぐらい理由があると思うんだけど」

 わたしは前のめりになった。

 その理由を早く教えて欲しかった。

 人生の先輩でもあるママに。

「お願い、教えて。パパが帰ってくる前に」

「そうね、パパが帰って来たら、この話は出来ないからね」

「早く教えて」

「そう急かさないの」

 ママはゆっくりと、テーブルの上に両手を握って置いた。

「まずは周くんがまだ、覚悟が出来ていないと悟ったのかも。真面目で大人しいでしょ? 周くんは。それにあの子、奥手な気もする。まだ早かったって悟った、っていうのがまず一つ」

 わたしは固唾を飲んで、更に前のめりになっている様な気がした。

 何だか、自分の気持ちが焦っている様にも思えた。

「二つめ。これはとても重要よ。聞く覚悟は出来ているかしら?」

「えっ、そんなにヤバいの?」

 ママが真顔でそう言うものだから、わたしは耳を塞ぎたくなった。

「って、そこまで重要な事でもないんだけどね」

 とまたママにからかわれた。

 わたしはママを睨みつける。こっちは真面目な話をしているっていうのに。

 もしかしたらわたしの性格は、ママに似たのかもしれない。

 こういう真面目な話をしている時に、ちょいちょい冗談を入れてくるところ。

 誰に似たんだか? 

 ママに似たんだよって、言いたくなってしまった。

「ママぁ……」

「ゴメンゴメン。ここからはちゃんと話すわね」

 わたしは怒りを抑えて、溜め息を吐きながらも深呼吸して、少し冷静を取り戻した。

 その姿を見て、ケラケラと笑うママ。

 相談した相手を間違えたかもしれない、と一瞬思ってしまった。

 親に対して、こんな話をするむすめもどうかしている。

 そのどうかしている娘はわたし。後悔している直後に、ママはこう言った。

「2つめはね、香奈。あなたの事を周くんが、とても大事にしているって事よ。これはなかなか凄い事よ」

「凄い事なの?」

「そうよ、香奈ぐらいの年頃の男子なんて言い方が悪いかもしれないけど、みんなサルみたいなものよ。覚えたてのサルと一緒。だけどね……」

 ママは一呼吸置いた。

「そのぐらいの年頃で、まれに最後まで出来ない子っているみたいよ。それは男の子であろうと、女の子であろうと関係なく、ね」

「何で? たった今、ママはそのぐらいの年頃の男子は、サルみたいなものだって言ったじゃない?」

「だから稀に、、、って言ってるじゃない。さっき男女関係なくって言ったけれど、特に男の子に多いみたいよ。理由は凄く簡単。好きすぎて、大切にしたい、大事にしたいって想い、中々踏み出せなくなる、って」

 意味が分からなかった。

 好きだからこそ、繋がりたいとわたしは思う。

 心だけじゃなくて、身体も求めてしまう。

 特に周に関しては、ハッキリ言って必死かもしれない。

「よく分からない……ママの言っている事が分からなすぎて、全然頭に入ってこない」

「そうね、分かりにくいかもしれないわね。でもね、これだけはハッキリしているわよ。香奈は、周くんにとても大事にされている。愛されている証拠よ。いい? 周くんの立場で考えてみて。人を好きになるって凄い事。周くんは、それをよく知っている、と考えてみて。好きだから嫌われたくないし、大事にしたいって想いが強くなって。結局、心が優先されて性行為そのものが出来なくなる。ここが重要なのよ」

「つまり……どういう事?」

「ママが香奈にこんな事を聞くのもどうなんだろうって思うけど…香奈は周くんと付き合っているでしょ? つまり周くんと初体験するのなら、周くんが最初って事でしょ?」

 わたしは思わず、あっ! と、声を上げてしまった。

「しーっ! 莉奈が起きたらどうするの!」

「ごめんなさい……!」

「やっと正解に辿り着いたみたいね。そういう事よ。香奈が初めてなら、周くんは傷付けたくないはず。その辺はやっぱり周くんの方が上だったみたいね。好きだから簡単にするって訳じゃないって事かもよ。って、やだわ。娘になんて事を助言してるのかしら。何だか恥ずかしいわ」

 わたしも何となくだけど、分かってきた様な気がする。

 それだけでも十分、安心感が出てきた。

「ありがとう、ママ」

「もうこの話は終わりね。わかった?」

「うん、だけど……あと一つだけ質問していい?」

「もう……しょうがないなぁ、本当にこれが最後よ?」

「ママはどうして、そんなに詳しいの?」

 この質問をしたけれど、ママは結局答えてくれなかった。

 っていうか、はぐらかされた様な感じもする。

 とにかくママは、

「娘が親にそんな相談をするなんて、前代未聞だわ」

 と言って最後に、

「どちらにせよ、健全なお付き合いをしなさい。まだ未成年なんだから」

 そう付け加えて、この話を強制的に終了させた。

 結局どこからその知識を知ったのか、わたしには分からずじまいだった。

 そうこうしているうちに、パパが帰ってきた。これでもう、わたしは何も聞く事が出来なくなった。

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