7月7日『天の川』

 しとしとと弱い雨が降っている。


 東家あずまやの中で長椅子に腰かけ、今朝から降り続いている雨越しに庭の花を眺めていた。紫陽花という花が特に綺麗で目を惹かれる。


 ……本当は写真を撮りたかったけれど、カメラは高級品。母国の城に、あるにはあったけれど、個人の都合で持ち出すことはできなかった。


 あーぁ、写真に残したかったなぁ。


「ティア、溜め息ついてどうしたのさ」


 着物姿で傘をさしたラビン師匠が東家にやってきた。


「師匠。華子さんに頼まれていた用事は終わったんですか?」

「うん。呉服店に残っていた古い資料本の解読をお願いされただけだったから。文字や言葉は時代と共に変化していくものだけど……。僕にとってつい最近の文字が、今の人には大昔のものだっていうからびっくりだよ。時の流れは残酷だなぁ」

「……師匠、あなたいったい何歳なんですか」


 思わず冷静な声でツッコんでしまった。

 本当に、この人はどれだけの歳月を生きているのだろう。


「歳は内緒、だよ」

「それ前にも言ってましたけど……。そもそも自分の年齢覚えてるんですか?」

「…………」

「忘れたんですね」


 師匠の笑顔が引きつっていたので、もう色々と察した。それだけ長生きしている、ってことか。

 まあ、誕生日は覚えているようだし、私としては師匠の誕生日をお祝いできればいいので別に支障ないけど。


「そうだ。さっきの溜め息はなんだったの?」


 あからさまに話題を変えようと、師匠が話を戻した。

 年齢の件はこれ以上深掘りしても仕方ないので、溜め息の理由を話すことにした。


「今回の異世界旅行にカメラを持ってきたかったなぁ、って悔やんでいたんです。故郷こきょうの城にカメラはあったんですが、高価な物なのでさすがに持ち出せなくて。あの紫陽花とかすごく綺麗だから、本当は写真を撮りたかったんです」

「カメラかぁ。僕は持ってないし、和の国でもカメラは貴重な品だから、それなりの価格だろうし……。うーん」

「あ、いや、いいんですよ!買わなくて!手元にあったところで上手に撮れるともかぎりませんし!?」


 慌てて両手を振って弁明する。

 カメラを買って欲しくてこの話をしたわけではない。


「綺麗なものは目と心に焼き付けておきますから、大丈夫です!」

「そう?」

「はい!」


 力強く返事をして何回も頷いた。私のわがままで、師匠の財布を軽くするのは心苦しい。


「じゃあ……。カメラを買わない代わりに、今夜綺麗なものを見せてあげるよ」


 師匠は妙案を思いついた、というように手のひらをぽんっと叩いた。



 ◇ ◇ ◇



 夜になって、師匠は魔法を使った。雨雲を吹き飛ばす魔法だった。

 厚い雲が流れ去った後、空を見上げれば無数の星が帯状に輝いている。


「これ……!天の川ですね!」


 呉服店裏側の母屋の縁側に、私と師匠と、華子さんや店員さん達が集まっていた。

 食べ物や飲み物も用意されていて、各々座って談笑し楽しんでいる。ちょっとした宴会状態だ。


 和の国にも天の川があるんだなぁ、と私が縁側に座り見上げていると、


七夕たなばた伝説には天の川が深く関係していてね。織姫と彦星は天の川を挟んで普段は離れ離れになっているけれど、七夕の夜に晴れれば、二人は会えるんだ」


 ラビン師匠が隣に座って解説してくれた。


「晴れないと、どうなるんですか?」

「曇りだったら二人が隠れて会っている、という解釈かな。雨だったら二人が嬉し涙を流している、とか。諸説あります、ってやつだね」

「なーんだ。どのみち二人は会えるんですね。それなら良かったです」


 ふふっと、安堵から笑ってしまった。師匠も微笑んでいて、


「でも、どうせなら晴れた夜空を……綺麗な天の川を、ティアに見せたかったんだ」

「ありがとうございます。この天の川は、記憶に焼き付けておきますね」


 和の国の景色を写真に残すことはできないけれど。

 思い出と一緒に心に残れば、私には充分だった。

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