7月5日『線香花火』
「ん〜、おいしい!」
午後のお茶の時間、ラビン師匠と着物を着てカフェに来ていた。和の国の言葉で甘味処と呼ばれている店だ。
私が一口食べて感動したのは、白玉クリームあんみつ。師匠が食べ方を教えてくれて、黒蜜というシロップを好みでかけて食べるものだとか。
他の具材についても色々解説してくれたがよく分からなかった。分からなかったが、とにかくおいしい。
ひと言で表現すれば甘い、なのだけど。甘さの種類がいくつもあって、繊細で上品な食べ物だな、と思う。
うーん、村のヘレナおばさんにも食べさせてあげたい。帰ったら再現できるかなぁ。
「あんみつ、気に入ったみたいだね」
向かいの席で師匠は机に片肘をつき、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべている。
「はい!とてもおいしいです。師匠が食べていたのは、ぜんざいって言うデザートでしたっけ?」
「そう。冷製ぜんざい、だね。冬は温かいぜんざいを食べるのが一般的だけど」
「へぇー。温かいタイプもあるんですね〜」
和の国の食事はどれも目新しくて、それでいておいしい。
……この国にずっといたら、確実に太っちゃうな!
あんみつを食べ終えてお茶を飲む。砂糖もレモンも入れないこの緑色のお茶にも、最初は驚いたものの。和の国二日目にしてすっかり慣れていた。
店内が混み合ってきたこともあり、お茶を飲み終えると店を出た。師匠が会計をしてくれて「今回の旅行では、ティアにはお金を使わせないからね」と、有無を言わさない笑顔で宣言されてしまった。
いや、まあ、異世界でのお金事情とか、別世界の硬貨や紙幣の種類なんて分からないし、それはそれでいいんだけれども。ちょっと不満というか不服というか。
慣れない着物と履き物のため私に歩幅を合わせてもらい、師匠と二人でゆっくり歩く。
昨日からお世話になっている呉服店へと戻る道すがら、私は交渉を試みた。
「ラビン師匠。今日じゃなくていいんですけれど、ヘレナおばさんや自分用にお土産買いたいなーって考えてるんですが!」
「うん。いいんじゃない。ティアには珍しいものがたくさんあるだろうし、この国を出る前に買い物していこうか」
「で、お土産代くらいは私のお財布から」
「ダメ」
「ちょっとおぉぉ!最後まで言ってないんですけど!?」
「今回の旅費は全部僕持ちだから。これは決定事項だよ。そもそも、ティアはこの国のお金持ってないでしょ」
「あ」
それもそうだ。
私の所持金は、母国のものと師匠と過ごした国のもの。当たり前だが、この国の通貨ではない。
師匠は駄々をこねる子供に言い聞かせるように、私へ話す。
「異世界のお金を替えてくれる両替商はそう滅多にいないよ。僕が事前に用意しておいたから旅費は大丈夫。気遣いは不要だからね」
「うぅ……」
交渉は見事に失敗した。
◇ ◇ ◇
「深淵様、雫様、おかえりなさいませ。甘味処はいかがでしたか?」
呉服店に戻るとすぐに女性店主の華子さんが出迎えてくれた。
深淵様、はもちろん師匠のことで、私は雫と呼ばれている。
この国の人には、ティア、という発音がどうにも言いにくいようで。なら、雫と呼んでもらったら?と師匠が提案してくれた。
そんな
「あんみつ、すごくおいしかったです。今まで食べたことのない優しい甘さでした」
「まぁ、お口に合って良かったですわ。お薦めしたあの店のあんみつは、わたくしも好んでいますの」
ふふふ、と控えめに笑いながらも華子さんは嬉しそう。
女性はスイーツ好きが多い、というのは世界や国が違っても共通なのかな。
「そうだわ、深淵様。いただきものの線香花火がありますの。よろしければ今夜、雫様とご一緒に楽しんでくださいな」
「線香花火か、いいね。ありがたく貰おうかな」
「では、
「あぁ、頼むよ。ティア……雫には、浴衣を着付けてあげてくれる?今の
「承知しました。後で離れの方にお持ちいたします」
師匠と華子さんが和やかに談笑しているので、
……線香花火って、何?
◇ ◇ ◇
夜、夕食を済ませてから借りている部屋で華子さんが浴衣を着付けてくれた。かわいい花柄で「この時期に咲く朝顔という花ですよ」と教えてもらった。
師匠も隣室で浴衣に着替えてきて、華子さんに見送られ二人で東家に向かう。
「これが花火、ですか?」
用意されていたのは思っていたよりも小さくて細長い花火。
線香花火って、私が知ってる花火と全然違う。てっきり打ち上げ花火を想像していたんだけど……。これは手持ちの花火みたい。
師匠から渡された線香花火が物珍しくて、しげしげと見つめる。この細い花火からどんな形の火花が出るんだろう?
「ティアは、線香花火は初めてだね。先に僕がやってみようか」
手順が全く分からないので素直に頷いた。
師匠は東家の片隅に置かれた道具を確認すると、慣れた手つきで準備していく。手元が暗いので和の国のランタン、
「こんなものかな。では、花火に火をつけるよ」
師匠は線香花火の
「わぁ!綺麗!」
やがて四方八方に火花がぱちぱちと散り始めた。夜の闇の中で光の花が咲いているみたい。
でも、火花は次第に勢いを失い、ものの数十秒で消えてしまった。
「あれ?もう終わり?」
「うん。線香花火は儚いものだから。ティアもやってごらん」
師匠は燃え尽きた線香花火を水を張ったバケツに入れてから、私に場所を譲ってくれた。
見よう見まねでやってみる。線香花火の端を持って、蝋燭から花火先端の火薬に火をつけて……。よし、ついた!
わくわくうずうずしながら小さな火球を見つめていると、ふっと空気の流れを感じた。そして、火球は火花を出す前にポトッと地面に落ちた。
「……え」
「風で落ちたみたいだね」
呆気にとられている私に、冷静な師匠の声。
「え、えぇ!?風って、いや、たしかに吹きましたけど、あんなに微かな風で!?」
「線香花火は風に弱いからねぇ」
「いくらなんでも弱すぎでは!?」
「そこがいいんだよ。儚いからこその魅力ってやつかな」
師匠は腕を組んで頷きながら、しみじみと感慨に浸っている様子。
うーん。その意見は、分かるような、分からないような。
気を取り直して、今度は風が止んでいる時を見計らい、線香花火に火をつけた。今度は火花がぱちぱちと出るところまでいったけれど。
「あ」
ちょっと手元を動かした拍子に、また火球は地面に落ちていった。
「……ラビン師匠。私、線香花火に嫌われている気がするんですが」
「そんなことないよ。ティアは初めてで慣れていないだけさ」
師匠は苦笑しながら、線香花火を長持ちさせるコツをいくつか教えてくれた。
何本もの線香花火を消費し残り数本となったところで、やっと火球が落ちることなく火花を楽しむことができた。
和の国の花火は繊細で奥が深いと、この夜学んだのだった。
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