7月4日『滴る』

 私とラビン師匠は、白い霧が漂う草原にいた。


 遠くは見通せないが、あちらこちらに扉がある。木製だったり、金属製だったり、色も形もさまざま。

 扉だけがポツポツと点在していて建物などは無い。


「ここは相変わらず不思議な空間ですね」

「ティアは世界の狭間はざまに来るの、これで四回目だっけ?」

「はい。とはいえ、一回目の時はまだ幼かったので、うろ覚えですけどね。あの時は師匠が一緒でしたよね?」

「うん。僕がティアの国まで迎えに行ったんだけど、あの時君は半分寝ていたからねぇ……。ちなみに、異世界を渡る方法はいくつかあるよ。でも、僕はここを経由するのが性に合っていてさ。目的の世界が明確に分かっていれば、鍵がなくてもたどりつけるし」


 師匠は草原を見渡して、楽しそうに言った。


 そう、ここは世界の狭間。扉の先にはさっきまでいた世界とは違う、異世界がある。

 私がここに来るのは、自分で魔法を使った先一昨日さきおとといぶり。


 扉の数だけ異世界があるのだろうけれど、霧のせいもあって、この空間の果てが見えない。


「扉、いったいいくつあるんでしょうか?」

「さぁ?昔、数えたことはあるけれど、ゆうに百は超えていたよ」

「百!?」

「ただ、ここに長居しているのはあまりよくないんだよね」

「どうしてですか?」

「この世界の狭間っていうのは、長時間いると迷ってしまうんだ。自分が行くべき世界が分からなくなって、最悪の場合、意識が朦朧もうろうとして自我を失う。よほど強い魔力と意志がないと、この空間に留まることは危険な行為なんだよ」

「…………」


 これから楽しい異世界旅行に行くというのに、物騒な話を聞いてしまった。

 師匠はニヤリと笑って私を見た。


「扉の数、数えてみる?」

「いいえ!結構です!またの機会、に!?」

「あはは。まあ今回は行き先が決まっているから、ここの探索はいいか。向こうの方に扉があるはずだから」


 師匠はレザーリュックを背負い直して歩き出した。私も肩掛け鞄を持って後を追う。

 こんな霧の中なのに、師匠は進むべき方向が分かっているようだ。


 ちなみに、大きい旅行鞄は移動には邪魔なので、師匠が魔法で別次元に収納している。


「どうして、目的の世界の扉があっちだって分かるんですか?」

「一度行ったことがある世界は、なんとなく分かるよ。扉から世界ごとに異なる微量な魔力がもれているしね」

「んん?魔力なんてもれてます?ていうか、世界によって魔力って違うんですか?」


 私は故郷こきょうの世界と、師匠と過ごした世界、二つを知っているけれど。

 魔力の違いなんてあったかなぁ?


「魔力は世界によって質が違うよ。もっと言えば、同じ世界でも場所によって変わってくることもある」

「そうなんですか」

「魔力を持たない人には些末さまつなことだろうけれどね。さ、着いたよ」


 師匠が立ち止まった先には、木製の四角い扉があった。上半分は格子状になっている。


「えーと、ここは引き戸だったっけ」


 そう話しながら師匠は扉をスライドさせた。なんだかクローゼットのような開け方だなぁ。

 スライドさせた分、もともと扉があった位置からは光が差し込んでいた。眩しくて向こう側はよく見えない。


「じゃ、行こうか」


 師匠は躊躇ためらうことなく、光の中へ進んだ。私も、若干緊張しながら足を踏み入れた。



 ◇ ◇ ◇



 サァァ、と雨の音が聞こえる。

 いつの間にか閉じていた目を開けると、木で作られている柱と屋根だけの小さな建物に私達はいた。


「ちゃんと着いたみたいだ。東屋あずまやの下を目標地点にしておいてよかったよ」


 師匠の言葉から察するに、この建物はあずまやと言うらしい。雨はしっとりと降っていて、屋根からは水滴が次から次へと滴る。


「ここは、今は調和を重んじている国で、通称は和の国」

「今は?」

「そう。以前はかなり派手な戦争をしていた国なんだ。今となっては昔の話だろうけどね。ティア、ちょっと手を出して」


 師匠はローブのポケットから何か取り出した。

 私が差し出した手のひらに載せられたのは、一対のイヤリングだ。見覚えのある、綺麗な水色の宝石がついている。


「これ、ブルートパーズのイヤリングですか?」

「そう。知り合いの魔法具師に作ってもらったんだ。翻訳機能と護身魔法付きのイヤリングだよ」

「翻訳機能?そんな便利な物があるんですね」

「今回は短期間の滞在で、この国の言語を習得する時間もないからさ。本当は、その国のことを知るには公用語を覚えた方がいいんだけど。そのイヤリングは旅行中、寝る時以外は着けていてね」


 説明しながら師匠は自身の耳にもイヤリングを着けている。深い緑色の宝石があしらわれたイヤリングだ。


「ラビン師匠のイヤリングも、同じ機能付きですか?」

「いいや。僕はこの国の言葉が分かるから、これはただの目印」


 目印、の意味が分からない。

 私が首をかしげて疑問符を浮かべていると、


「僕が深淵の魔法使いである目印なんだ」


 師匠は微笑んでそう言った。



  ◇ ◇ ◇



 先ほどまでいたのは、どこかの家の敷地内だったようで。

 傘を広げて、師匠に先導され向かったのは、


「こんにちは。店主はいるかい?」

「はい、わたくしです。あら?その耳飾りは……、深淵様ですね!曾祖母から伝え聞いております」


 白壁に瓦屋根の、着物という種類の服を扱っている店だった。

 店内には着物や反物が並んでいる。物語で読んだ東洋の国の様子そっくりだ。


 四十代に見える着物姿の女性店主はとても嬉しそうな笑顔で、


「わたくしの代で深淵様にご来店いただけて光栄です。お連れの方は、お弟子様で?」

「あぁ、そうなんだ。今日を含めて六日間、滞在したいのだけれど、離れを借りられるかな?あと、この子はこの国は初めてでね。着付けと身の回りのことを手助けしてくれると助かるんだが」

「かしこまりました。すぐにご用意させていただきます。深淵様はあちらの者に案内させますね。お弟子様はどうぞこちらへ」


 こうして、私と師匠の和の国での滞在が始まった。

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