第439話 ここより『神ノ木の里』

 次の日。

 祝日にも関わらず母は仕事へ行き、あたしはカレンさんを待った。

 バイクのレンタルをしてから来るので少し時間がかかるらしく、持っていく物の準備を整える。


「スマホにサイフと一応充電器……」


 バイクの後ろに乗る形となるで、持っていける荷物はバックに入る程度。それでも必要なモノはそんなに多くない。


「後は――」


 彼に渡す予定のチケットはバックにではなくポケットに入れる。すると、外にバイクの音が聞こえて、スマホにカレンさんから連絡が入った。


“下に居るよ。行こうか”


 あたしは荷物を持って家を後にする。






「リンカ。大丈夫?」

「大丈夫」


 結果として出発したのは昼前で、街を出る前に手頃な店で食事を済ませる。

 バイクの前に立てたスマホの位置情報に従って、カレンさんの運転は迷い無く彼の元へ向かっていた。


 あたしは、後ろに座ってカレンさんの腰にしがみつく様な姿勢で町並みの減る景色を感じながら、彼に会った時にまず何を言おうかをずっと考える。

 建物も車も少なくなって来た田舎道の途中で、バイクの速度は少しずつ落ちて行く。


「カレンさん?」

「少し休憩しようか」


 そう言って、空間のある路肩へ止まるとあたしは後ろから降りて、カレンさんはスタンドを立てる。そしてヘルメットを取ってから降りた。


「ふいー。もう半分は行ったねぇ」


 スマホを見ながらカレンさんは残りの道程を確認する。あたしは未だに返せない彼からの着信履歴が残るスマホを見た。


「前、リンカが風邪を引いた時あったじゃん?」

「え? うん」


 横に座って、飴を口に咥えたカレンさんは唐突に話を始める。


「あの時にアヤが一度来たんだ」


 カレンさんが言うには、アヤさんは彼に会いに来たらしい。しかし、タイミング悪く、彼は既に会社へ戻った後だったので空振りに終わったとか。


「その時にLINEを交換したんだけどね。色々と話を聞いて、ケンゴの許嫁ってわかったの」

「…………」

「黙ってたこと、怒ってる?」

「ううん。そんな事ないよ。これは……あたしが乗り越えないと行けない事だから」


 いずれは遅かれ早かれこうなったのだ。誰も悪いワケではない。


「アヤは良い子だよ。でもね、どこか自分の宿命? みたいなヤツに囚われる感じがあってね」

「宿命?」

「なんか、ケンゴとの結婚は必要なプロセスみたいな、そんな感じ」

「……」


 それでも、彼はそんなアヤさんを変な眼で見ること無く受け入れるだろう。

 彼がそう言う人だから、あたしはずっと好きなのだ。


「……渡したくないなぁ」

「お、良いねぇ。その粋だよ。アヤは良い女だけど、あんたの方がケンゴとの関係は長いんだからさ。アイツは見た目じゃなくて、人の中身を見る」

「……でも、胸は比べるよ」

「それだけはマイナス点だよねぇ」


 男ってのはどうしようもない生物だよねー。とあたしはカレンさんと笑い合った。


 休憩を終えて、バイクは一直線に田舎道を進む。曲がりくねった山道を越えて、その看板が見えて来た。






“ここより『神ノ木の里』”


「見える? リンカ」

「うん」


 エンジンをかけたまま、一度停止するカレンさんは橋の上にある看板を見て、あたしに聞いてくる。ここに彼が居る――


「ナビは相変わらず山ん中を指してるなぁ」


 そう呟くカレンさんはバイクを規定速度で進ませつつ“神ノ木の里”へ入った。その際に道の脇に『進入禁止』と書かれた看板が避けられているのが眼に入る。


 里の中は至って平凡な民家が並び、何の変哲もない田舎の様に見える。人気も少なく、バイクの音がやたらと大きく聞こえる。

 カレンさんは一旦バイクを止めた。


「静かだねぇ」

「……うん……」


 雰囲気がおかしい。なんと言うか……張り詰めた緊張感から解放されたような……そんな感じだった。


「……人の気配がないなぁ」

「とにかくGPSのトコまで行って見ようか」

「うん」


 あたしは再びカレンさんの腰に掴まると、


「兄貴、タレとか全部持った?」

「おう。と言うか、家中の調味料かき集めたわ」


 先の一軒家から、兄妹らしき二人がバッグを肩にかけて家から出てきた。

 すると、遠目でも凄い美少女とわかる女の子の方がこちらに気がつく。あの子……確か――


“シズカはイトコだからね”


「あ! イトコさん!」

「あ! 雑誌の人じゃ!」


 あたしと彼女は同時に声を上げた。雑誌の人?






「小鳥遊静夏と言います」

「竜二です。シズカの兄やってます」

「鮫島凛香です」

「音無歌恋ねー」


 リンカとカレンは、遭遇した小鳥遊兄妹と挨拶を交わす。


「わっわっ! 凄いぞぉ! 兄貴! 雑誌の人じゃ! やっぱりでかいのぅ!」

「お前……“男”が女人おなごに面と向かってソレ言えばセクハラじゃからな?」

「あの……雑誌とは?」


 リンカがそう聞くと、ちょっと待っててな! とシズカはどたどたと家の中へ入り、すぐに戻ってくる。


「これ!」


 それは夏に撮った『谷高スタジオ』の特別号。シズカはリンカの載ってるページを開いて見せた。


「名前は雑誌に載ってないけど、ゴ兄に聞いたんじゃ! リンカさん! 握手して!」

「え? う、うん。いいですよ」


 リンカは握手をするとシズカは可愛らしく、ひゃー、と声を上げる。


「ちょっと聞きたいんだけどいい?」

「なんです?」


 シズカはリンカとの接触に一杯一杯なので竜二がカレンと話をする。


「この里って『神ノ木の里』であってる?」

「そうですよ」

「ここまで入ってきて、見かけたのは君たちだけなんだけど」


 道中にすれ違った店やガソリンスタンドにさえ人は居なかった。田舎とは言え、まだ閉まる様な時間帯じゃない。


「ああ、今公民館に皆集まってるんです。先日まで色々と大変で……」

「あ! そうじゃ! 兄貴! 早く公民館に戻らんと! その後にじっ様の様子を見に行かんと!」

「じっ様もゴの兄貴も無茶したからなぁ。二人ともホント、生きてるだけでも儲けモンだよ」


 と、行こうとするシズカの肩をリンカは掴み止める。


「ちょっと待って! 貴女の言う“ゴ兄”って――」

「鳳健吾って人の事?」


 リンカとカレンの問いにシズカと竜二は顔を見合わせる。


「二人はゴの兄貴とどんな関係で?」






 カレンはバイクを押しながら竜二と共に公民館にやって来た。そこでは、本当に賑やかな声が聞こえて、里中の人間が集まっている様だ。


「おお! 竜二! 遅いぞ!」

「ちゃんと持ってくるモンは持って来たじゃろな!」

「蔵も全部開けろい!」

「はいはい。蔵はじっ様の許可を取ってからな」


 竜二はシズカから受け取ったバッグを、母親の楓に手渡す。


「竜二、その後ろん人は?」

かか。彼女は音無歌恋おとなしかれんさん。ゴの兄貴に会いに来たんじゃと」

「ケンゴにか?」

「こんばんは。唐突にすみません」


 カレンはバイクを公民館の横壁に立て掛けるとヘルメットを脱いでから挨拶をする。


「うぉぉ! べっぴんじゃ!」

「竜二! どこで引っかけて来たんじゃ!」

「外の女人おなごじゃ!」

「都会人って感じがするのぅ!」

「やかましいジジィ共ですみません」

「あはは。別に気にしてませんよ。こう言う雰囲気は好きなので全然」


 そう話をしていると、公民館の奥からエプロンを着けたアヤが顔を出した。


「楓おば様。少し見てもらってもよろしい――カレンさん?」

「やっ、アヤ」


 知り合い? と不思議そうに楓と竜二から視線を向けられる中、カレンはアヤへ軽く手を上げた。






「あそこです」


 リンカはシズカと共に里の中でも特に山中にある母屋へ向かっていた。

 道中になにやら血痕などがあり、物騒な様を連想してしまう。


「それ、動物の血です。この辺りは野生動物が多くて」

「そ、そうなんだ」


 彼はこんな環境で育ったのか……。と少しずつ知れるケンゴの生い立ちに、何だか違う彼を見る様な気がして少しだけ不安になる。


「じっ様ー。ばっ様ー? 居るかー?」


 玄関門を抜けて開きっぱなしの戸を覗く様にシズカは声を出す。

 その間、リンカはのそりと現れた、ドーベルマンの大和に少しビクついた。凄い迫力だなぁ……と大和に感嘆していると、


「おんや? どうした、シズカ」


 奥からトキが現れる。


「ばっ様。ゴ兄にお客さん」

「鮫島凛香と言います」


 リンカは慌てて一礼した。






 突然の訪問にも関わらず、トキのお婆さんは快くあたしを向かえてくれた。

 色々と話したい事はある様子だったが、あたしの目的をシズカさんから聞くと、縁側で柄にもなく黄昏ておるで背後から押し付けてやってくれや♪ と言われて愛想笑いをしつつ、室内から縁側へ。


「……」


 オレンジ色の夕焼けが差し込む縁側に彼が背を向けて座っていた。どうやら中庭から顔を寄せてくる犬を撫でている様だ。


「ばっ様。シズカが誰かお客さんを連れて来たんか?」


 そう言って振り向いた彼は――


「……え? リンカちゃん? なんでこんな所にいるの?」


 そう言う彼はいつもと変わらない様子であたしに驚いていた。

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