第380話 後悔するんだから!

「もはや、これは必然ですよ! まさか、こんな所でケイさんに出会えるなんて!」


 ケイさ~ん。とナチュラルにハグしようとした新次郎の顔面に七海はアームロックをかけて止める。


「何でテメェがこんな所に居るんだよ……」

「俺の力が必要って事なんです。痛てて。やっぱりケイさんの握力は最高だなぁ!」


 その言葉に前に怪我をさせた事を思い出した七海は、パッとロックを解く。


「次にセクハラ紛いな事をしたら、ブタ箱行きだ」

「俺はケイさんの嫌がる事は死んでもしませんよ!」


 じゃあ、今すぐ消えろ、と七海は思ったが更に拗れる事になると察して言うのを止めた。


「え……コエ。あの人って天月新次郎?」

「みたいだね」

「誰だ?」

「オリンピックの代表選手だ、社長。世界記録保持者でもある」

「私も名は聞き及んでいます。とても実績のある方ですよ」


 一時は時の人でもあった新次郎の登場に場は騒然としていた。






「天月からは新次郎か。俺はお前が来ると思ったがな。久遠」

「お久しぶりです。ゲンさん」


 車を止めた直後に飛び出した弟を追って久遠も公民館の敷地へ入ると、持ち直したゲンに声をかけられた。


「アイツは親父の逆鱗に触れましてね。今、爪弾き中ですよ」

「本人は屁でも無さそうだな」

「恋の方が優先ですからね。アイツは」


 彼女が新次郎の想い人か、と久遠はケイを見る。明らかに毛嫌いされている様子からも弟のようなタイプは好きではないのだろう。

 しかし、それは新次郎の持つ肩書きよりも、本人の本質を見ての対応である様だ。良い女性だが……道は険しそうだな。


「新次郎を頼みます。俺はジョーさんに挨拶へ行きますので」

「おう」


 どんな形にせよ、今を楽しそうにしている弟を見て、久遠は笑うと『神島』の母屋へ車を走らせた。






「なるほど。事情は分かりました! 俺がケイさんの側につきますよ! これで三対三になるでしょう!」


 新次郎は場の面々と自己紹介を終えてそう言い放つ。

 状況の説明を一通り聞いて全てを理解。ピッと親指を自分に向けてると、七海に向き直りキラッと歯を見せて笑った。


「そーかーよ」

「そんな嫌な顔になるほどに絶望的なのですか! 俺に任せてください!」


 お前が原因だ。お前が! と七海は言い出しそうになったが、名倉から言われた“親しき仲にも礼儀あり”の文言が頭を反響し、怪訝な眼を向けるだけに留める。


「ふ……いくら新次郎さんがそっち居ても! 何も変わらないわよ!」


 ユウヒの強がりな言葉。七海は新次郎の事は一旦、脇に寄せてユウヒにニヤけ返す。


「おー言うじゃねぇか。さっさと始めようぜ」

「一回戦は……これよ!」


 すると、ユウヒは将棋盤を取り出した。


「将棋で勝負! 持ち時間は10分よ!」

「ちょっとユウヒ」


 すると、意外にも妹のコエが姉に言い寄る。


「それは公平じゃないよ」

「い、いいのよ! ワタシが一番年下なんだから! 得意なモノで勝負したって!」

「それでも、将棋は――」

「俺は別にいいぜ」


 七海はユウヒの提案に深く理由も聞かずに乗った。


「ケイさん。良いのかい?」

「ああ。得意なモンで負けたら嫌でも認めざる得ないだろ? 敗北をよぉ」

「む! 後悔するわよ! 後悔するんだから!」


 うー! とムキになるユウヒの頭を、あはは、と七海はからかう様に手を押し付ける。


「それじゃ、最初は俺が行きますね」


 キラリッ、と新次郎が笑う。


「将棋やった事はあんのか?」

「ふっ、小学生の頃に一度触れたきりですよ!」

「ジジィー、将棋やったことある?」

「ルリにも勝てん」


 それはワザと負けてんだろ。と、七海はツッコミそうになったがヨミが、ゲンは本当に弱いのよ、と補足した。


「ケイさん。流れ的には一人一戦まででしょう? なら、貴女はまだ出る場面じゃない」

「おー、そうかよ。じゃあ任せるわ」

「勝利を持ってきますよ!」


 どこにそんな根拠があるのか。まぁ、どうでも良いか、と七海は新次郎の視線を適当に受け流す。第一回戦は室内へ皆で移動した。






「じゃあ、ルールをもう一回確認するよ」


 コエが改めて将棋勝負の内容を口にする。


「平手で、持ち時間10分の切れ負け。先行と後攻はどうする?」

「ユウヒちゃんが決めて良いよ」

「先手よ!」

「じゃあ、ユウヒが先手で、新次郎さんが後手で。はい、スタート」


 コエは対局時計を、タンッ、とスタートさせる。

 ユウヒは慣れた様に一手目を打って手番を渡した。そして、新次郎を見ると彼はスマホを見ている。


「ふむふむ。なるほど……」

「……なにやってんだ?」


 互いのメンバーが勝負を注目する中、七海が代表して新次郎の奇行を問う。


「いや、ルールと駒の動きの確認を。何せ触れるのは20年ぶりですから。意外とチェスに近いんですね」

「……持ち時間は10分だからな?」

「それは分かってます。任せてください!」


 こりゃ負けたな。七海は次に自分とゲンのどちらが出るのかを考える。


「うーん。やっぱり贔屓だったかなぁ」

「ユウヒさんは将棋が得意なのですか?」


 一手目からルールを確認する新次郎の時間は刻々と減る。盤面に動きが無い様子にアヤはコエに近寄った。


「ユウヒは、プロも混ざるオンライン将棋じゃランキングはトップ20を維持する実力者なんだ」


 ユウヒ。その名はオンライン最大の将棋ゲーム『将棋の海』にて轟く強者の名前である。勝率は実に9割であり、ランキングより下の者には未だに負けていない。


「それでさっきは不公平だと言ったのですね」

「うん。説明書を読むレベルの初心者は逆立ちしても勝てないと思うよ」


 しかも、持ち時間は10分。時間の枷も考慮すれば新次郎の勝機は相当に低い。

 そして、新次郎は何もせずに持ち時間は2分を切った。


「オーケー。始めようか」


 ルールと駒の動きを頭に叩き込んだ新次郎は、スッと最初の一手を動かし、タン、と持ち時間を止める。


「手加減はしないわよ」


 ユウヒも慣れた二手目を動かし、タン。すると、すぐに、タン、と新次郎は時間を返した。


「……え?」

「君の番だよ?」


 新次郎の駒は動いている。しかも、狙ったのかは不明だが、ユウヒが見ても最適解な動きだ。


「君次第だが、こっちは既に詰みまで見えてるから、一手一秒で十分だよ」


 新次郎もまた、スポーツに留まらない天才であった。

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