第41話 とびきりの変化は、責任

いつか恋を失って、彼の手から離れたときに、拠り所になる場所がないと自分が立っていられないから、もう誰にも選ばれなくていいと思っていた。


ひとりでも、私は、生きていけるんです。


虚勢でも見栄でもなんでもいい。


自分の価値を自分が決められる場所がないと、彼の前に立っていられないからだ。


それでももう。心は知ってしまった。


柔らかくて優しい恋を。


「っ私・・」


唇が離れた隙に言葉を紡ぐ。


平良が僅かに顔を上げた。


「うん?」


「私、平良さんに、ずっと好きでいて貰う自信がないんです・・だから、ここに暮らしていたら、駄目になったとき・・」


「駄目になんかならないよ」


「でも!」


「ねぇ祥香。俺は祥香とずっと一緒に暮らしたい。祥香は?」


難しい事を全部排除したシンプルな質問。


この部屋を出て、また新しい場所で、生活できるの?


彼の姿が見えない場所で?


ああ、いやだ。


いつからこんなに弱くなったんだろう


「・・一緒にいたいです」


「うん、じゃあ決まりね。出て行くなんて許さないよ?ずっと俺の傍に居てね」


「・・・・・はい」


「あと、また平良さんって呼んだー。他人行儀で嫌なんだよ。そのうち祥香も平良さんになるのに、どーすんの?」


呆れた口調で平良が顔を近づける。


今度は手で阻む余裕があった。


「な、何言って・・」


平良の口を手で押さえて狼狽えた声を出す。


顰め面になった平良が、上半身を起こした。


祥香の手を掴んで口元から離すと、今度はその手首にキスをする。


チュッチュと唇がラインを描いて、時々気まぐれに強く吸いつく。


「何って、将来のことー。祥香さえよければ、いつでもどうぞ?」


お茶に誘うくらいの気やすさで、平良が結婚をほのめかした。


このイケメンはこれだから!


こういう事を適当に言ってしまえるのは慣れてるからだ。


冗談交じりのプロポーズでも、こっちはこんなに心臓がざわつくのに。


平良の手から腕を取り戻そうと必死に引っ張りながら、祥香は険しい表情になった。


「そ、そういうの駄目ですよ!言った言わないで責任問題になるやつです!私が責任取れって訴えたらどうするんですか?」


一向に腕は取り戻せない。


逆に笑った平良が、掴んだ二の腕を引いた。


背中がシーツから離れる。


この隙にと、祥香は膝を曲げてベッドの上に座り込んだ。


ちょっとは狼狽えるだろうと思ったのに、平良はなぜか満面に笑みだ。


寝転んでいたせいで乱れた祥香の黒髪を丁寧に梳きやる。


「喜んで取るよ?祥香に告白した責任、取らせてくれる?」


もうやだ、何この人。


向けられる眼差しは終始甘ったるくて、平良の背後にはご褒美を待って揺れる尻尾が見え隠れする。


どういうこと?


「わ、私の手に負えないぃいっ」


悲鳴に似た声で白旗を上げて、祥香が後ろに手を突いて後ずさる。


その手をすかさず平良が捕まえた。


あっという間に逆戻りさせられる。


「なんで?逃がしてあげないって言ったよ、俺。祥香も持ち物にしていいって言ったでしょー?あれは嘘なの?」


また平良が泣きそうな顔になった。


持ち物、持ち物ってそういう意味?


「嘘じゃないです、で、でも、そんないきなりっ」


「さーちかーぁ」


「はいっ!?」


だからその声で呼ばないで!


「俺のこと好き-?」


もう何度目のやり取りか分からない。


律儀な自分が嫌になるけど、応えないわけにもいかない。


「はいっっ・・好きです」


「ありがとう。俺も大好きだよ-。じゃあ、いまは、その気持ちだけ持って俺のそばにいてよ」


ああ、なんでそんな簡単に決めちゃうの?


私が難しく考えすぎなだけ?


優しい声で諭されると、みるみる涙腺が緩んだ。


「っっ・・ふぇっ」


「なんで泣くのー。よしよし、大丈夫だよ。俺はずっと祥香のこと好きだし愛してるし、祥香のこと絶対手放さないよ」


平良が祥香の頭を撫でる。


「私、ここにい・・い、てもいいですか?」


その手の優しさだけが、私の信じる全て。


「此処じゃなくて、俺のそばにいて。ほら、おいでー。抱っこさせて」


慣れた仕草で祥香を腕の中に抱き込んだ平良の肩に頭を預ける。


「ん・・」


彼の腕の中は心地よい。


愛情の雨が降り注ぐこの場所が、有限だとして、それがなんだっていうの。


もういい。


何年か先の後悔なんて知るか。


私はいま、この人がどうしようもなく好きで、傍に居たくて、甘えたくて仕方ない。


「よーしよし、良い子だね」


気持ちが心から溢れる。


勢いそのまま目の前の唇をそうっと啄んだ。


小鳥みたいなキスだった。


「・・・好きっ・・ん」


いま言わなきゃいつ言うの?


自分からのキスは最高にぎこちなくて、最強に甘い。


きっと一生忘れられないキスになる。


そんな予感すらする。


平良が祥香の目を見て、今日一番の笑顔を浮かべた。


凝視し続けたら人間が駄目になりそうな笑顔。


「祥香からしてくれるの待ってた」


「え、っん・・んぅ・・っ・・」


追い打ちをかけるように舌が忍び込んできて、再び息苦しさに襲われる。


そのくせ、やめて欲しいのかと問われればそうじゃないからすごく悔しい。


「なんで逃げるのー。もっとしてよ。赤くなってもやめたげないよー?」


「んんっ・・っ・・は・・」


「ちゃんと・・鼻で・・呼吸してー、んー」


器用にキスの合間に話しかける平良と対等になれるのは、どれくらい先なんだろう?


「っ・・ん・・」


恥ずかしいし戸惑うけれど、唇が触れると嬉しくなる。


頭で考えたって無駄なことの第一項目はきっと恋だ。


「んー・・っ・・こんなちゅーしたら、唇・・腫れちゃうかなぁ?あ、ちょっと赤くなっちゃった・・痛い?」


キスをやめた平良が、労るように唇を撫でた。


「ふぁ・・っん」


思わず蕩けた声が漏れた。


慌てて口を塞ぐけれどもう遅い。


平良が極上の笑みで顔を近づけた。


「なにー今の声・・祥香エ」


「触るからぁっ!」


自分でもあんな声が出るなんてびっくりだ。


盛大に声を被せて祥香は俯いた。


「気持ちよかった?」


なんで訊くの!?


倒れそうになる。


ぶんぶん首を振って顔を押さえる。


「~~っ!!!知りませんっ!馬鹿ぁ」


「わー可愛い。なにそれ。そんな馬鹿なら何べんでも聞きたいよ」


「も、もうっ」


砂糖をまぶされたとかじゃなかった。


はちみつの海だ。


何を言っても平良の返事は甘さ大増量で返ってくるに違いない。


繰りかえされるキスと、さっきまでのジェットコースター並みの展開で、頭は全く回らない。


何か言わなきゃと思うのに、浮かぶ言葉はどれも平良を喜ばせそうなものばかりだ。


すでにかなりの影響を受けている。


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