第44話『チコナギ編③ それぞれの正義』

雨は一向に止む気配を見せない。

既にビショビショだった凪兎と博記も、琴羽と共にビルの軒下に避難している。


琴羽「申し訳ないんだけど、アナタの事を、少し調べさせてもらったの、凪兎くん。」


博記は、既にお役御免と決め込んでいるのか、濡れた服が張りついている体を不快そうに動かしている。


凪兎「…。」


琴羽「あの、楽器店でアナタを見かけたのは偶然だったってのは、さっきも言ったけど。アナタ言ってたわよね?『コイツらには、100円って価値が付いてんだよ。』って、盗まれそうだったピックに対して。」


凪兎「当たり前の事を言ったんだ。安かろうが高かろうが、ソイツに付いている価値を踏みにじる権利は誰にも無い。」


琴羽「ソレ聞いて、アナタのこと、『欲しい』って思ったの。そういう風な捉え方が出来る人は少ない。ココに居るヒロにだって、絶対にムリだと思う。」


琴羽は、少し離れた場所で服を乾かそうとしている博記を見ながら言った。


博記「オマエ、オレにクチが悪いって言えるのか?なぁもうオレ帰ってイイか?」


琴羽「ダメに決まってるでしょ?途中で帰るとビール奢らないわよ?」


凪兎は、少し考え込むようにしてクチを開いた。


凪兎「グルじゃ無いんならよ、どうして昨日のヤツを逃がした?」


琴羽「太郎くん?だって彼は何も悪い事をしてないじゃない。」


凪兎「アイツはピックを盗もうとしたんだ!」


琴羽は、ヤレヤレと言った感じで、首をすくめる。


琴羽「アナタが阻止してくれたオカゲで、『盗もうとした』で終わったでしょ。」


凪兎「アンタと、この話を続けても、平行線だな。」


琴羽「ソコなのよ、私が言いたいのは。」


凪兎「あ?」


琴羽「アナタの正義と、私の正義と、太郎君の正義は一致しない。」


凪兎「アイツは罪を犯そうとしたんだぞ?」


琴羽「ソレは『罪』の話しでしょ?私は『正義』の話しをしているの。アナタが、凄くこだわってそうだから。でも、一つだけ、言っておきたいのは…。」


凪兎は、琴羽が言わんとする事が理解出来ていないようだ。


琴羽「『正義』の対は、『悪』ではなく、それもまた『正義』なのよ。」


凪兎「じゃぁこの世に悪は存在しないじゃねぇか。」


琴羽「『善』と『悪』は、存在するわ。」


凪兎「ハナシになんねぇ。」


凪兎は、踵を返して、再び雨空の下に出ようとしている。


琴羽「そのまま、ヒロを捕まえても、ヒロは罪には問われないわ。」


凪兎は足を止め、怒りに満ちた、鬼のような形相を琴羽に向ける。


凪兎「盗みを働いたじゃねぇか!!絶対に許さないからなァッ!?」


その気迫に、流石の琴羽も、一瞬、気圧されてしまう。

と、同時に、琴羽の前に博記が立ちはだかる。


琴羽「ヒロ…?」


博記「分かんねぇけど、体が動いた。」


その、琴羽の前に立ちはだかっている博記の足は震えている。

そこまでの気迫が、凪兎から発せられている。


琴羽「凪兎くん、説明するから、少し冷静に聞いてくれる?」


琴羽は、博記の背後から顔を出して、凪兎に話しかける。


凪兎「コイツが罪に問われないって、どういう事だよ?」


琴羽「今日の事、楽器店でのヒロは仕込みで、楽器店の店員さんにも事情は話して、既にピック分の代金は支払ってあるの。アナタの事を調べさせてもらったって言ったでしょ?また、近いウチに、アナタはあの楽器店の近くを通ると踏んで、張ってたのよ。昨日、偶然居合わせたのも、おそらく近所だからだと思って。」


凪兎「…。」


凪兎の表情からは、怒りが少し消えたようだ。

ソレを見て、琴羽は博記を下がらせた。


琴羽「ありがとう、ヒロ。アンタも、少しは男らしいとこあるじゃない。」


イタズラっぽく微笑む琴羽に対して、博記は視線を外して…。


博記「オマエはオレの恩人だからよ…。」


そう呟く博記の表情を見て、凪兎は、更に怒りを削がれたようだ。


琴羽「まさか、昨日の今日で、雨模様にも関わらずまた通るとは思わなかったけど…。」


凪兎「…。そのハナシが本当だとして、オレが今日は通らなかったら、明日も明後日も、あの店を見張ってるツモリだったのか?」


琴羽「企業秘密、だお♪」


凪兎「…。」


琴羽「その、太郎くん、なんだけどね?」


凪兎「?」


琴羽「行ってみようか。」


凪兎「ドコにだよ?」


琴羽「ついてきて。あ、その前に、楽器店から、凪兎くんのギターと傘を回収して、いったん凪兎くんもヒロも、帰って着替えてから集合ね?凪兎くんは、スタジオに行こうとしてたトコ悪いんだけど、付き合ってくれる?」


凪兎「アンタ何者だよ?」


琴羽「チコちゃんでっす!」


それから、それぞれ一旦家に帰り、身支度を整えて、例の楽器店前に集合した。

この頃にはもう雨も上がり、晴れ間が見えている。


琴羽「じゃあ、行こうか。」


凪兎「ドコに?」


琴羽「音楽を聴きに、ね。」


博記「?」


そう言う琴羽に連れられ、凪兎と博記は、とある港に近い広場に移動してきた。

ソコには、スタンドマイクの前で、ギター片手に歌う、一人の女性が居る。

その周りを、数人の人々が、それぞれ、立ったり座ったりして、その歌を聞いている。

この女性の名は如月 万結(きさらぎ まゆ)。


凪兎「生憎とオレぁ…歌が苦手なんだけどよ。」


博記「ギタリストなのにか?」


凪兎「だからって、歌と結び付けんなよ。」


琴羽「凪兎くんは、『音楽』ではなく、『歌』が苦手なのよね。」


博記「…。」


居心地が悪そうな凪兎。

早くビールが飲みたい博記。

そんな2人を見ながら…。


琴羽「ホラ、あそこ。」


琴羽が指さした先には、例の遊馬の姿が見える。

当の遊馬は、心底聞き惚れているという表情を浮かべている。


琴羽「コレが、彼の正義なの。」


凪兎「どういう事だよ?」


琴羽「凪兎くん、アナタ、最初から盗みなんかしてないで、買えよって言ったわよね?太郎くんに。」


凪兎「だってよ、捕まるワケに行かないんなら、100円のピックくらい…。」


そう言った凪兎自身が、ハッとした表情を浮かべた。


琴羽「ソコなのよ。」


凪兎は、次に琴羽が言わんとする事が分かったようで、目を伏せた。


琴羽「アナタ、ピックの価値は認めてるワリに、その価値を、バカにしてるとさえ受け取れる発言をしてる。むしろ、その価値を十分に理解してるからこそ、太郎君には、『盗む』という選択肢しか無かったんじゃないかって思うの。」


凪兎「…。」


博記「つまり、アイツには、その100円を出せなかった、でも、どうしても手に入れたかった、と…。」


珍しく、博記が積極的に話題に参加している。


琴羽「ココからは私の想像なんだけどね。太郎くんは、あまり恵まれていない環境で生活してるんじゃないかって思うの。それこそ、100円すら、自分の意志で自由に使えない程の。」


凪兎「まさかそんな環境があるワケ…。」


そこまで言うと、『しまった』とでも言うように、再び凪兎の表情が強張った。


琴羽「そう。ソレが、アナタの『正義』なの。」


凪兎は、後悔しているような、懺悔しているような、悲しげな表情を浮かべた。


博記「まぁよ、オレも、小さい頃は、小遣いなんてモノはマトモに貰った事、無かったしよ。アイツの気持ちは、少しは分かるぜ。」


琴羽「太郎君の、心の拠り所が、彼女なんだと思う。そんな彼女に、どうしても、何かプレゼントがしたい。そう思った結果の、行動だったと思う。モチロン、ソレを実行しちゃうと、罪だから、許される事ではない。ソコは、凪兎くんと同意見なんだけどね。」


凪兎「…。」


琴羽「善悪のハナシじゃなく、コレは、自分が信じる正義のハナシなのよね。太郎君も、盗む事が悪なのは、百も承知してると思うの。」


博記「だが、アイツにとっては、コレが正義だった、と。」


琴羽「正義とは、正しい道理。人間行為の正しさ。という意味が付けられてるけど…。ソレを判断するのは誰か、という意味では、結果が全く変わると思うの。」


琴羽は、再び、遊馬の方を指さした。


琴羽「あの、太郎君の表情を見て。」


言われるがままに、凪兎と博記は視線を移す。

ソコには、引き続き、満ち足りた表情で歌に聞き惚れている遊馬が見える。


琴羽「凪兎くん。アナタが防いでくれたから、太郎君は、守られた。」


凪兎「!!」


その琴羽の一言を受けた凪兎の頬を、不意に涙が伝った…。


琴羽「アナタが守りたかったもの、守れなかったもの、自分を許せない理由、全部、ひっくるめて、私は、アナタが欲しい。」


凪兎「…。」


琴羽「これは、『縁』だと思うの。だから、私達と、バンド組もうぜ?」


博記「オマエはまた、唐突だな。」


琴羽「だって、ウチにはまだギタリスト居ないじゃないの。」


博記「イヤ、ギタリストが居ないというか、ボーカルとベースしか居ないんだが?」


博記は、ヤレヤレと言った表情で琴羽を見ている。


凪兎「悪い…。オレぁ、さっきも言ったが、歌がキライでね。音楽は、ギターは好きだけど。」


琴羽「…。」


そう言うと、凪兎は、琴羽と博記に背を向ける。


凪兎「なんかよ、イロイロとオレに関わろうとしてくれたみたいだがよ。オレは、御存知の通り、そんなホメられた人間じゃ無ぇんだ。自分の正義を曲げられない、正義とすら呼べるかも分からないものに、すがるしかないんだよ。」


そう言うと、凪兎は、遠ざかっていく。


琴羽「ねぇ、ヒロ。」


琴羽は、そんな凪兎の背中を見ながら言う。


博記「ん?」


琴羽「曲げる必要、ある?」


博記「無ぇな。」


琴羽は、満面の笑みを浮かべ、博記の背中をバシッと叩く。


博記「ってぇっ!!」


琴羽「ソレでこそ、ヒロや。」


博記「もうさ、マジで何でもイイけん、ビール飲ませろよ。」


琴羽「はいはい、イイ加減にせんと、依存症なるよ?」


博記「イヤ、オマエのせいで、飲めてないんやが…。」


そして、琴羽と博記も、凪兎が歩いて行った方に向かって動き始めた。

凪兎が歌を嫌う理由とは…?

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