第55話

 今から十年前。


 クローバーとシロツメクサの群生地で二人の子供が座っている。


「わたくしはアデレードと言うの。このはくしゃくけのちょうじょよ。あなたのおなまえは?」


「ぼ、……いや、わたしは……ローラ」


 ローランは間違えてぼくと言いかけたのを慌ててわたしと言い直したり、自分は男の子なのに女の子の名前を言わなければならない今の状況に恥ずかしがってもじもじとする。


「よろしくね、ローラ! わたくしのことはアデレードと呼んで?」


 囁くような声をしっかり聴きとったアデレードは、にこっと笑ってよろしくの握手をする為に右手を差し出す。


 ローランも自分の右手を差し出し、二人は握手する。


「う、うん……! よろしく」


***


 アデレードの表情を注視していたローランは彼女が思い出したことを察した。


「おや? その様子だと思い出して頂けたようですね」


「はい、思い出しましたわ。お名前を忘れていて失礼致しました」


「まだ小さい頃だったし、名前を覚えていなくても目くじらは立てませんよ。それよりも思い出して頂けたことの方が私は嬉しいです」


「え……? どういうことですか?」


「実を言うと、私はあなたが初恋だったのです。アデレード嬢が自分のことを女の子だと思っているのもわかっていましたから何も言いませんでした。貴女がにっこりと笑って私に握手の為に手を出した時。あの時の笑顔に一目惚れしたのです」


「嘘でしょう……! あの時のことを思い出した今思うと、あの時のローラン様は男性なのに女性の名前を言わないといけない状況にもじもじ恥ずかしがっていたように思えるのですが……」


「それもありますが、それは半分くらいですね。可愛い笑顔を向けられて、目を合わせるのが恥ずかしかったのです」


 アデレードはまさかの話に少々恥ずかしくなり、それを誤魔化すように紅茶を一口、口に含む。


 紅茶を口にしたことでアデレードは少しは気分が落ち着いた。


(ローラン様程の美青年の初恋の相手が私ですって……? どうせ私をからかっているのでしょう)



 アデレードがそう思っていたことろにさらに爆弾発言が投下される。


「それで、話はここからが本題です。母上から聞いた話ですが、アデレード嬢は最近、婚約が解消され、今は婚約者がいないと伺っています」


「ええ、その通りですわね」


「実は私も婚約者がいません。政略的に婚約していたのですが、半年程前に相手が事故死したので、相手がいなくなったのです。その亡くなった令嬢には妹がいるにはいるのですが、私との年齢差が釣り合わない。なので、その家とは婚約抜きで改めて事業提携することになりました」


「そんなことが……お悔やみ申し上げます」


「それで私も婚約者を新たに決めなければならなくなりました。ルグラン侯爵家の跡取りとして結婚しない訳にはいきません。二、三か月程前からお見合いしているのですが、あんまり言いたくはないけれど侯爵夫人として迎えるには問題がある方ばかりで。そんな時に貴女のことを聞いたのです」


 そこでローランは一旦言葉を切る。


「貴女は何と言っても私の初恋の人。ここでお互い婚約者がいない者同士になったのは何かの縁だ。そう思って母上にお願いして無理矢理、今日バーンズ伯爵邸に同行させてもらったのです。成長したアデレード嬢も予想以上に素敵な淑女レディになっていて驚きました」


 ローランはアデレードの方を真っすぐに見つめ、こいねがう。


「アデレード嬢、もし良かったら私を新たな婚約者の候補に加えては頂けませんか? 貴女を大切にするとお約束します」


 薔薇の芳醇な香りに包まれながら、アデレードは答えを出す――。

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