第30話 あれが魔法だ

 店を出て、大荷物になった三人は一旦アパートに戻ろうか、それとも昼食を食べてから戻るかを決めようとしたのだが。



「ウィル様。荷物持ちは、クレシアに、お任せください」

「でも、結構量あるぜ?」

 クレシアからの提案を、ウィルは渋ってみせた。いくらクレシア本人から言われたとしても、女の子に荷物を持たせて歩くのは気が向かない。



「問題、ありません。こちらに、収納、いたします」

 そう言うと、クレシアはウィルが担いでいる包み……折り畳み式テント。折り畳みとは言え安さを優先したため、それなりに嵩張るし重い……を受け取り、そして徐にエプロンについているポケットにねじ込んだ。



「……え、えっ!?」

 思わずウィルが声を挙げるが、クレシアは平然としている。ポケットは僅かに膨らんだものの、破れることも伸びることもなく、するするとテントを飲み込んでいき、綺麗にその姿を消してみせた。

「虚数空間、転送ポケット、です。存在確率の安定性を、優先しているため、容量に上限はありますが、この程度であれば、問題なく、収納できます」

 クレシアはそう答えて、次の荷物を、と言わんばかりに手を差し出してきた。

 目の前で起きたことを飲み込みきれないまま、ウィルは流されてどんどん荷物を渡し、その全てをクレシアはポケットに収納した。



「すっごぉおおおい!! でも、クレシア、重たくないの? 大丈夫?」

 横で見ていたトロワは驚嘆の声を上げ、窺うようにクレシアの顔とエプロンを交互に見る。

「虚数空間へ、収納していますので、私に負荷は、かかりません。トロワ様、お気遣いいただき、恐れ入ります」

 いつもの平然とした顔で、クレシアはトロワに頭を下げた。



 ポケットはどう見ても普通の布地で、同じ素材のエプロンに縫い付けられている、ごく普通のポケットである。

 何を入れても全く膨らまないのも不思議だが、明らかにポケットの口より大きな荷物も難なく入れているのも、ウィルには不思議で仕方なかった。

「じゃあ、これでおにいさまも、重たい荷物持たなくていいんだね!」

 両手でばんざいをしながら、トロワははしゃいで言った。自分がその荷物を分担する、という発想はなかったらしい。



「……まあ、細かいことはいいや。じゃあ、手ぶらになったことだし、あっちの商店街で昼飯食おうぜ」

 思考を放棄し、ウィルはそう言って向こうを指で示し、三人は賑わう商店街へと向かった。



***




 昼食の時間帯なだけあって、商店街は一層人が多く賑わっていた。

 カモカは常に人が流れゆく町ということもあり、飲食店の数が多く種類も豊富である。値段の幅も広く、毎日の利用に向いている安価な食堂もあれば、贅沢をするための高級なレストランもある。

 長期滞在していても、食べるに飽きることがないというのは、実は結構重要なことだったりする。



「えーっと、今日は何食おっかなぁ」

 店の看板を吟味しながら、ウィルは人ごみを避けながら歩く。その後ろには、きょろきょろと周りを興味深そうに眺めながら、それでも一応ウィルの後ろについてトロワが歩き、その後ろからクレシアが静かに追従している。

 人気店の入り口から続く行列の脇を通り過ぎたところで、ウィルは思わず足を止めた。いきなり、目の前から怒鳴り声が響いたからだ。



「てめぇ、人にぶつかっておいてその態度は何だァ? 素直に謝れば、オレだって許してやったってのによぉ!」

 聞こえてきたのは、いかにも相手を煽るような口調の声。どう考えてもチンピラが絡んでいる現場である。



 周囲の人々も、穏やかでない台詞に一斉にそちらへ顔を向けている。騒ぎの火種を避けるように、台詞の発生源からさっと人が立ち去り、ウィルの目の前は急に人気が少なくなってしまった。

「おにいさま、急に立ち止まってどうしたのぉ?」

 背後からトロワの不思議そうな声が聞こえる。突然立ち止まったウィルに驚いて慌てて足を止めたのか、やけに気配が近い。

「しっ、騒ぐな! なんか、厄介な場面に出くわしたみたいだ……」

 片腕で背後のトロワ達を制しながら、ウィルは人ごみの注目の的となっているところへ視線を向けた。



 人通りの多い通りの真ん中で騒いでいるのは、三人組の男達のようだった。いずれも服をだらしなく着崩し、周囲を威圧するような体格をしている。武器こそ手に持ってはいないが、あまり近付きたくはない空気を纏っている。

 そのうちの一人、短く刈り込んだ髪にやたら目つきの悪い顔立ちの男が、顔を歪ませながら怒鳴り散らしている。地毛が薄いのかそれとも自分で抜いたのか、眉毛が無いのが妙に印象深い。

「ナメた態度取ってんじゃねえぞ! ガキだからって優しくしてやると思ったら……」



「うるさい。〈劣性リセシブ〉如きが、このボクに偉そうな口をきくな」

 男のねちっこい声を遮ったのは、まだ幼さの残る少年の言葉だった。ウィルは勿論、息をひそめて他人のふりをしていた周囲の人間ですら、ぎょっとしてその声の主を凝視する。



「は、りせ……なんだって? てめぇ、今オレに向かって何て言った?」

「二度も言わせるな、〈劣性リセシブ〉。ま、ボクのこの手を見ても何も思わないんだから、何も知らないんだろうなとは思ったけどね。ふん、田舎はこれだから嫌なんだ。一目見て、絡む相手を間違えたと気付くことすら出来ないなんて」

 眉無し男の恫喝に対し、何倍もの嫌味と侮蔑を少年は打ち返している。



 まだ十代前半の、小柄な少年だった。利発そうな顔立ちはまだあどけなさが残るものの、常に相手を睨みつけるような目をしているせいで、人相が悪い。視力が低いのか大きな眼鏡をかけており、淡い黄緑色のおかっぱ頭に、大きな帽子、大きめのローブを身に纏い、自分よりずっと背の高いチンピラに全く怯むことなく、顎を反らして睨み返している。

 態度だけなら、チンピラ男に負けず劣らずでかい。



「や、やめてソディ……! 私がいけないの、ぼうっとしていたから……ごめんなさい、私が謝りますから、この場はどうか納めて頂けませんか……?」

 控えめな声がして、ウィルははっとする。すっかり少年の存在感に圧倒されていたが、どうやらもう一人この場にいるらしい。



 見れば、少年の少し後ろに、ドレス姿の女性が立っている。おそらく少年の同行者なのだろうが、帽子の大きなつばに隠れて、その顔はこちらからは見えない。

 庶民のウィルから見ても分かる程、上質な素材で作られた豪華なデザインの服装を身に纏っており、おそらく上流家庭のお嬢様であることが察せられた。

 なるほど、お嬢様とお付きの召使といったところか。などとウィルが呑気に考えていると。



「お嬢さんよぉ、謝るのがもうちょっと早かったら、オレだってこんなブチ切れずに済んだんだけどなぁ? もう遅いぜ、オレはこのクソガキにキレちまったから、あんたに謝ってもらっても気が済まねぇわ」

 男はそう言って品のない声で笑った。その背後にいる仲間達も、にやにや笑って弱者の二人を視線で甚振っている。

 眉無し男が、どのようにしてこの生意気な少年を泣かせ、地面に這いつくばらせ、必死に許しを乞うてくるのか、高みの見物をする気でいるらしい。



「そ、そんな……っ! ソディ、早く貴方もこの方に謝って……!」

「お嬢様は下がっていてください。下等な男と口を聞いては、お嬢様の品格に関わります」

 必死に訴える『お嬢様』の言葉すら、少年は冷たく跳ねのけた。その言葉に、眉無し男はついに限界が来たらしい。

「ふざけんなクソガキがぁっ! その眼鏡、叩き割ってやる!」

 大人げなく声を荒げ、男は拳を振り上げた。自分よりもずっと小さな少年に手を挙げることに、何ら抵抗がないらしい。



「おい、やばいぞ……!」

 ウィルは思わず呟き、周囲の人だかりの中からも声が上がる。割って入ろうにも、この距離では間に合わない。

 少年はひたすら冷静だった。男の手が少年の胸倉をつかもうとする、その瞬間。



「”火魔法モノ・ピュリア”」

「っ、どわぁっ!!」

 悲鳴が上がったのは、眉無し男の方だった。少年は腕一つ動かしていない。



 その少年の前に、何処からともなく炎が発生し、眉無し男の腕を包み込んだのだ。驚いた男が慌てて腕を引っ込めた瞬間、炎は一瞬で消えてしまう。炎の規模の割に、彼の腕は少し腕毛が焦げた程度で済んだようだった。



「えーっ!? なになに!? 今何が起きたのぉ!? 急にあの人の手が燃えちゃったよ!」

 いつの間にかウィルの横から顔を出していたトロワが、場違いに大きな声で叫んだことで、ウィルはようやく驚きから正気に返った。トロワが言った通り、今『何か』が起きたのだろうが、それが一体何なのか、ウィルには全く分からない。

 わかっているのは、少年に手を挙げようとした眉無し男の腕が、突然燃えたことだけである。



「な、て、テメェ……! 何しやがった!」

「見てわからないのか? ああもう、だから〈劣性リセシブ〉となんか会話したくないんだ。知能のレベルが違いすぎて、まるで話にならないんだから」

 驚きと焦りに声を荒げる眉無し男に、少年は呆れ果てたようにため息をつく。



「魔法だよ。ボクは魔法技師資格、準二級だ。……ま、この手を見ても何もわかってなかったみたいだし、級位を言われても理解できないかな?」

 そう言いながら、少年は右手の甲を見せつけるように持ち上げる。そこには何やら紋様らしきものが描かれており、それがどうやら魔法技師に関わる印のようなものらしい。



 当然、ウィルも見たところでそれが何を意味するものなのか全く分からない。ウィルやチンピラが物を知らないと言うより、魔法技師という人材自体が珍しいため、こんな地方都市では見かけること自体稀である。

 更に言えば、そう言った資格を持っている者がわざわざ名乗りを上げる場面も早々ない。あの少年、おそらく相当プライドが高いのだ。



「ソディ、こんなところで魔法を使うなんて……!」

 背後に控えていた『お嬢様』は、おどおどしながら少年を制しようとするが。

「ですがお嬢様、仕掛けてきたのはあちらですよ? ボクは正当防衛として魔法を使っただけ。それの何がいけないんです? いい歳をして、年下相手に平気で手を上げるような輩に、何を遠慮する必要が?」

「そ、そうなのだけど……でも、もっと穏便に」

「大体、ボクはこの魔導回路の刻印も見せたんですよ? 魔法の知識がある者なら、それだけで相手の級位を読み取り、どちらが上であるか理解した上で、相応の対応をするでしょう。それが出来ない者には、魔法を見せることでしか立場を分からせることはできない、そうでしょう?」



 少年は全く遠慮せず、慇懃な口調のままずけずけと『お嬢様』に言い返している。

「だからと言って、いきなり貴方の魔法を使うなんて……相手の方に怪我をさせてしまったら、」

「それは自業自得です。ボク達の知ったことではありません」

 これでは主従の関係が滅茶苦茶である。周囲も動揺した空気が走る中で。

「クソがぁ、馬鹿にしやがって! おい、お前らもやれ! このお偉い魔法技師様とやらに、世間の厳しさを教えてやれ!」

 大衆の場で取り乱した姿を見せてしまって、眉無し男も引き返せなくなったらしい。後ろの仲間に呼びかけ、多勢に無勢で二人を叩きのめすつもりらしい。



「あーあ、俺は小さい子に手を出すのは気が引けちゃうなぁ。ま、でも仕方ないよねぇ、生意気なボクがいけないんだし」

「じゃあ、俺はそっちのお嬢様に相手してもらおうかなぁ? 大丈夫大丈夫、俺こいつらより優しいからさぁ」

 好き勝手なことを言いながら、仲間達は横に広がって逃げ道を塞いでいく。相変わらず居丈高な態度の少年に、『お嬢様』は怯えたように縋り付いた。



「おい、あんたらいい加減にしろよ!」

 不意に聞こえた声に、少年達もチンピラ達も、他人事のように見ていた野次馬達も、驚いてその方向に顔を向ける。

「たった二人相手に、でかい男どもが大人げねぇことしやがって。確かにちょっと生意気なこと言ってるけど、まだ子供だぞ!?」



 そう言いながら、ウィルが少年とチンピラ共の間に割って入った。突然現れた知らない人に、『お嬢様』は驚いた様子で、魔法技師の少年は不審そうな目で、それぞれウィルの背中を凝視している。

 当然、チンピラ共もウィルを凝視している。真ん中にいた短髪のチンピラは、既に怒りが頂点に達しているのか、ウィルにまで食って掛かってきた。



「何だてめぇ、弱そうななりで正義の味方気取りかぁ? 俺はお前みたいなかっこつけ野郎が大嫌いなんだよ!」

 今度こそ勢いよく手を伸ばし、ウィルの胸倉をつかみ上げて眉無し男は怒鳴り散らす。いきなりそんなことをされて、ウィルもイラっとしてしまった。

「俺だってお前らみてぇな、だっせぇチンピラは大嫌いだよ! 両想いで気が済んだか!?」

「済むわけねぇだろ、ふざけんな!!」



 ついつい言い返してしまい、チンピラの怒りはウィルにまで向けられた。こうなったら数発は殴られるのを覚悟して、とウィルが歯を食いしばっていると。

「おーい、そこにいるのウィルじゃねぇかあ。なーにやってんだ?」

「お前、仕事サボってこんなところで油売ってんのか? 給料減らすぞコラ」

 やけに陽気な大声と、低音でもよく響く威圧的な声が聞こえてきた。そしてウィルは、その声の主を知っている。



 その声の主を確認するより早く、ずしん! と肩に加重がかかり、ウィルは慌てて両足で踏ん張った。肩を強引に組まれたのだと、数秒遅れて理解する。

「おうおう、どうしたどうした? 立ち話にしちゃやけに大人数だな、わははは!」

「え、いやぁ……えっと……」

 さっきまで威勢のよかったチンピラ達が、急に萎びて勢いを失っていく。それもそのはず、二度目の乱入者は、チンピラ達より更に体格のいい、もっと年上の男性二人だった。作業着姿の男二人のうち、金髪を後ろで結んだ中年の男は親し気にウィルと肩を組み、遠慮なしにぐいぐいと体を寄せてくる。



「何だよウィル、お友達かぁ? よぉよぉ兄ちゃん達! うちのウィル、可愛がってくれよな!」

「ちょ、ちょちょ、ラチェット班長! 昼間っから酔ってるんすか!?」

 ガタイのいい男に寄りかかられ、ウィルは慌ててその体を押し返す。

「酔ってねぇよ! 俺は酒は飲めねぇんだ! わはははは!」

「素面でそれっすか……」



「おうウィル、仕事サボってんのかコラ」

 もう一人、同じく作業着にサングラスをかけた、スキンヘッドの男がウィルに話しかける。抑揚が少なく、聞く者が怯えるような声だったが、ウィルは平然と言い返す。

「タッカーさん! 俺、今日休みっす! 昨日言ったじゃないっすか!」

「そうだったか? ああ、そうだったな、思い出した」

 急に現れたガタイのいい男達によって、緊迫した空気はかき散らされていった。微妙な雰囲気になり、チンピラ共はどうしたものかと顔を見合わせている。



「で、兄ちゃん達は何やってたんだい? うちのウィルに、なんかしようとしてた? それとも、俺の見間違い?」

 ラチェット、と呼ばれた金髪の男は、笑顔のままチンピラ達に問いかける。その笑顔の下に、思わず背筋が震えるような威圧を感じ、チンピラ達は一気に戦意を喪失した。

 所詮は見た目だけで周囲を威圧するだけのチンピラである。<本物>を前に、虚飾の威圧は通用しないのだ。



「い、いや、見間違いっす。はは、ちょっと、道を聞いてただけなんで……じゃ、俺達行きます……」

 何かを誤魔化すように笑みを浮かべて、チンピラ三人組はそそくさとその場を立ち去った。残されたのはウィルとガタイのいい作業員の男二人、そして何が起きたのか分かっていない魔法技師の少年と、ただ茫然と一連の流れを見ていたお嬢様であった。



「おにいさまーっ! 大丈夫だった!? 酷いことされなかった!?」

 少しずつ元通りになっていく大通りの人ごみの中から、トロワが駆け寄ってきた。その後ろには、クレシアも続いている。

「おう、大丈夫だ。置いていって悪かったな」

「ううん、僕は大丈夫だよ! でも、その人たちは……?」

 そう言って、トロワは不思議そうに作業着の男性二人を見上げる。ウィルは少し恥ずかしそうに答えた。


「今バイトしてる職場の、上司と先輩だよ。見た目は怖いけど、いい人達だぜ」



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