1-19.映画を観よう!

 有形無形の圧力により会場は由貴の部屋になる。由貴はぶつくさ言いながらも支給のPCに光学ドライブを繋げ、部屋のテレビにフロントで借りたケーブル経由で映像を出力する。その間に二合瓶は一本空になり、餃子は半分になっていた。

 餃子を減らすのは主に実宇の役目になっていた。「野菜たっぷりなんですね。これはするする食べられます。ね、樹里さん」

「宇都宮とはまた違った味わいだな。あっちは水餃子とかもあるし」樹里は二本目の日本酒の封を開けた。「さてさて。生酒は現地の楽しみだからなー。プラカップなのが玉に瑕だけど」

「僕の分残しといてくださいよ……」由貴は設定に難儀しているのかケーブルを抜き差ししている。

 シティホテルの間取りは狭小ビジネスほど窮屈ではないが、決して広くもない。窓辺のテーブルに買い物袋の中身を広げてふたりで座ると、残っている場所は鏡台に備えつけの椅子か、さもなくばベッドの上しかない。ようやく設定を終えた由貴は、ベッドの上に腰を下ろした。

「じゃ、始まります」枕元のスイッチで照明を暗くし、由貴はテレビのリモコンで音量を上げる。

 物語は、ひとりの青年が田舎町へと帰郷するシーンで始まる。撮影は市の北方を走るローカル鉄道の駅で行われたようだった。彼は地元に残った親戚の運転する車に揺られ、さらに北へ北へと向かう。時折フラッシュバックするのは東京で忙しく働いていた日々の記憶。彼は仕事の過酷と恋人とのすれ違いに耐えかね、退職届を叩きつけて地元へ逃げ帰ってきたのである。

 季節は夏。彼は幼い頃の記憶を頼りに寂れた集落を歩き、やがて一面の向日葵畑へと辿り着く。そのロケ地は公浜ガーデンパークだが、アングルが工夫されていて、知らなければ山合いに突然開けた土地にしか見えないだろう。

 そして青年は、白いワンピースを来た少女に出会う。「ハナ」と彼は名を呼ぶ。彼女も青年の名を呼ぶ。「久しぶり」と彼女は言う。ふたりは幼馴染の関係だった。

 だが、青年は青年になっても、少女の方は、女になることなく、まるで途中で時間が止まったかのように、少女だった。そのことを青年が家族に告げると、母も親族も皆口を噤む。ただひとり、彼を車で駅まで迎えに来た出戻りの叔母だけが、「あの子と関わっちゃ駄目。もうすぐお迎えが来るから」と応じる。

「どのルートなんでしょうね」と由貴が呟く。

「ルート?」

「ゲームですよゲーム」と実宇。「被害者の同じサークルの人たちが教えてくれたんです。選択肢によって話がガラっと変わるらしいです」

 ふーん、と応じ、特に鰻の味はしないが鰻のエキスが入っているらしいパイを齧る。辛口の日本酒のあてにすると、隠れたフルーティさが際立つような気がする。意外と悪くない。

 由貴が餃子の最後に残った一個を食べてしまって、テーブルの上が少し寂しくなった。

 映画の中では、青年が地域唯一の医院を継いだ昔の同級生を訪ねている。彼は、市内の生まれで看護師である女性と結婚していたが、子供はまだなかった。青年と同級生、共に集落を出た時は、こんなところに二度と戻るものかと言い交わしていた。だが長男である彼には家があり家族があった。そして医者の一族の長男として地域に医療を提供するという使命もあった。

 次男である青年に、彼は「しがらみがない

なら出てけよ、こんなとこ」と自嘲する。彼の妻は濃密な田舎の人間関係と性的なあけすけさに適応できず塞ぎがちになっていた。そして男同士の話は次第に下世話な方向に逸れていく。

 昔はあの向日葵畑のど真ん中でヤる祭りがあったんだ、と彼は言う。五穀豊穣を願う儀式がセックスと結びつくことはそう珍しいことではない。しかしこの地域の特異なところは、見るからに野生の草花とは異なる外来種の花が咲き乱れる中でその儀式を行うことであった。

 青年は、白いワンピースの少女について彼に問う。すると彼は、そんな女の子は知らないと応じる。

 そんなはずはない。同年代だったのだから、一緒に遊ぶこともあったはず。だが、記憶を辿っても、彼女と一緒の場はいつも二人きりだった。精神科に紹介状を書こうか、と戯ける旧友に、青年は空恐ろしさを感じる。そして、彼女の父や母、家族のことを一切知らないことに思い当たるのだった。

 一方、集落では騒ぎが起きている。老朽化した川縁の空き家が突然崩壊したのだ。そして、無人だったはずなのに血のような液体が瓦礫の中から流れ出し、川を赤く染めている。

 かと思うと、農家の男性が運転する軽トラックが突然コントロールを失い水田に突っ込む。集落の辻に設けられていた祠の石像が真っ二つに割れる。夏祭りの打ち合わせのために住民が集まっていた公民館でも事件が起こる。食事や酒の支度をしていた女たちのひとりが、突然叫び声を上げて鍋や酒瓶をひっくり返し、外へ走り出てしまったのだ。

 次々と起こる怪奇現象。青年の脳裏にかつての記憶が蘇る。幼い頃、似たような事件が多発した時期があった。叔母にそれを問うと、「あんた、早く東京帰りな」と告げられる。仕事も決まっていないと抗弁すると、叔母は目に涙を浮かべている。そして「あんたはまだ間に合うんだから」と言う。

「そういえば樹里さんに、ゲームの話をちゃんと共有してなかったですね」由貴はかなり赤い顔になっていた。「いわゆる『泣きゲー』的なファンタジー路線と、『鬱ゲー』的なリアル路線の2ルートに分岐するんです。その両方にハッピーエンドとバッドエンドが設けられてて、なんでもバッドエンドの方が製作者の意図がより強く反映されているとか」

「この映画はどれなんだよ」

「それがわからないから観てるんじゃないですか。樹里さんあれですか、ネトフリで倍速視聴して観た気になる人ですか。うっわー、最低だなー。映画は一拍の間にも意味がある時間の芸術だってのに」

「知るかよ。あたしは血が出ない映画は観ないんだよ」

「サメとか?」

「ゾンビとか」

「殺人鬼とか?」

「モンスターとか」

「そんな樹里さんにもジャン=ポール・ベルモンドの主演映画を観ていた若かりし頃があったんですね」

「うるせえ」

「なんかファンタジーになってきましたよ」実宇は電気ケトルで備えつけのお茶を淹れているところだった。

 黄昏時。青年は東京の知人に電話しながら集落を散歩している。その知人から、共通の知人である女性が、青年が突然行方を眩ませて心配していると知らされる。「お前らが終わったって、俺は信じてないから」と彼は言う。しかし青年と彼女との恋愛関係は破綻していた。会えない時間が互いを互いに依存させ、一方的な期待を互いに募らせ、そして裏切られたと失望する。どこへも進めない袋小路に陥った関係を、もう一度やり直せるとは思えなかった。

 そしてふと気づくと、向日葵畑にいたはずの青年は、不思議な空間に迷い込んでいた。同じ白い服を着た女たちが、日差しの下で布を広げ、子供たちも大人たちも笑い合う。その中に、ハナと呼ばれた少女がいる。笑顔を浮かべ、青年を手招きしている。

「秋野村じゃん」と樹里は呟いた。

「あーなるほど。ハナちゃんが生贄的なのになるとか、神の務めを果たさないといけないんだけど、この主人公への未練があってその決意が固められないんだな」由貴は欠伸混じり言った。「時間帯的に悲劇的な運命が明らかになって彼女が泣いて、どうすればいいんだーってなるやつだな。んで夏祭りの夜に決着だ。……ほら泣いた。やっぱりなー」

 実宇の冷ややかな視線が由貴を刺していた。「ユッキーさん、最悪」

「サイアクぅー」

「最悪!」

「サイアクぅ~……今のドップラー効果な」

「喧嘩売ってます?」

「マジおもしれーなこの映画。ユッキーお前ちゃんと観てっか?」

「樹里さんよりは絶対観てます」由貴は据わった目でため息をついた。「単純酩酊は普通に完全責任能力扱いですからね」

「は? 責任ある大人だが?」

「……鬱陶しい!」

 画面の中では夏祭りが始まろうとしている。青年はとうとうすべてを理解する。人の世界を遊び場にしていたハナを神の世界へと帰すことで、集落を襲う怪奇現象を鎮めることができる。だがハナは青年と離れたくない、ここから連れ出してと涙する。彼女の白い肌、白い血は人ならざる者の証。赤という穢れの色から自由である彼女は、大人になることはない。そしてあのセリフ。

「あなたの赤い血を、私にちょうだい……ねえ」と樹里は呟いた。

 村上綾を殺害し、実宇に襲いかかった秋野村の少女は、この映画を観てセリフを真似たのだ。村の外へ出たいという登場人物の気持ちに自分を重ねていて、村人たちからの疎外も作中の少女と立場が重なる。

「イマイチ冴えないですけど、これ、ルート共通のセリフらしいですよ」スマホで何か検索しながら由貴は言った。「これが個別ルートへの入口の合図なのだそうです」

 酒は空になっていた。残るはお菓子だけだったが、実宇がせっせと食べていてもう残りは少ない。

 調子に乗って飲みすぎた。樹里は眠気と目眩を感じた。立ち上がって冷蔵庫を開け、昼間に買い込んだ残りのミネラルウォータを一気に飲み下す。

 ぼんやり画面を見ていると、もみ合いの末、青年がナイフで少女の胸を刺していた。どうやら青年が自分を刺して血を少女に分け与えようとしたらしい。そして皮肉にもナイフは少女を刺してしまい、彼女からは赤い血が流れない。

 しかし、ワンピースに広がる無色の染みが、突然赤くなる。「ごめん。ごめん。僕にはこれしかできない」と青年が言う。「ありがとう」とハナは応じ、その場に崩折れる。

「バッドエンドですね」と由貴が言った。その彼もさすがに酔いが回ったのか、語尾が怪しくなっていた。「殺すことでハナを人間の側に降ろしたんだ」

 祭りの櫓が崩壊し、篝火が燃え広がる。地震だった。集落は神の怒りを買った。定められた手順を乱したことで、崩壊が迫っていた。

 返り血に汚れた姿で人気のない実家にたどり着いた青年を、叔母が待っていた。彼女は既にまとめていた青年の荷物を車の荷室に放り込み、自失する青年を助手席に押し込む。

 叔母は「あんたが帰る場所はここじゃない」と告げる。集落から離れれば離れるほど、青年の身体の返り血は色を失っていく。ローカル鉄道の駅に辿り着き、最終の列車に背中を押されて乗り込んだ時には、つい先刻の惨劇が嘘のように、服も手も元通りになっていた。

 青年は「一緒に逃げよう」と叔母に言う。だが、彼女は黙って首を横に振る。列車が走り出し、青年は叔母の手に、ハナを殺したナイフがあることに気づく。彼女はすべての罪を被ったのだ。だが暗い駅のホームでは、そのナイフが何色の血に汚れているのかわからなかった。

 そして東京に帰り着いた青年は、かつての恋人のアパートを訪ねる。呼び鈴を押すと、部屋着の彼女が現れる。明らかに憔悴していた青年に、恋人だった彼女は手を差し伸べる。その時、部屋の奥から誰かが姿を現す。親しげに彼女の名を呼ぶ。それは青年が集落から電話をかけた知人であり、二人の間に自分が入る余地がもはやないことを悟った青年は膝を屈し、ハナを殺した時にも流せなかった涙を流す。

「意味わかんねえ……」と呟き樹里はベッドに仰向けに倒れた。「なんだよこれ、そんなのってねえだろ」

「ラストで台無しですよ! 酷すぎません……?」実宇は椅子の上で膝を抱えて蹲っている。

「彼が逃げ出した現実の過酷さは何ひとつ変わっていない。故郷も彼を癒やさない。そんなもんだよ。自主制作だからこそだろうねえ……」由貴も瞼を開けているのがやっとのようだった。

 無音のエンドロールが流れている。いくつもの名前が通り過ぎていく。

 実宇が立ち上がった。「部屋に戻ります。明日何時ですか?」

「んー、八時にフロントで」欠伸混じりに由貴が応じる。

 はーい、と応じて実宇が項垂れて部屋を出ていく。

 昼間からの疲労が全身に覆い被さっているようだった。

「樹里さーん。寝るなら部屋戻ってくださーい」

「サメが観てえよ。サメが人を喰うやつが……」

「あのー、僕のベッド……」

「五分だけ……」

 そこで小暮樹里の記憶は途絶えた。


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