1-12.廃墟探索

 建設中に一〇〇人近い死者を出した巨大ダムに通じる道を脇目に国道を北上する。それに伴って、国道が伴走する川は本流ではなく支流のひとつになる。

 道は緩やかな上り坂。兵頭の言葉通りセンターラインも消えた道は、大型車のすれ違いが困難なほどの道幅になる。それでも道の区分は国道のまま。それはところどころに立つ標識が物語っている。

「あたしこんな小さい国道表示初めて見たわ……」と樹里は呟く。

 青字の逆三角なのは見慣れた国道の印だが、まるで住宅街の、それも個人が安全のために立てたミラーか何かのように小さい。まばらに通る車は生活者の軽自動車ばかり。趣味人でも、目的地はダム止まりな人が大半なのだ。ましてや平日だった。

 それでも鉄道が通っている。それも電化のJR。愛知県豊橋市から長野の上伊那地域までを結ぶJR飯田線だ。

 道沿いに、川を斜めに渡るユニークな線路が見える。不安定な地盤を避けようと開き直って川の上を走らせたために、結果としてS字の橋を電車が走り抜けることになる。

 駅の周辺には古びた住宅が並ぶ。まばらに商店や飲食店も見える。だが線路を跨ぎ越えてしまうと、道路からはまたセンターラインが消え、左右に生い茂る杉の木から落ちる影で真昼なのに薄暗い道に逆戻りしてしまう。

「地盤が弱くて難工事ってのは道路も鉄道も同じなんですよ」と由貴。

 実宇は首を伸ばして車窓の景色を眺めている。「ガードレールの向こうずっと断崖絶壁ですね……」

「一歩間違えたら死ねるな……」

 ガードレールはどこも古びて錆びている。少しスピードを出して突っ込んだら簡単に破れてしまうそうだ。その上、時折川を渡る橋も恐ろしい。欄干が明らかに低く、スピードを出したSUVやオフロードバイクなら乗り越えられそうだった。特にバイクは、転倒時の姿勢次第ではライダーだけが川面に落下しかねない。

 目的地が近づいていた。

 傾斜のない待避所を見つけ、先を行く由貴がバイクを停車させた。ヘルメットをミラーにかけて、タンクバッグから地図を取り出して開く。樹里も後ろに車を停め、スマホ片手に一旦降車する。

 車内ではロードノイズとエアコンの音で聞こえなかった蝉の鳴き声が、降りた途端に四方八方から押し寄せてくる。

「こういうところではアナログ地図ですよ」

「怪しいけど一応4Gは入ってる。5Gは街中からもう切れてたけど……」

「エリア情報見られます?」

 言われ、通信会社のウェブサイトにアクセスする。二〇年前に逆戻りしたような速度でマップが表示され、移動したり拡大したりするたび再読み込みがかかる。常時通信するナビゲーションアプリでは表示が追いつかないかもしれない。

「今のところ国道沿いは入るっぽい。でもちょっと外れると圏外っぽいな。このままあと一〇分も北上すると道路上でも圏外になりそう」

「大手のSIMでもそうなりますか。混雑するほど人はいないし……」

「側道があったら入ってみるか。西側中心で」

「もうちょっと行ったところの右手になんか道あるっぽいですよ」実宇は片手にスマホ、片手にハンディファンを持っていた。「集落跡とか。マップに写真上がってます。なんか私のスマホ調子悪くてなかなか表示されないです」

「端末じゃなくて回線の問題だと思うよ」と由貴。返事も待たずに樹里の方を見た。「一応そこから攻めてみますか。多分兵頭さんが言ってた集落ですよ」

「望み薄じゃね? ネットに写真が上がってるってことは、廃墟マニアが行ってるってことだろ?」

「どっちにしろ全部虱潰しですから。見えてるところから攻めましょう」由貴は地図を畳んで片付け、ヘルメットを被り直した。

 その林道は、国道の工事困難区間を迂回するトンネルを抜けて数分のところにあった。

 国道からの入口は舗装されていた。だが、少し進むとむき出しの乾いた土の上に轍のようなものが残っているだけの未舗装路になる。左右からは夏草が生い茂り、日差しを遮るものはない。

 そしてチェーンが渡され、立入禁止と書かれた板切れが下がったところで、樹里は車を停めた。

 車の窓を開き、先行する由貴に向けて怒鳴る。

「おいユッキー、どうすんだ」

 由貴はバイクを降りると、ためらう様子もなくチェーンを外した。

「ちょっと様子だけ見てきます。樹里さんたちはここで待っててください」

「待ってろったって……」スマホは圏外になっている。

「じゃあ一緒に行きます?」

「三〇分で戻らなかったら国道の方まで出て警察呼ぶからな」

 由貴は満足気に頷き、バイクに跨った。

 強烈な排気音と砂埃を巻き上げて、白い車体が草むらの向こうへと消えていく。

 樹里は車を降り、後部ハッチを上下に開いた。サーフボードのような大きな物を積み込む時を考慮した機能だが、日除けと椅子として用いると即席の休憩スペースにもなる。観音開きの左右ドアと並ぶこの車の特徴だった。

 リッチなユーザーインターフェースを備えたストップウォッチと化したスマホでタイマーを三〇分にセット。計測開始する。

「ミューちゃん何飲む? 大丈夫だと思っても飲んどきなよ」

 早速クーラーボックスを開け、飲み物を物色していると、車を降りた実宇が林道の奥を見ながら言った。

「大丈夫だったんですか? ユッキーさんひとりで行かせて。あ、スポドリください。ゼロカロリーの」

「大丈夫大丈夫。大方不純な動機だし」

 ペットボトルを受け取った実宇は「不純?」と首を傾げている。

 樹里は冷えた麦茶を手に取り、一気に飲んでから応じた。

「死にゃしねえよ。ああ見えてタフだし」

「樹里さんは化学が専門なんですよね? ユッキーさんって何なんですか? バイク?」

「一応、犯罪心理学って聞いてるけどな。精神鑑定に対する中立なセカンド、サードオピニオン提供のテストケースを作るための人材……って所長は言ってた。なんのこっちゃって話だけど。SARCは分析屋で科学捜査のヘルプ役のはずなのに」

 指先ではペットボトルの蓋を弄りながら実宇は言った。「おばあちゃんは、私のこと何か言ってませんでした?」

「お孫さんとは言ってたけど……」

「それで職場に連れてくるまではともかく、出張先に一緒に行けとかなくないですか?」

「聞いてないの?」

「はい」

「マジか」

「マジっす」

 所長室でシガリロを吹かす黒ずくめの元気すぎるシニアのことを思い出さずにはいられなかった。常に思わせぶりで大事なことは何ひとつ口にしない。人のことは全部見透かしておきながら自分のことは語らない。

 それでも、樹里ちゃん、と呼ぶことを許したのは、園田今日子で二人目なのだ。

「まー、言わないってことはそれなりの理由があるんじゃない? あの人のことだし」

「そうなんですかねえ。吸血鬼探しができるのは願ってもないことなんですけど……」

 最近のJKは逞しいのだと、樹里は思わず苦笑した。

 ふと、目の前を見ると、カーブの多かった見通しの悪い林道と草木、それに厭らしいほどの青空だけがあった。吸い込まれそうな、あるいは、世界に自分一人ぼっちになったような感覚。これがあると、その旅は高い確率でいい旅になる。

 今回は低い確率の方だ。人が死んでいる。

「樹里さん?」と実宇。いつの間にか隣に座っていた。「あっついですねー。ユッキーさん早く戻ってこないかな」


 由貴が戻ったのは、三〇分のタイムリミットまであと三〇秒と迫った時だった。

「いやあ、風情がありましたよ」ヘルメットを取ってペットボトルに半分ほどの水を一気に飲み干し、口を拭って由貴は続ける。「民家だった木造の廃墟が五つありました。畑のようなものも。最近人が立ち入った形跡はないですね。でも、生活の痕跡が残っている廃墟って、オーラがすごいですね。ホラーゲームの中に迷い込んだみたいでした。念とか絶対残ってますよ。写真見ます?」

「もうちょっとマシな感想ねえのかよ……」

「そんなことより、バイクが喜んでます」由貴はアフリカツインのタンクを撫でる。「やっぱりこいつ、未舗装の不整地を走破するためのマシンですね。やっぱり道具ってのは、それが作られた目的の通りに使う時に一番輝くんですよね」

「お前絶対それが目的だったろ……」と樹里。

「なるほど不純な動機」と実宇。

「いやいや、調査です調査。次行きましょう」

 それからの調査は淡々と進んだ。

 国道へ戻り、南北往復しながら側道を見つけたら突入する。何もない行き止まりはなく、必ず何かしらの人の生活の痕跡があった。一軒だけの廃屋。かつては畑か何かだったのだろう、森林が切り開かれた広場。倒れた電柱。タイヤの潰れた軽自動車。

 東側にも西側にも入った。申し訳程度の観光地化している場所もあった。本来の国道のコースと重なる、数百年前からの旧街道の石畳だ。だが、かつて名だたる戦国の武将たちが踏んだだろうその苔むした道も、現在は物好きなハイカーしか通らない。

 その旧街道跡に設けられている未舗装の駐車スペースで、遅めの昼食にした。風情も何もないコンビニのおにぎりやサンドイッチだった。

「静岡県って、新商品のモニター代わりに使われることもあるらしいですよ」バイクのシートに器用に腰掛けた由貴が毎度のように雑学を披露する。「関東と関西の中間だから、ここでウケれば全国一律にウケるってことです。裏を返せば特色に乏しいということですが……」

「日本の社会問題が全部あるんだろ?」

「そうそう。地震、津波、河川の氾濫、中心街の空洞化、車社会、公共交通機関の維持、三セク鉄道、過疎、高齢化、高齢者の運転、隠れ待機児童、行政コストの増大、インフラ、南無阿弥陀仏アーメンハレルヤアッラーの他に神はなし」

「やめろやめろ、頭が痛くなってくる」

「神頼みではどうにもなりませんからねえ」由貴は明太子のおにぎりを頬張っている。買った中では一番単価の高いおにぎりだった。「ちょっと国道の先の方行ってみましょうか」

「先の方って」と実宇がスマホ片手に調べようとする。「あ、圏外……」

「市道で代替されてる区間だよ。多分すごく険しい道になる」

「しゃあねえ。腹ぁくくるか」樹里は車の白化が目立つ樹脂パーツを叩いた。「ユッキー先行頼める? お前の勘に従うのがいい気がするし」

 由貴は頷く。「過度な期待は禁物ですよ。ゲームキャラだかUMAだか知りませんけど、そんなものが実在するわけないんですから」

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