1-6.『零度のエクリチュール』について
続いて呼ばれたのは、一年生の塩見柊汰だった。
「塩見さんは、撮影だけじゃなくてご自身でコスプレもされるんですよね」
「そうっすそうっす。見ます? 見てくださいよ」
塩見柊汰。濃くなりすぎた紅茶のような色の髪を、毛束感強めに9:1にセットした色白の若者である。文法的に間違っている英文が散りばめられた半袖の緩いスウェットにハーフパンツで、色はどちらも白。こういうタイプもいるんだな、と由貴は新鮮な驚きを覚えた。
塩見のスマホには、右腕に何か装甲のようなものを着けて革の上下を着て、ポーズを決めた塩見自身の写真が表示されている。屋外のイベント会場で撮影されたもののようだった。髪は鮮やかな赤。前髪が逆立っている。
「でも俺のは、ヒーローごっこの延長みたいなもんっすから。綾先輩とか晴海先輩とかはもっといろいろ考えてて、喋ってみるとなんかすげーなってなって、最近は撮る方が多いっすね」
「エクリチュールが異なる、ということでしょうか」きょとんとする塩見に、構わず由貴は続ける。「およそ表現とは、外的なものと内的なもののせめぎ合いです。ロラン・バルトは、先人の論を借りながらこれをラング、スティルと定義しました。私たちが暮らす社会の中に暗黙の了解のように存在する価値観を写し取ったものが、ラング。これに対し、表現の主体である人の個人的な体験に根ざした感覚のことが、スティルです。ヒーローごっことは、スティル的であるということでしょう。面白かった。カッコよかった。その個人的な体験を、時間的に静止した写真の中に転写しようとする行いです。一方で、その作品を体験した多くの人が共有する無意識のようなものを表現しようとするものもあるでしょう。乱暴に言えば、ラングは女性的でスティルは男性的です。しかし、ラングとスティルを超克し、己の表現したいものを選択する、己と己自身、己と社会との対話が、表現する上では壁として立ちはだかる。特にSNSが感想を平準化し、求められるものがいいねやシェア数で容赦なく可視化される現代においては、です。要するに、エクリチュールとは、表現への態度のことです。……悩みが多いんですね、コスプレを発表することも」
実宇は野良猫と睨み合っているような顔をしていた。「わかりました。つまり政府の陰謀ってことですね。既に政府はUFOと接触しているがその事実を隠蔽しており、真実は市民が発信する断片的な情報の中にこそある」
「どこから宇宙人が出てきた……」
塩見は上体を仰け反らせてドン引きの構えをしていた。「俺そういう批評みたいなのはちょっと……」
「村上綾さんに、夜の向日葵畑にひとりで、衣装を着て赴く内的な動機はあったのでしょうか。それとも何か、外的な動機が働いたのでしょうか。たとえばキービジュアルを再現するような」
「ゲームの内容的な話ですか?」
「ええ。内容も関わるかもしれません」
「俺やってないんでわかんないんすよ」
「そういうものですか」
「なんかああいう字を読むゲームって、そんなやる気になんねーっつーか……パソコン版を綾先輩に借りたんですけど、家に帰ってから、そもそも俺のパソコン入れるとこねーやって」
「ご自宅では、どんなPCを使われてるんですか?」
「なんか……ゲーミングノートってやつです」
「普段はゲームはよく遊ばれる?」
「バトロワゲーとかやりたくて買ったんですけど、今は写真の現像とかに使うのがメインになっちゃいましたね」
「村上綾さんは〈ヴァナディースの向日葵〉のファンだった?」
「ですねー。夏のサークル旅行先を決める時に向日葵畑のあるところって言ったの、綾先輩でしたし。でも青木さんも晴海先輩も香菜先輩もメッチャハマってたっすよ」
「香菜先輩?」と実宇が口を挟む。
「山田香菜さん」
「矢印なしの人?」
「矢印……?」
「お気になさらず。こっちの話です」由貴は応じて、ICレコーダーの録音を止めた。「僕からお訊きしたいことは以上です」
次のメンバーを待つ僅かな間で、由貴はPCを会場の無線LANに接続し、件のゲームのPC版を購入した。ダウンロードを開始させて、眉を寄せている実宇に言った。
「青木さん、このゲームエアプっぽいね」
「えっ、嘘。メッチャ語ってたじゃないですか」
「内容の話は一切しなかったし、そんなに語ってもいない。ルールを犯してでも夜間に侵入したいのなら、それなりの理由があるはずで、僕はそれはゲームの内容と関係があるんじゃないかと踏んでたんだけど。青木さんからはそれらしい発言がなかった。キービジュアルにもなる、印象的なシーンのはずなのにね」
うーん、と腕組みで唸ってから、実宇は全く無関係なことで応じた。「全然喋ってくれますね。今日は。昨日は目も合わせてくれなかったのに。ウザがられたかと思ってました」
「……高校生とスムーズにコミュニケーションできる方がおかしいんだよ」身長一八〇センチメートルの金髪女の姿が由貴の脳裏に浮かんだ。
「仲良くしましょうね、ユッキーさん」
「見た目であなたのことをジャッジしていたことは認めるし謝罪する。まず敬語が出てきたことに驚いた」
「じゃあやめる」
「あなた、学校で先生にタメ口使うタイプ?」
「うん。ダルいじゃん」
「よくわかった。僕とは決定的に相容れない……」
メモを見返していた増田が言った。「失礼ですが、どういったご関係なんですか?」
「初対面」と由貴。
「ひっど! 全然初対面じゃないし!」
「バイトというのは嘘ではないですが正確でもなく、僕の勤め先のボスのお孫さんなんです。昨日初めて会ったので初対面です」
増田はまだ納得がいかない様子だったが、そこで扉が開いて制服警官が顔を出した。
続いての事情聴取は長岡晴海の番だった。
ベリーショートの黒髪に、小暮樹里ほどではないが長身が映えている。しかし身体の線が出ないゆったりしたシャツワンピースは至って地味で、首から上と別人のようだった。
前の二名と同様の前置きをし、由貴は言った。
「長岡さんもご自身でコスプレされるんですよね。〈ヴァナディースの向日葵〉はお好きなんですか?」
「つーかこれ、あのゲームの見立て殺人ですよね。私に訊いてないで、なんでまだ青木を逮捕してないんです?」
「逮捕ってすごい人権侵害じゃないですか。たとえご関係者の方から見て犯人が明らかだとしても、それを客観的に証明できる物証、証言等が揃わない限り、逮捕という公権力の暴力を振るうことはありません。みなさんに、僕を含めて様々な人が繰り返し同じことを質問しているのも、確証を得るためなんです。人の話すことって結構変わりますし、話す本人は自分の話す内容が変化していることに意外と気づかないものです。ですから、もしも長岡さんが、犯人は青木さんだと確信しておられるなら、その理由を、ご面倒ですけどもう一度僕に教えていただきたいんです」
「あのゲームプレイしてないんですか? まだ?」
「僕はさっき購入したところで……県警のみなさんも重要な参考物件として検討していると思います」
実宇が前のめりになって言った。「見立て殺人ってどういうことですか?」
「綾ちゃん、血を吸われてたんでしょ。あのゲーム、エンディングのひとつがそういうのだから」
実宇は由貴の方を見た。「捜査情報では」
「記者とかから聞いちゃったんですかね。僕は警察の人間ではないのでぶっちゃけますが、マスコミへのリークってのは様々な事情でよくあることです。たとえば世論形成のため。やってる感を演出するため。本当に報道されると困ることを報道させないメディアコントロールのため。現場捜査官の口は固くても上の口が滑るため。社会的制裁のため。総じてデメリットよりメリットの方が大きい。ところで」由貴はペンを手に取る。「そのエンディングについて教えてもらえますか」
長岡は不満げだった。彼女にとっては当たり前のことを、さも興味深い新事実のように訊かれることに苛立っている様子だった。しかし最終的には素直に話した。
〈ヴァナディースの向日葵〉は、縁のある田舎に移住した主人公の青年が、ひとりの少女と再会することから物語が始まる。そして青年が少年時代に体験した不可思議な現象が現代に再現され、それに関わっていた少女がすべての怪奇現象の中心にいることを主人公は悟る。
ヴァナディースとは、北欧神話における豊穣の女神フレイヤの別名である。そして、大地の豊穣は女の妊娠を経て性的な意味合いを持つ。
マルチエンディングであるゲームの結末のひとつは、少女が繰り返される村人からの性的暴行によって精神を病み、かつての主人公におかしなことを吹き込んでいた、というもの。主人公は彼女を救って都会へ逃げる、彼女を見捨てる、彼女を犯した男たちを皆殺しにする、彼女を殺して宿命から解放するといった選択を迫られる。
一方、怪奇現象はすべて真実であるという内容のルートも用意されており、彼女は愛を司る不死の存在である。その彼女は、過去の少年との出会いによって、地母神としての役割に殉じるか、役割を捨てて人として生きるか葛藤している。主人公は彼女の宿命を祝福して別れる、彼女を人として受け入れてひとつの田園の滅びを目の当たりにする、彼女を拒絶して怪異として滅ぼす、人として受け入れて村もそのまま、といったルートのいずれかを辿ることになる。
「大きく分けてふたつのルートのうち、メンヘラのルートでは都会へ逃げるもの、和風ファンタジーのルートは神様から人になって村もそのままになるルートが真エンドってことになってます。でも制作サイドでは、女の子が最後に主人公に殺されるルートがどちらの場合も本来のエンディングのつもりなんじゃないかって考察されてて……」
長岡の早口の解説に、「その根拠は?」と由貴は応じる。
「シナリオをディレクター本人が執筆してるんです。他は外注ライターです」
「吸血シーンがあるのは?」
「制作側の真エンドの両方です。メンヘラのルートでは、自分の血は汚れていると言う女の子のために、殺した後に血を飲みます。ファンタジーのルートでは、赤い血が流れることが人になった証明であると気づいた主人公が、受け入れるのが遅すぎたことを嘆きながら血を飲みます」
「赤い血、ですか。神の状態では血の色は違うんですか?」
「白です」
「精神病の方ではそれが精液の白を暗喩するわけですか」
長岡は頷き、実宇の方を窺う。「ええ、そうです。ゲーム自体は全年齢向けですけど、プロトタイプになってる同人ゲーがR18です。……いいんですか?」
当の実宇は、気を遣われていることを意にも介していない。「血の色が違う……もしかしてレプティリアン?」
「彼女のことはお気になさらず。ご遺体の写真を見た直後に唐揚げ定食をしっかり食べてました。ご飯のお代わりまで」
「じゃあ話戻しますけど」長岡は椅子に座り直す。「その制作側の真エンドの真似をして綾ちゃんを殺したんですよ。現場で白い液体が見つかったんですよね。そんなこと、やるなら青木しかいませんから。キモカメコが一方的に繋がろうとして拒否られて殺したんでしょ」
「村上綾さんが現場に向かった理由に心当たりはありませんか?」
「青木が呼び出したんでしょ。で、殺してゲームの真似して血を吸ってその場でオナった。あいつならやりそうだもん」
黙っていた増田が、由貴の前にメモを差し出す。『マル害の傷口に付着していた唾液と青木のDNA型は一致せず』と書かれている。
「26番、白い液体についてですが……専門家の簡易分析によれば、性分泌液ではありません。何らかのアミノ酸または糖類が長鎖脂肪酸と縮合した両親媒性分子がどうのこうのと言ってました」由貴は腕時計に目を落とした。「今頃まゆみさんと謎トークしてる頃かな」
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