第3話 怨嗟に取りつかれた女・2

「…何で」


 低い、声で。


「何で、そんな女が…!」


 しかし男性のものとは性質の異なる声音が、玉座の斜め下から聞こえてくる。


 見てはいけないような気がしたが、好奇心には勝てないものだ。恐る恐る、リーファは階下の広間へと視線を動かした。


 謁見の間の入り口から真っすぐに伸びているレッドカーペットに立っていたのは一人の女性だ。


 まず真っ先に目についたのは、彼女の左半分を覆う包帯だった。

 包帯の赤い染みを見るに擦過傷だろうか。場所が場所なだけに、もしかしたら失明してしまったのかもしれない。


 改めて女性を見れば、赤褐色の豊かな髪とコバルトグリーンの瞳を持つ妙齢の美女だ。胸の空いたワインレッドのドレスからは、女性らしいグラマラスな肢体が覗かせている。

 しかしその包帯と顔全体を形作る憤怒と嘆きの形相が、全てを台無しにしてしまっていた。


 見覚えはなかったが、その敵意は明らかにリーファに向けられていた。彼女は肩を震わせ、アランに対する礼儀も失して吠えたてる。


「意味が分からない!

 見目も悪く、体も貧相で!陛下を到底満たせそうにないそんな女のどこが良いのか!

 何故わたしではなくその女なのですか?!」


 いきり立って玉座へ続く階段に近づこうとした所を、階段の両端にいた近衛兵二人が絶妙なタイミングで女性を阻んだ。互いの槍で女性を押さえ込み、レッドカーペットにひざまずかせる。


「無礼者が!」

「陛下の御前であるぞ!」

「くううっ!ううぅうっ───っ!!」


 アランが望んだ通りだったのだろう。槍に押さえ込まれて尚食い下がろうとしている女性を見て、薄ら笑いを浮かべていた。


(こういう事をさせる為に私を…)


 ここに来てようやくアランの意図が読めて、リーファは階下の女性に心底同情した。恐らくいつぞやの見合い候補なのだろうが、何とも趣味が悪い。


 アランはリーファを膝から降ろし、階下へと歩いて行った。王の頭上にいる訳にもいかず、ヘルムートに追従する形でリーファも階段を降りていく。


 一応身体検査はしているだろうし、非力で丸腰の女性など取るに足らないと思っているのだろう。アランは広間へ降り立つと、茶会でもするような近距離で女性をせせら笑う。


「見た目はともかく内面が足りないのでは、この女の良さは分かるまい。

 実際彼女は、王家に多大な功績を残しているが…まあそこは些細な所だ。

 何が良いのかと問われたら?体の相性以外にないだろう。

 私に抱かれて乱れる様、よがる声、思い通りに動く在り様…。

 当初は外見に騙されていたが…なかなかどうして、と考えさせられるものだ」


(全く、もう…)


 猥雑な話題で持ち上げられ、リーファの顔がつい渋くなる。

 アランがしたい事はリーファの自慢話ではなく、目の前の女性を小馬鹿にしたい事のようだし、”リーファ”という名の別人の与太話をしているのだと思うしかない。


「───ああ、そうね。やっぱり側女の子は低俗なものなのでしょう」


 ぼそりと、足元で声が聞こえた。

 レッドカーペットにひざまずいていた女性は悔しがる訳でも怒る訳でもなく、侮蔑をもってアランを見上げていた。


「─────────」


 謁見の間に沈黙が落ちる。嘲笑を浮かべていたアランも、その様を見下ろして表情を圧し潰す。


(やめて)


 そんなアランを後ろから見上げ、リーファの胸の奥底で何かがこみ上げてきた。


 一方、意表を突けたと思ったのだろう。女性はアランに向けて嘲笑いながらまくし立てた。


「うふふふふ、わたしが知らないとお思いで?

 陛下は、先王が連れてきた得体の知れない女の腹の子だと、ちょっと調べれば分かる事ですわ。

 ならば合点がいくというものです。王と言えど、中を暴けば王家の血など限りなく薄まった妾腹。

 低俗同士、実にお似合い───」


 ───ごっ!


 考えるよりも先に手が出ていた。

 リーファは、女性を思いっきり張り倒していた。

 いや厳密に言えば、拳で殴り飛ばしていたのだ。


 右手を拳にして思いっきりフルスイングで女性の側頭部に叩き込み、槍で押さえ込まれていた女性の頭が問答無用に床に叩きつけられた。


 鍛えてもいない女の腕で殴り倒せるなど思っていなかったが、よほど当たり所が悪かったのだろう。女性は体を震わせ失神している。


「─────────」


 その場の誰もが唖然としていた。女性を押さえ込んでいた近衛兵も、側に立っていたアランも、後ろに控えていたヘルムートもだ。


「はあっ…はあっ…はあっ…はあ………」


 そして何故か殴ってしまったリーファは、浅い呼吸に体を震わせた。慣れない拳で殴ったものだから当たった指がかなり痛かったが、それ以上に体の奥底から疲労が一気にこみあげてくる。


 驚いていたアランがリーファを憮然と見下ろし、ぼそっとぼやいた。


「…お前が怒る理由はないだろう」

「だって…だって………っ!」

「ああ、ああ。泣くな。私の事を想ってくれたのだろう?可愛いやつだ」


 泣いているつもりはなかったのに、アランはリーファを後ろから抱き寄せて頭を撫で回してきた。お構いなしに髪をかき混ぜられていたら、不意に涙が頬に零れ落ちた。


 すすり泣くリーファを胸に抱いてなだめているアランに、ヘルムートがケチをつけた。


「今のはアランが悪いよ。

 リーファを目の敵にしてる女の前でいちゃついたら、反撃受けて当然だよ」

「あんなもので私の溜飲が下がると思うか。もっと虚仮こけにしたかったのだが」

「話が逸れるから駄目」

「…ち」


 心底悔しそうにアランが舌打ちをする。


 近衛兵らはともかく、女性は伸びているし、アランとヘルムートは他愛ない話をしているし、この場が謁見の間だと忘れてしまいそうだ。


 理由なく溢れた涙が落ち着いた頃合いを見計らい、ヘルムートがリーファに事情を話してくれる。


「彼女はウッラ=ブリット=タールクヴィスト。二ヶ月前の見合いの候補の一人だよ。

 見合いの場でのやらかしを理由に謹慎処分を言い渡していたんだけど、今回緊急事態という事で来城したんだ」


 名前の方は聞いてもピンと来なかった。

 エレオノーラとは直に話したが、他の正妃候補は側仕えと話をした程度だったから猶更だ。辛うじて名前を聞いたかもしれない位だ。

 それよりも、気になる言葉に顔をしかめた。


「緊急…事態…?」

「何でも、最近彼女の周辺で怪異が相次いでいるらしいんだ。

 既に死者も出ていると報告は受けている」

「普通なら父親であるタールクヴィスト男爵が来城する事になっていたのだが…。

 謎の病にかかりしてるそうでな。代理として来たという話だ」

「彼女はリーファを疑ってる。

 身籠っていた子をうしなって、腹を立てて呪いをかけてるんじゃ、って思ってるらしい」


(あ…)


 アランと交互に説明を受け、二ヶ月と少し前にうしなわれたばかりの胎の子の事を思い出し顔が曇る。何とはなしに自分のへその下をゆっくりさする。


 ”魔術師”という言葉だけで、奇妙な術を使ったり残酷な儀式に興じたりする、というイメージを持つ事はままある。リーファも、魔術の勉強をする前はそうイメージしていたし、自身の師は典型的な魔女の部類の人だった。

 だから『腹いせにリーファが呪いをかけてきた』と考えるのは、自然な流れと言えるかもしれない。

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