第12話 一日目、最後の珍客達・1

 こんなにも気が休まらない見合いの期間は、初めてかもしれない───と、リーファは思っていた。

 今までは、正妃候補もその側仕えもリーファに接触してくる事はなかったものだから、今回の様に部屋に入られたり、廊下を歩いたら声をかけられたりするのは、新鮮ではあるが同時に厄介でもあった。


 かつて、ヴェルナ=カイヤライネンが部屋に押し掛けた時の事を思い出す。あれはヴェルナがリーファの事を心配しての行動だったが、今回は違うと言い切れる。


(疲れる…)


 日はとうに沈み、早めに軽い食事を済ませたリーファは側女の部屋にいた。


 いつもならばこの後さっさと入浴に行ってしまうのだが、今回はそうも言っていられない。

 何でも、正妃候補達を歓迎する為に頭皮ケアや全身マッサージやネイルケアなどを行うらしく、今大浴場はその準備に追われているようなのだ。

 リーファが大浴場を利用出来るのは、正妃候補達が入浴を終えた後。

 今、彼女達は夕食を終えたばかりだろうから、リーファの入浴は夜半になってしまうかもしれない。


 アランに構われる事無くこうして一人で過ごす時間はとても貴重だが、何故だか全然心が休まらない。

 部屋にはリーファ以外に誰もいないはずなのに、誰かに見られているような奇妙な感覚があるのだ。

 城に人が増えすぎて、気が張っているだけなのかもしれない。


 ───コン、コン。


「…!」


 ノックする音が聞こえてきて、リーファの体が強張った。

 側仕えの女性達はつい数時間前にたしなめられたばかりだから、ここに来る事はないはずだが───


「は、い…」


 声をかけ、恐る恐る扉を開けると、二人の女性が立っていた。


 奥にいた少女の顔立ちには心当たりがあった。以前、執務室で彼女の似顔絵を見た覚えがある。

 金髪碧眼の可愛らしい顔立ち。実物を見ていても思う。絵に描いたようなお姫様だ。


(エレオノーラ…さん?)


 確か、そんな名前だったはずだ。


 もう一人の女性を見やる。こちらは髪がカーキ色で黒い瞳の女性だ。年齢ならリーファと変わらないかもしれない。恐らく、側仕えの女性なのだろう。


(この人、昼間に来た側仕えの人達の中にはいなかったような…?)


 昼に来た側仕えの女性達は四人だった。一人の正妃候補につき側仕えは一人つくらしいので、五人候補がいるのなら五人側仕えはいたはずだ。


(何か理由があって、あの時はこれなかったのかな…?)


 リーファに用があって来たのだろうに、ふたりはもじもじしているばかりで何も言ってこない。

 こうしているのももどかしくて、仕方がなくリーファから声をかけた。


「こ、こんばんわ。ど、どういったご用向きでしょうか?」

「あ、あああああ、あのっ!」


 上ずった声をあげたのは、側仕えの方だった。

 彼女は緊張に顔を赤くして、大仰にエレオノーラを手で指し示した。


「は、ははは、初めまして!り、リーファ様!

 こ、こちら、エレオノーラ、く、クラテンシュタイン、伯爵令嬢様でございまして!

 く、クラテンシュタイン家は、ご存じで?あ、知らない?

 それでは、クラテン、シュタイン家の、き、聞くも涙、か、語るも涙の、歴史を───」


 何を話したいのかよく分からない側仕えに待ったをかけたのは、呆れ果てたエレオノーラだった。

 彼女は両手で顔を覆い、ぼそりと側仕えの名を呼ぶ。


「レーネ…」

「は!はひ!」


 怨嗟えんさすら混じった声で呼ばれ、レーネは背を正して声を上げた。


「少し下がりなさい…」

「は!はひ!」


 川を動き回るカニのように、さささと横へ移動するレーネ。そのまま、壁に張り付いて冷や汗をだらだらとかいている。


(なんだったんだろう…)


 極度に緊張している側仕えを物珍しく見ていたら、エレオノーラが改めてリーファにお辞儀をしてみせた。


「失礼いたしました。

 わたくし、この度正妃候補として参りました、エレオノーラ=クラテンシュタインと申します。

 どうぞ、エレオノーラとお呼びください」


 エレオノーラはレーネに比べたら落ち着いた様子だ。少し緊張しているようだが、言葉も流暢だし物腰も柔らかだ。


 リーファも同じようにワンピースの裾を摘まみ、恭しく首を垂れた。


「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます。ええっと…。

 陛下の側女をしております、リーファ=プラウズと申します。

 気兼ねなく、リーファとお呼びください」

「あの、リーファ様…」

「あ、いえ。呼び捨てで結構ですので…」


 と両手を振ってお願いしたら、エレオノーラはくわっと顔を上げて食い下がった。


「そういう訳には!

 陛下の寵愛を一身に受け、その身に御子を身籠っておられる方を、呼び捨てなど…!」


『寵愛』などと大層な言葉が出てきて、リーファは慌てて言い返した。


「そ、そんな大げさなものではないんですって。

 たまたまそこにいて、困ってたから側に置いてるー位なものなので…。

 それに、陛下の正妃候補の方から様付けで呼ばれるのは…」

「でも………でもぉ………っ!」

「………………」

「………………」


 半ば泣きそうな顔で無言のまま訴えてくるエレオノーラに根負けして、リーファは項垂れた。


「………で、では、間を取ってお互い”さん”付けで…」

「は、はいっ」


 顔を明るくするエレオノーラを見てほっとする。何とか落としどころが見つかったようだ。


「立ち話も何ですから、どうぞこちらへ。

 …側仕えの方もお入りください」


 エレオノーラと側仕えのレーネを部屋へ招き入れ、リーファは扉を閉めた。


 レーネは部屋へ入った途端、目を輝かせてあちらこちらを見物しだす。


「わー!リーファさんのお部屋、ひーろーいー!ベッドでかーい!景観サイコー!」

「レーネ!」

「はひぃ!申し訳ありませんっ!」


 当然の様にエレオノーラにたしなめられ、レーネは身を竦ませて背筋を正す。

 ペコペコとエレオノーラに頭を下げるレーネの姿を見て、リーファは昼のあれこれを思い出した。


 あの側仕えの女性達も、リーファの部屋に入ってきて早々、クローゼットは開けるわ引き出しは開けるわベッドに飛びつくわと、やりたい放題だった。

 城に入った頃、どこにいても居心地なく過ごしていたリーファからすると、彼女らの行動はまるで実家に帰ってきたかのような図々しさだ。


(候補の方が正妃になれば、側仕えも城入りするでしょうから、ある意味将来の家かもしれないけど…)


 正妃が決まった途端こんな風に部屋に立ち入られてしまうのかと思うと、少々頭が痛い。

 昼の場を治めた候補の方や、このエレオノーラなら、ちゃんと諫めてくれるだろうと信じたいが。


「…どうぞ、おふたりともソファにおかけ下さい」


 席を勧めると、エレオノーラがソファに座る。さすがに主人と肩を並べて座るのはまずいと思ったのか、レーネはソファの側で躊躇ためらったようだ。


「リーファさんのお言葉に甘えなさい」

「し、失礼しますっ」


 緊張気味に、レーネはエレオノーラの隣に着席した。

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