第16話 初夜は半信半疑の内に・2

 涙が治まれば、説教をするのは当然だ。

 ベッドの上で正座をしたリーファに、アランはくどくどと文句をつけた。


「シャツが鼻水でべしょべしょだ」

「…すみません」

「しがみつかれたおかげで上着がしわだらけとなった」

「…すみません」

「そして乳香臭い」

「…それは、私のせいじゃ…」

「ん?」

「なんでもないです…」


 アランの威圧に気圧けおされて反論を止めたが、リーファは不服そうだ。目は赤くしているが、理由不明で泣く事もなさそうだ。


「いずれの服も我が国の最高級品だ。庶民が弁償できると思うな。

 …世継ぎを産むまで、城から出られないと思え」

「…ふふ」


 睨みつけながら言ったつもりだったが、彼女はアランを見てクスクスと笑っている。


(恥じらったり泣いたり笑ったり何なんだこの女は………情緒不安定か)


 またもや望んでいたものとは違う反応をされて、アランは不満の色を濃くした。


「何がおかしい」

「さっきの話を思い出してました。

 …陛下と私の間の子なら、きっと普通の人間として生まれてくると思いますよ」

「………そうか」

「はい」


 何だか分からないが、そういう事らしいからこれ以上は追及しないようにしておく。


 まだ笑い足りないようだが、リーファは深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせていた。少し寂しそうな、それでいて柔らかい微笑をアランに投げかけてきた。


「…でも良かった。

 陛下は、私と子作りなんてしてくれないとばかり思ってましたから…」

「ふん、自分の貧相な体に魅力があると思わない事だ。

 辛うじて、ようやく、なんとか出来た程度だからな」

「それ位、分かってますよ。

 …それでもいいです。やっと、半年越しの覚悟が実るんですから」


 その言葉に、アランは眉根を寄せた。

 半年と言えば、アランがラッフレナンド王として王位を継いだ頃合だ。

 同時に、この女を側女に任じた時期でもあった。


「…城下に未練があると思っていたが」

「そうですね。誰にも何も言わずに家から離れたのは心残りでしたけど。

 でも本当に心底嫌だったら、側女に任命された時点で逃げてますよ」

「………そうか」


 相槌を打ちながら、アランは三日前の事を思い出す。


 ───リーファに自白剤を飲ませ得られたのは、彼女の個人情報ばかりではなかった。

 アランの横暴に振り回されながらも、側女の務めを放棄しなかった理由。それは、アランが最も気にしていた事だった。


 彼女を問い詰め得られた理由は、ざっくり言えば『それが義務だから』だ。

 側女が、アランの即位に必要だから。

 側女の子でも、ラッフレナンド王の御子としてアランの助けになるから。

 側女の存在で、アランの性格がちょっと丸くなったって言われたから。などなど。


 そこに彼女自身の情や考えなどはなく、『そうしないと困るのはそちらなんですよね?』と不思議そうに言われたのが印象的だった───


(───嘆かわしい)


 間抜け面のリーファを見下ろし、アランは自嘲気味に目を伏せた。


(こんな女で我慢せねばならんとは)


 目を開けて再び見下ろした彼女の姿は、この城の誰よりも澄んで見えた。

 嘘や誤魔化しを嫌うアランの才”嘘つき夢魔の目”は、義務だけでアランに付き従っている女を清廉潔白だと認めていたのだ。


 これは、アランが生きてきた中でも類を見ない出来事だった。

 物心ついた時から黒いものをまとわなかったヘルムートは例外中の例外としても、同じくらい付き合いが長いシェリーですら黒いものは溢れてくる。

 半年前に会ったばかりの庶民の女が、側に置いただけで黒いものを発さなくなるなど、はっきり言って異常事態だ。


 一服盛ったのも、これが理由の一つだった。

『実は好意を持たれていて、それが”目”を認めさせる原因だったのでは?』と推理をしての事なのだが、フタを開けてみればこれだ。


 私情を挟まず、義務を課し、どれだけ雑に扱われてもアランの側にかしずいていられる。

 そんな奇特な精神の持ち主でもない限り、”目”を認めさせる事は出来ないのか、と落ち込んだものだ。


(だが…雑に扱われて喜ぶ女よりはマシなのか…?

 こちらとて義務には違いないのだから…)


 義務でアランの側にいる彼女と、義務で彼女を側に置いているアラン。

 お似合いというにはあまりにもむず痒いが、そのくらい素っ気ない関係の方が手放すのも楽と言えるのかもしれない。

 王の御子を授かる為にいる以上、その立場は制限時間が設けられているのだから。


「っ」


 黙り込んだままのアランの指が、リーファの指を絡めとる。

 わずかに震えているのが指越しに伝わったが、彼女は観念したようにアランに手を重ねてきた。

 アランがリーファに身を寄せると、後ろへ下がるようにベッドに寝そべった。

 彼女にまたがり、アランは耳元で囁く。


「支度は済ませてあるな?」

「は、はい………あ、あの…」

「ん?」

「灯り、消して…いいですか?」


 頬を染めてうつむいているその姿に、アランは心底呆れ返った。


 今まで散々ひん剥き、暴いていない場所など臓腑ぞうふくらいしか残っていないというのに、彼女はこの期に及んで『恥ずかしい』と思っているらしい。


「何を今更」

「…ですよね」


 溜息を吐いたリーファは諦めた様子で肩の力を抜いて、自分にその身を差し出した。


 アランは唇にキスを落とす。ネグリジェのリボンを解き、その先の柔肌に指を這わせていく。


 胸は多少ふくらんだようだが、アランの理想には程遠い。これ以上ふくらまないのでは、と不安にもなるが、まだ半年と考えれば成長を期待出来なくもない。

 腹回りも若干肉がついており、浮き出ていたあばら骨はほぼ消えたと言ってもいい。まあまあ健康な肉付きだ。

 顕著に変化があったのは、やはり腰から足にかけてだろうか。城下にいた頃と比べて運動量が減り、枯れ枝のようだった足に柔らかい肉が乗るようになった。

 尻の肉も増えた為、膝に乗せた際に骨が当たって痛い思いはしなくなった。


 魅力的な肢体とは言い難い。しかし、半年前と比べて不快に思う部分が減ったのは確かだ。

 及第点には遠く及ばないが、合格者がいない以上、補欠合格を認めるしかない。


「あ………ん、んっ………!」


 指先に反応して熱っぽく息を荒げる彼女の素直さに、何となくしゃくに障るものをアランは感じた。


(…面白みがないな)


 いつももてあそぶ時は嫌そうだったり痛そうだったりするものだから、こんなにしおらしい彼女は何だか気持ちが悪い。

 だが、作業を止めるつもりは微塵もない───と言いたい所なのだが。


(………………そういえば)


 ふと、ある事を思い出した。


(黙っていてもどうなるものでもないが…。

 思い出してしまったものは、仕方がないか?)


 心中でそう自分に言い聞かせつつ、アランは呼吸を正しているリーファを見下ろし告げた。


「…一つ言い忘れていた事があったな」

「…まだ何か…?」

「三日前の夜の話だがな。

 ───あれは嘘だ」


 アランの衝撃発言に、リーファは目をぱちくりさせた。

 口を真一文字に締めたまま固まり、アランをじっと見上げている。


「う…嘘?

 嘘って、どこが?っていうか、何が?!」


 動揺している彼女を、アランはしてやったり顔で黙してみる。


 するとリーファは何を思ったのか、一瞬で青ざめてベッドから逃げ出そうとした。


「っっっっっぎゃーっ!ち、ちょっと待って下さい!心の、心の準備がっ!!」

「うるさい黙れ」

「うぎっ!?」


 乱れたネグリジェの襟を掴んで、アランはベッドから離れかけたリーファを引き寄せた。


(やはり、こうでなくてはな)


 あっという間に組み敷かれたリーファは、晴れやかな笑顔で体をいじり始めたアランを見上げ、泣きそうになっていた。

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