第7話 食堂へ・1

 ラッフレナンド城の東側にある、兵士宿舎と演習場に挟まれた建物が食堂だ。


 入城が許された者ならば誰でも無料で利用可能な施設で、一流のシェフ達が腕を振るう料理の数々は、国内外から絶品と評されているらしい。

 また、王や大臣らも頻繁に利用する為、どのような身分の者でも気兼ねなく交流する機会を得られる稀有けうな場所でもある。


 建物の北側には五つの個室が、南側には厨房があり、その間が大広間となっている。

 木目調の床が美しい大広間には、長い木製のテーブルが均一に並べられている。椅子は簡素な木の椅子から黒革の背もたれ付きまで様々あるが、誰がどの椅子、という決まりはないという。

 中央の天井には大きいシャンデリアがあり、十二個のロウソクに灯された火が幾百ものガラス片に散らされ、食堂全体を明るく照らしている。


 ピークを過ぎたのか、利用する人はそれほど多くない。

 談笑しているメイド達の姿も見られるから、彼女らの仕事もひと段落終えた頃なのだろう。


「では、時間さえ合えばここで王様と話す機会もある、と?」

「交渉や商談のまたとない機会だからね。

 広間で食事を取る時は、相席を求められてごった返すみたい。

 まあ、殆どがそっちの個室を使ってるらしいよ」


 そう言って指で示したのは、食堂の北側に設えられた個室だ。


 落ち着いた白地の壁と、曇り一つない磨きこまれたガラス窓、丁寧に飾りが彫りこまれた木の扉が並ぶ中、中央の個室の扉だけ金縁であしらった豪奢な造りになっている。


「…なんかちょっと意外ですねえ。

 てっきり、王様は王様の部屋で食事するものかと」

「先王陛下はそうしてたらしいね。

 今の陛下は、家臣の人達と交流がてら来てるらしくって。

 …あ、魚介のパエーリャのスープセットで」

「わたしは、牛ハンバーグステーキのコーヒーセットを」

「マイサはどうする?」


 受付で注文をしていたリーファが、後ろにいたマイサに声をかける。

 しかしマイサは顔面蒼白で息も荒く、入り口の壁に寄りかかり今にも倒れそうだ。


「わ…わたくし、今、食欲が…いたた…」

「コルセット締めすぎなんですよ」

「着慣れてないのに無理するから…」

「ううっ…」


 ふたりになじられ、マイサは涙目になっている。


「この様子だと、一度着付けなおさないと食事できそうもありませんなあ」


 ソフィの言葉にリーファは溜息を吐いた。受付の白髪交じりのおおらかそうな中年女性に告げた。


「あとは、シェフのおすすめピッツァとレモネードをお願いします。

 それと…どこか空いてる個室あります?」

「今の時間ですと、中央の個室だけなら明かりを灯しておりますが?」

「コロナの間ですか?」

「片付けももう少しで済みますし、使われますか?」

「…そうですね。せっかくだからお願いします」


 受付の女性は、カウンターの側にぶら下がっていた銅のプレートをリーファに手渡してきた。プレートには使用する個室の名である王冠が描かれ、下部には”利用中”と書かれてある。


「鍵は開いておりますのでそのままどうぞ。プレートを扉にかけておいて下さい。

 注文されたものは個室へお持ちしましょうか?」


 ちら、と厨房のカウンターを見やる。


 朝食や昼食時であれば、カウンターに大皿がずらっと並んでいるのだ。パンや小皿に盛られたサラダやデザートが置かれ、自由に持って行く事が出来るようになっている。

 しかし今は大皿が全て取り除かれ、何も残っていない。光沢のある木の天板が広がっているだけだ。


 おかずの追加は諦めて、リーファは受付の女性に告げた。


「お願いします。…マイサ、ソフィ、行こうか」

「オーダー入りましたー!コロナの間へお願いしまーす───」


 注文を読み上げる受付の女性の声が耳を掠める。


 リーファはプレートを手に、中央の個室へ向かった。

 王冠の飾りがついた扉の真ん中のフックにプレートをかけ、扉を開ける。


「ひっろ」


 個室に入ったソフィが、呆れつつ声を上げた。


 長机と椅子の群れが埋め尽くすような大広間とは対照的に、個室の中はさっぱりしている。

 大理石の石畳の上に真っ赤な絨毯を敷き詰め、広々とした間取りの中央にテーブルクロスのかかった横長の机が置いてある。椅子は二十脚ほどは並んでいるだろうか。


 北側にあるカーテンの先には、円柱状に建てられた演習場の外観が見渡せる。観客席への通路越しに中央の広場が見えるが、距離が遠く、観賞には向いていないようだ。


「ごゆるりとおくつろぎください」

「はい、ありがとうございます」


 窓ガラスの乾拭きを終えたメイドが首を垂れて来て、リーファも頭を下げた。

 掃除道具を持って個室を出て行くメイドを見送ると、顔色の悪いマイサがおろおろと狼狽うろたえた。


「こ、こんな立派なお部屋、使ってもいいんですの…?」

「私も来たの初めてだけど………受付の人は良いって言ってたから。

 …まあ、メイドさんの手間は増やさないよう、出来るだけテーブルクロスは汚さないようにね」

「わ、分かってますわ」

「それじゃマイサ、ここに横向きで座って。

 ソフィ、そっちのカーテン全部広げてくれる?」

「はい…」

「あいさー」


 マイサを手近な椅子に座らせ、ソフィには演習場側のカーテンを広げさせる。

 リーファは食堂側のカーテンを広げて行き、個室の中が見えないようにしておく。


(注文した食事が来る前に、着付け直さないと…)


 リーファはしおらしく座っているマイサの背中に回り込んだ。ネックパーツを外して、ドレスのファスナーを下ろす。

 ドレスの端から覗けたコルセットを見て、リーファは溜息を漏らした。


「もう、こんなに締め上げて…」

「だって…仕方が無いじゃないですの。綺麗に魅せるにはもっと締めたい位ですのに…!」


 マイサがこう言うのは、恐らく城下に浸透している貴族の印象から来ているのだろう。


 貴族の服装、身だしなみ、作法は、必ずしも庶民に正しく伝わるものではない。書籍、噂話、見た印象から、いくらか遅く歪んで伝わってしまうようなのだ。

 実際、リーファが昔から想像していた”骨格が変わるほどコルセットで締め上げるスタイル”は、シェリー曰く『貴族間で数十年前にあった流行』らしい。

 最近はエンパイアラインという、お腹周りを締め付けないドレスが流行っているから、無理にコルセットで締め上げる必要はないのだという。


 マイサのお姫様のような豪奢なドレスも、今の貴族達から見れば『遅れている』と思われてしまうかもしれないが。


(まあ…そんな人達とそう顔を合わせる機会もないでしょうし。

 ここに入れば幾らでも情報は入ってくるでしょうからねえ…)


 寄ってきたソフィもマイサの背中を見に来て、呻き声を上げた。


「うわあ…。

 こんな痕まで残る程締めたら、いざ脱がせる時になって王様も引いてしまうのでは?」

「!!!」


 コルセットを緩め良くなりつつあったマイサの顔色が、ソフィの指摘を受けてまた青くなった。顔全体に汗を垂らし、肩を震わせている。


「そ、そうかしら…?」

「そうですよ。ここなんて青痣になってるじゃないですか。まるでキスマークみたいに…」

「──────!!!!!」


 金具でも当たったのか、背中の一点に小さくついた青痣をソフィがなぞっていると、マイサが声にならない悲鳴を上げた。

 涙すら瞳に浮かべて必死の形相でリーファを見上げ、上ずった声で助けを請う。


「は、は、は、はや、早く、なんとか、なんとか…!!!」

「ああ、うんうん。大丈夫だから、そんなに目立たないし。後で氷もらってきて冷やそうね」

「時間が経ちすぎてるのでは?湯で濡らしたタオルで温めた方が早いでしょう」

「そういえばゆでたまごを当てるといいって、何かの本で見たような…」

「レモン食べると肌に良いとか、ジャネットさんが───」

「どっちでもいいからっっっ、早くなんとかして下さいまし~っ!」


 診療所で得た知識を基にリーファとソフィで相談し合っていると、マイサの悲痛な声が部屋に響き渡る。

 我に返り、リーファは拗ねているマイサを慌ててなだめた。


「ま、まあまあ。何にしても、貴賓室に行ってからじゃないと。

 3階は浴場があるから、お湯いっぱい使えるし。

 今は傷が当たらないように着付けなおすしかないよ」

「どうしても消えなかったら、クローゼットの角にぶつけたって事にすればいいじゃないですかねえ」

「私もよくやるからね。陛下も分かってくれるよ。

 …この位なら落ちないかな?痛くない?」

「うう…はい…」


 持っていたハンカチを痣の部分に当てながら、リーファはコルセットを締めなおす。

 背中の編み上げ部分も緩めておき、ドレスを着せなおしてファスナーを上げる。

 編み上げ部分を丁度良く締め、最後にネックパーツを留めて完成だ。

 着替えなおす前と比べて大分ゆったりした衣装になってしまったが、それでも十分スリムなマイサだ。無理をしてげっそりしていた時を思えば、今の方がずっとましだった。


「…ちょっと不恰好ではありませんこと?」


 椅子から立ち上がり、ドレスの具合を確かめるマイサはちょっと不機嫌だ。


「締めすぎてフラフラしてるよりマシでしょう?

 食事したあとはお風呂入って寝るだけなんだから」

「役人の方々に見られて笑われないかしら…。

 ………ふう、仕方がありませんわね」


(ホントにね)


 一人で張り切って、一人で苦しんで、一人で不満そうにしているマイサを見ていると、側女として過ごし始めた頃の自分を思い出してしまう。

 迷惑にならないように、悪目立ちしないように、機嫌を損ねないように。

 もし彼女が見初められた場合、リーファと同じように苦労しないだろうかと不安にもなるが───


「…そろそろカーテンを元に戻してもいいかな?

 マイサ、食堂側束ねてきてくれる?」

「あら、陛下の未来の伴侶に指図なさいますの?」

「…気配りの利く女性が好みって」


 続けて『聞いた事があったかもー』と言うか言わないかという所で、マイサはそそくさとカーテンを束ねに行ってしまった。


(変わり身が早いというか、調子がいいというか…。

 あれなら、ここでも問題なくやっていけそうね…)


 ころっと考え方を変えてしまう彼女の言動に呆れながらも、リーファはふっと笑みを零した。

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